私は多分、契約結婚から溺愛へと派生するTL(ティーンズラブ)小説の世界に転生してる。

 そんなことに気づいたのは、仕事から帰ってきた夫にじぃっと見つめられていた時だった。
 夫の帰りを待つ間、私は広々としたリビングのソファに寝転がり、行儀悪くポテチをドカ食いしていた。
 寝転がる体勢はまさしくトド。太らない体質なので体型は細身だが、私の周りにはコーラのペットボトルと先ほど食べたアイスの袋と、BL本が四冊ほど転がっている。

 自堕落すぎる私とは対照的に、側に立っているのは超が付くほどハイスペックなイケメンだ。
 顔良し、スタイル良し、ステータス良し。その上家柄まで良く、いわゆる御曹司属性持ちの高スペック男子である。

 そんな彼が私を見下ろし、ポツリとこぼしたのだ。

「可愛いな」

 これはもう、転生に違いない。だってトドのように寝転がって自堕落に過ごす女に、普通そんな言葉はかけない。
 特に今日の私の有様はひどいのだ。切りに行くのが面倒で伸ばしっぱなしの前髪を雑にピンでとめ、パジャマはヨレヨレ。
 普段の私ならもう少しシャキッとしているが、今は可愛いにはほど遠い。

 その上この男は私の夫だが、結婚したのだって愛があったわけではない。
 良くある利害の一致からうっかり結婚しただけで、世辞を言うような関係ではないのだ。

 彼は私の上司で、親から結婚を迫られていた。私は家族を失ったあげく親友に騙され借金までこさえてしまい、お金と家が欲しかった。
 そんな双方の事情がうっかり重なり、「するか結婚!」という流れになったのである。

 でもよくよく考えたら、普通そんなうまい話はない。絶対無い。
 今思えば、そこで気づくべきだった。
 これは絶対転生だ。ある種の異世界転生だ。前世の記憶とかはないけど、絶対そうに違いない。

大輔(だいすけ)さん、あなた二次元だったんですね」
「なんだ突然」
「だって、恋愛小説の御曹司みたいなことになってるから」
「俺は実在する御曹司だが?」
「知ってますが、それにしても二次元過ぎますよ。どこのレーベルの小説から出てきたんですか?」

 ヤンデレ系は困るなと思うくらいには、TL小説を嗜んでいる私である。

「何言ってんだお前」
「それはこっちの台詞ですよ、突然可愛いとか言い出すし」
「……言ったのは突然だったが、急に思った訳ではない」
「それ、実は前から思ってました的な?」
「ああ」
「やっぱり二次元ですね。その台詞は二次元ですね」
「二次元ってそもそもなんだ。俺たちが生きているのは三次元だろう」

 そういえば、この旦那様はオタク属性ではなかった。
 今更そのことに気づいた私は、ざっくりとしたオタク用語とTLというジャンルについて説明する。
 TL。ティーンズラブとは、いわゆる性描写のある女性向け恋愛小説である。
 ハッピーエンドと溺愛が基本で、出てくるイケメンはスペックが超絶高いのが必須事項。ちなみに売れ筋は御曹司とCEOである。
 その点、大輔さんは売れ筋の条件を軽くクリアしていた。

「つまり、俺がその手の恋愛小説の主人公だといいたいのか?」
「そうとしか思えないんですよ。この状況も、私なんかに可愛いとか言うところも」
「……その手の小説が好きなら、可愛いと言われて喜ぶくらいしろ」
「ああいうのは創作だからいいんですよ。それに私を可愛いと思い込まされてるなんて、大輔さんが可哀想で喜べません」
「可哀想?」
「だって小説の世界じゃなかったら、そのスペックにあった綺麗で可愛いお嫁さんもらえたはずじゃないですか。あとほら、創作かよってツッコみたいくらいご両親と確執あるのも、この世界がそうさせているに違いありません」

 これが小説だったら、物語の主軸になりそうな程濃密でドロドロの確執が大輔さんにはあるのである。
 あのドロドロくらいから予想するに、そのうち彼の家族と元婚約者とかが目の前に現れる気がする。別れろとか言われそうな気がする。

「リアルに生まれていれば、きっともっと幸せになれただろうに」
「……俺は、それなりに幸せだが」
「それは私と結婚出来たからとか言いそうですね」
「言おうと思った」
「二次元だな」

 これはもう確定だと思っていると、大輔さんが私の手を掴む。ポテチの油で汚れた手である。
 リアルだったら、絶対掴まないところだ。

「二次元でも三次元でもどっちでもいいが、どのみち俺の好意は本物なんだからもっと喜べ」
「喜べないですよ。だって私、男の人とそういう事したくないから契約結婚したのに」

 当初の約束では、お互いには手を出さないし、好きな相手が出来たらそちらと付き合ってもよいとまで書かれていたのだ。

「なぜしたくない。トラウマでもあるのか?」
「私は一般人なのでトラウマ設定はないです。ただ25になる今の今まで誰ともしてこなかったし、身体も硬くて股もあんまり広げられないし、おっぱい触っても感じたことがないし、気持ちよくなる要素が何一つ浮かばなくて怖いだけです」
「……自分で触ってたのか」
「でも無理でした。だからいつも妄想で抜いてます」
「生々しいこと言うな!」
「話題投げてきたのそっちじゃないですか」

 さすが二次元御曹司、オレ様で我が儘だ。

「ともかく、したくないんで」
「やってみなきゃわからないだろう。それに俺なら……」
「俺だったら気持ちよくさせられるとか、そういう考えはどうかと思います」
「でも俺はTLの男なんだろ。だったら気持ちよくさせられるんじゃないか?」
「初めては痛いパターンもいっぱいあるから嫌です」
「じゃあ俺は、一生君と出来ないっていうのか」
「そうです。だから諦めてまともな恋愛して下さい」
「俺は君と恋愛がしたい!」
「だからそれが間違いなんですよ。あれです、世界の大いなる意志に性癖歪ませられてるんです。本当のあなたは、もっとグラマラスで可愛くて気立てのいい女性を好きになるはずなんです」
「じゃあこの恋心はどうすれば良い! 俺はずっと昔からお前だけが好きなのに!」
「え、重い系? っていうか、あれ、私達幼なじみじゃないですよね!?」

 そこで、大輔さんが目をそらす。
 私達の年の差は十歳。そして出会ったのは今の会社に入った時のはずだった。

「何か、隠してます?」
「……言ったら、好きになってくれるか?」
「なんとなく、ドン引きする系な気がします」
「じゃあ言えるか!」
「でもこのまま秘密にされてもそれはそれで嫌いになりますよ?」

 私の言葉に、大輔さんはグヌヌと呻く。

「……本当は、お前と知り合いだった」
「でも、御曹司の知り合いなんていませんでしたよ」
「昔の俺は、なんというかその、ワル……でな……」

 ワルの一言に、私の高校生の頃のある記憶が蘇った。

「もしかして、うんこ座りのお兄ちゃん?」
「うんこ座り言うな!」

 その怒鳴り声が、更に鮮明な記憶を思い出させる。

 小学校の頃、近所の公園に時代遅れも甚だしい不良がいたのだ。
 その頃の不良と言えば髪を金とか茶色に染め、ピアスを開け、ズボンは腰まで下げて穿く。という程度だったのに、その彼はリーゼントだった。

 それを見て私はつい言ってしまったのだ。

「『うんこ頭に乗っけてるお兄さんがうんこ座りしてる!』って私が笑っちゃったあのお兄さん?」
「そうだよ、アレが俺だよ!」

 TLのイケメンとは思えぬ黒歴史を、どうやら大輔さんは持っていたらしい。
 派手な刺繍入りの学ランを着て、つっぱって、バイクなんぞを乗り回していた彼は近所の有名人だった。
 親は近付くなと言ったが、うんこ発言以来目をつけられ、私は何かと構われていた。
 最初はマジギレされたが、その怒り方も何だか面白くてゲラゲラ笑っているうちに気に入られたのだ。それに私は、何だかんだ優しいお兄さんが大好きになっていた。
 彼を真似てうんこ座りをし、煙草の代わりにシガレットをくわえる私を、彼も可愛がってくれた。
 アイスやジュースも良く奢ってくれたし、大好きなおばあちゃんが死んで泣いていた日は、私をバイクに乗せて町外れの海岸まで連れて行ってくれたこともある。

「えっ、まさかあの頃から好きとか……ロリ……」
「断じて違う! あの頃はまだ、可愛い子分だと思ってたんだよ」
「でも大輔さんがヤンキーなお兄さんなら、高校卒業したとたん居なくなっちゃっいましたよね? あれ以来、会ってませんよね?」

 そこで、すっと目が逸らされた。

「もしや、こっそりストーカーとか……」
「さ、再会したのは偶然だ。お前が大学の時、その、偶然見て」
「どこで?」
「お前が入った大学、俺の母校なんだよ」
「ヤンキーなのに早稲田はいれたんですか!?」
「頭は良かったんだよ! むしろ良すぎて親のプレッシャー半端なくてぐれてたって言うか、ぐれることで遠ざけたい物があったというか」
「グレ方特殊すぎでは?」
「普通だろ。あと東大もいけたんだけど親を失望させたくて蹴ったりしたし、滅茶苦茶普通のワルだろ」

 多分それは、普通ではない。
 でもツッコんだら負けな気がして、言わずにおいた。

「それで、私にあって一目惚れとかそういうベタなやつです?」
「……」

 無言だが、多分その通りのようだ。
 グレ方は特殊だが、ほれ方はベタだった。

「さすが二次元、恋の仕方が短絡的ですね」
「だってお前、子分だと思ってたちびが滅茶苦茶可愛くなってたら惚れるだろ。ちびの頃は、女なのに何故か坊主で年間通して短パンTシャツだったしギャップがありすぎだ」
「大輔さんと会う少し前に頭の手術したんです。だから髪無くて」

 そう言った途端、ガシッと肩を掴まれる。

「頭って大丈夫なのか? まだ病気があるとか無いよな!?」

 必死の形相に、私はさすがに驚く。

「子供の頃の話ですよ。病気じゃなくて事故だし」
「うそじゃないな?」
「もしかして、本気で心配してくれたんですか」
「当たり前だろ。俺は、お前に心底惚れてんだぞ」

 いつになく弱々しい声に、ほんの少しだけど胸の奥が疼いてしまう。
 胸が疼くとか、リアルにあるんだなと驚きつつ、僅かに項垂れた彼の頭を優しく撫でた。

「……好きじゃないのに、優しくするな」
「別に、好きじゃないってことはないです。大輔さんのことはいい人だと思っているし、ヤンキーのお兄ちゃんのことは好きだったし」
「……お前、ああいうのがタイプか」
「あ、でももうリーゼントはやめてくださいね。あれはダサイです」

 でも粋がっているのにどこか寂しげな顔が放っておけなくて、寄り添ってあげたい気持ちになったのは覚えている。その感情が拙い恋心から来るものだと、知ったのはずっと後のことだ。

「『このお兄ちゃんは私が守らないと!』って思ってたんですよね」
「なんだよそれ。俺に守られろよ」
「いや、うんこ座りでうんこ頭だし、子供心に心配だったんじゃないかなと」

 喧嘩は強いみたいだったけど、どことなく頼りないイメージを私は思っていたのだ。

「でもほんと、立派になりましたね」
「……お前が、結婚するなら社会的ステータスが高い金持ちがいいって言うから頑張ったんだ」
「そんなこと、大輔さんに言いましたっけ?」
「大学のカフェテリアで、友達と話したの盗み聞きした」
「やっぱりストーカーでは?」
「い、家まではつけてない」

 そう言い張るが、怪しい。
 よくよく思い出せば、大輔さんの会社に就職したのは大学の先輩のコネだった。その先輩は大輔さんと知り合いだったし、やたらと「是非来て! お願い! 人手不足なんだ!!」と念押しされたのだ。
 しかしそれは大嘘だった。
 大輔さんの会社は、元々は彼のお兄さんが立ち上げたアパレル会社だった。
 経営がガタガタになったが故に、一家の爪弾き者であった大輔さんはそれを押しつけられる形でCEOの座についたのだ。
 その後大輔さんはネットを駆使した新しい販売戦略で売り上げを伸ばし、今や飛ぶ鳥も落とす勢いで稼ぎまくっているのである。

 入ってみれば人材不足どころか熱意ある若者で溢れた会社だったし、総務を希望していたはずが何故か大輔さんの秘書にされ、話が違うと憤慨したものだ。

 TL展開だったのはあの頃からだなと懐かしく思い出しつつ、その裏に隠れた大輔さんの策略に今更気づく。
 この男、私を囲う気満々だったのだ。
 だからこそ、私が家族を失って路頭に迷ったときも、驚きの速さで助けに来れたのだ。

「契約結婚したいって話も、実は嘘ってオチです?」
「そういえば、頼ってくれると思って……」
「素直にお金貸してくれるだけでも良かったのに」

 私は割と図々しいので、普通に借りたのにと言うと、大輔さんは叱られた子供のようにむくれる。

「だって、お前と一緒に暮らしたかった」

 しかしこの反応は、正直ちょっとキュンときてしまった。
 だって三十五を超えた男が、子供のように拗ねているのだ。
 ちょっといじけながら、私が置いたままにしていたコーラのペットボトルをつついたりしているのだ。

「普段は食事にさえ付き合ってくれないし、夜遅くなっても家まで送らせてもくれなかっただろ。だったらもう、家族にでもならないと近づけない」
「だって大輔さんすぐ奢ろうとするし、上司であり社長を足で使うなんて出来ないでしょう」
「でも俺は、お前のアッシーになりたかったんだよ!」

 そこで恋人になりたいとか言えばもうちょっと格好がつくのに、アッシーとか死語を使ってしまうところがあの悪ぶっていたお兄さんだなぁと、私はしみじみ思う。
 彼はいつも、格好がつかないのだ。
 顔は良いし、喧嘩だって強いのに、リーゼントとか決めちゃうような男なのだ。

「やっぱり大輔さんは、TLの主人公じゃないかもしれません」
「それは、喜んで良いのか?」
「だって大輔さんみたいなイケメンじゃ、絶対売れないし」
「馬鹿にしてるのか?」
「してませんよ。それに売れ線じゃない方が私は好きです。私もほら、売れ線じゃないので」
「どこがだ、お前みたいな可愛い女は他にいないだろ!」

 いやでも、こういう台詞はやっぱり二次元臭いなとも思う。

「大輔さんは性癖と目が狂ってますね」
「俺の目は狂ってない、お前は可愛い」
「ヤンキーやってた人に言われてもなぁ」
「あれは黒歴史だが、お前に惚れたことは俺の人生で唯一まともなことだ」
 
 そう断言するやいなや、大輔さんは私の肩を掴んで引き寄せてくる。
 これはあれだな、よくある初キスシーンだな。

――と思ったものの、キスなんてしたことがない上に、人に掴まれると身構えてしまう私は、そこでついやらかした。

「ていっ!」

 考えるよりも早く身体が勝手に大輔さんの腕を払いのけ、襟をぎゅっと掴む。
 そのまま見事な一本背負いを決めてしまってから、私はやらかしに気がついた。

「すいません、腕が勝手に」
「お前こそ漫画のキャラみたいだろ!! この状況で180超えの男を投げるな!」
「仕方ないじゃないですか、私こう見えて黒帯ですよ。なんちゃってヤンキーとは違うんですよ」
「俺だって喧嘩は強かった!」

 でもさすがにこのタイミングで投げられるとは思わなかったのだろう。受け身も取れずひっくり返った大輔さんは、悔しそうに呻いている。

「それに、するときは事前に言って下さい。急に近付かれると困ります」
「言ったら逃げられるだろう」
「逃げませんよ?」

 その途端、ひっくり返っていた大輔さんが勢いよく起き上がる。さすが自称喧嘩の強い元ヤンキー、恐ろしく機敏な動きだった。

「に、逃げないのか?」
「事前に確認頂ければ」
「でも、俺のこと好きじゃないだろ」
「だからそこそこ好きですよ」
「嘘つけ、キス……するほどじゃないだろ」
「そこで日和るのが大輔さんらしいですよね」

 信じてもらえなさそうだったので、私は背伸びをして大輔さんの唇にそっとキスをしてみる。

「あ、すいません。ポテチ臭いかも」

 今更のように気づいて謝罪した途端、大輔さんはその場にうずくまって固まった。

「もう、死んでもいい……」
「旦那様には長生きして貰わないと、私の老後が困るのですが」
「安心しろ、俺の資産はお前に行くようちゃんと遺言は残してある」
「じゃあ、安心して死ねますね」

 でも愛がちょっと重いですねと言いながら、私は大輔さんの前にしゃがみ込み、真っ赤になっている彼の顔を覗き込む。

「だから、もう一回しませんか?」
「急にやる気を出すな! 心臓が持たん!」
「だってなんか、突然大輔さんが可愛く見えてきちゃって」
「でもしたくないんだろ」
「無いですけど、ここまでヘタレだと前戯にめっちゃ時間かけてくれそうだし、痛がったらちゃんと引いてくれそうだし」

 これが小説だったら前戯だけで100ページ埋めるレベルで優しくしてくれそうだ。
 ならばまあしてみてもいいかなと思っているあたり、自分で思っていた以上に彼に好意を寄せていたのだろう。

 男女の関係にはならないと思っていたれど、契約結婚を受け入れたのはそもそも彼の事が嫌いではなかったからだ。
 社長としては尊敬しているし、誰に対しても優しい彼は憧れの人でもあった。
 私が一番大変なときに支えてくれたし、彼との暮らしは楽しいし幸せだった。
 こうしてダラダラしていたのも、その証である。
 だらしない体勢で帰りを待っていると、大輔さんはいつも笑いながら「ただいま」と言ってくれる。嬉しそうな顔で、「一人で食べるのはずるいぞ」と食べ残しのポテチをせがんでくるのだ。
 その顔とやりとりが大好きだから、私はトドになっていたのである。

「本当に……本当に、好きなんだな? してもいいんだな?」
「でもやってみて無理そうだったら逆に言って下さいね。私が可愛く見える小説の魔法がうっかり解けたりするかもしれないし」
「魔法なんてない。俺は自分の意志でお前に惚れてるし滅茶苦茶可愛いと思ってる」
「その台詞が既に怪しいんですよね。二次元っぽくて」
「でもこれが現実なんだから受け入れろ」

 そう言いながら顔を近づけてくる大輔さんに私の身体が再び強張ったところで、彼はハッと我に返る。

「き、キスしても良いか?」
「覚えが早くて助かります」

 そして私は、大輔さんのキスを受け入れてみた。

 やっぱり私はTLの世界に転生している。
 そう確信するほど、大輔さんのキスは甘くて優しい。

「大輔さん、私たぶん泥沼の嫁姑関係にも耐えられそうです」

 このキスのためなら、シリアス展開も耐えられる気がする。
 そう思って笑うと、大輔さんはばつの悪い顔をする。

「……すまん、俺の家庭環境がひどいのは半分嘘だ。昔はひどかったが、うちも両親と兄が死んで、まともな親戚しか残ってない」
「え、じゃあ婚約者の下りも嘘?」
「かつては候補が何人もいたが、やつらを全員排除するために俺はうんこ座りをしていた」

 そして効果は抜群だったらしい。

「その上未来の嫁まで見つけられるなんて、黒歴史も一つくらい作っておくものだな」

 しみじみ言う大輔さんの顔を見た限り、もしこれがTLの世界だとしてもラブコメ路線らしい。
 それにほっとしつつ、私は大輔さんに寄り添う。
 元ヤンキーの無駄に固い胸板に頬を寄せると、彼の鼓動がもの凄く早いことに気づく。

 これが小説だったら私の方がドキドキすべきだろうが、どう見ても大輔さんの方が余裕がない。きっと、私がいるのはかなり特殊でラブコメな世界線なのだろう。
 だとしたら自分と大輔さんの恋愛も楽しく幸せに続くのかもしれない。

「いやむしろ、続かせるのがヒロインとしての仕事か」

 そんなことを思いながら、私は幸せのあまり気絶しそうになっている夫の顔を指でつつく。

「そういえば大輔さん、いつもは隠してる本音がなぜ今日はこぼれちゃったんですか?」
「お、お前がヘアピンで雑に前髪をとめてる姿が、ものすごく可愛くて、つい……」

 どうやらこの男は、ヘアピンフェチだったらしい。

「変態も過ぎると、小説の売り上げ下がりますよ?」
「だから俺は小説のイケメンじゃない! お前の夫だ! それにヘアピン好きくらいで変態扱いはひどいだろ!」

 でも他にも、彼は何かしらの変態属性を隠し持っている気がする。
 そしてそれを暴くのも楽しいかもしれないと思いながら、私は売れ筋とは少し外れた夫を笑顔で眺め続けたのだった。


 契約結婚から溺愛に派生するTL小説の世界に転生したようです【END】