普通ではない私は、中学生の時まで、同級生から暴力行為を奮われていた。私は同級生に危害を加えてはいない。所謂、謂れのない暴力だ。この同級生の暴力行為が、虐めであるとその時に学んだ。
 感情の分からない私も、痛みは分かる。
 殴られて切れた口の中に広がる血を味わい、私は血の味を学習した。
 私以外にも暴力を奮われていた生徒がいた。
 佐藤志織だ。
 佐藤志織に暴力を奮う生徒は皆、佐藤志織の悪口を言っていた。
 悪口とは、何をもってして悪口なのか理解出来なかった私は、佐藤志織を通して悪口というものを学んだ。
 バカ、ブス、気持ち悪い。
 これらの言葉を言われた佐藤志織は泣いていた。
 これが両親が私に教えた、悲しむという行為なのだろう。
 私はこうして人の感情というものを目の当たりにして、人がどのような時に感情を使うのか学習していった。
 私は佐藤志織とクラスが一緒だった。
 佐藤志織は中学二年の時に自殺した。
 佐藤志織が自殺した翌日に学校へ行くと、机の中に佐藤志織からの手紙が入っていた。
 私の机だけではない。
 クラスメート全員の机に入っていた。
 手紙には、佐藤志織の感想が書いてあった。
 憎い、辛い、殺したい、死にたい。
 手紙にはそのような言葉が、紙一面にいっぱい書いてあった。
 手紙の文章の前後から判断するに、それらの言葉は、虐めに対しての佐藤志織の感想だ。
 私も虐められていた。しかし、佐藤志織が思った事を、私は思った事がない。
 佐藤志織の手紙には、虐めを止めて欲しいとも書いてあった。
 止めて欲しいと思うのは、嫌悪感があるからだろう。私は嫌悪感というものを抱いた事はない。だから、止めて欲しいとも、思った事がなかったのだ。
 虐めは私にとってはただ痛いもの。ただそれだけのものだ。
 中学を卒業するタイミングで、私達家族は隣の県に引っ越しをした。引っ越しをしたのは、私が原因であると、後に両親から聞いた。私の虐めに合う環境を変える為に、引っ越しをしたのだそうだ。その結果、中学生の同級生が誰もいない高校に、私は入学した。私が虐めを受けていた事を知る者が、誰もいなくなったのだ。
 高校生になった私の下駄箱には、毎日手紙がたくさん入っていた。
 好き、愛してる、付き合ってください。
 全て私に当てられたら言葉が、手紙には綴られていた。
 これが俗にいう、ラブレターなのだろう。
 私の顔は普通ではない。
 それを教えてくれたのは、高校一年の時に同じクラスメートになった、榊原茜だ。
 榊原茜は私と出会った初日に、友達になって欲しいと言ってきた。
 私は友達という言葉も意味も知っている。しかし、何故に友達にならなければいけないのか、私には分からなかった。だから私は断った。しかし、榊原茜は毎日友達になりたいと言ってきた。
 私は友達というものを学習する為、榊原茜と友達になった。
 その榊原茜が、私の顔は美し過ぎると言ったのだ。
 人間に生まれたのならば、女は美しい方が子孫を残せる可能性が上がるだろう。
 私は子孫を残したいとは微塵も思わない。しかし、私は学習する為に、手紙を渡してきた男と性交渉を行ってみた。
 痛い。
 性交渉は、ただただ痛いものだった。
 性交渉を終えた男は笑顔を作り、私に抱き付いてきた。
 男が女に抱き付くのは、愛しいからだ。私はそれを知っている。男は私を愛していたのだ。
 愛というものを学習する為、私は男を抱き締め返した。
 苦しかった。愛とは苦しいものだ。
 私と性交渉をした男の名前は平山竜二。
 顔は堀が深く、日本人というよりも西洋人に近い顔立ちをしている。
 平山竜二とは日々デートというものを重ねた。遊園地、動物園などの様々な場所に二人で行った。そして私は、デートとは疲れるものだと学習した。
 平山竜二とは、今でも交際関係にある。平山竜二と私は、同じ家で暮らしている。俗にいう夫婦のようなものだ。平山竜二は結婚前の同棲だと言っている。時期は未定だが、平山竜二とは婚姻関係となる予定だ。
 私の腹の中には、卵子が精子と結合して出来た生物がいる。私は平山竜二以外の男と性交渉をした事がない。精子は平山竜二の物だろう。
 私は現在、妊娠八ヶ月目である。
 私はこの生物を産み落とすつもりだ。
 平山竜二が産んでくれと頼んだからではない。全ては私の意志。私は学習する為に産み落とすのだ。
 私は学習する事を糧としている。
 私の両親は、事ある毎に勉強しろと言っていた。
 普通ではない私が生きて行くには、良い大学を出て、少しでも就職を有利にするしか道は無いと言っていたのだ。その意見に私は納得した。
 私は生きたいとか、死にたいとか、考えた事はない。
 人間いずれは死に絶える。永遠の命など存在しない事は、既に学習済みだ。
 私は腹が減れば、食料を口に運ぶ。味覚はあるが、味など気にした事はない。
 人間が食べられる物ならば、何でも良いのだ。
 人間として生まれた本能がそうさせているのだろう。私は腹が減れば物を食べる。しかし、食べるには金が必要だ。金が必要なのは、食糧だけではない。衣食住の残りである、洋服や家にも金は必要なのだ。
 金は、労働の対価として支払われる事が多い。それ故に人間が金を手に入れるには、働かなければいけないのだ。それを私は学習済みだ。
 普通ではない私が仕事に就くには、普通の頭脳では駄目だと両親は言っていた。だから、私に勉強をしろと言っていたのだ。
 私は衣食住の為に学習をし、データーを頭に叩き込まなければならない。
 私は幼い頃から学習してきた。
 普通の人間ならば、学習しようとしない事まで学習してきた。具体的に例を上げるならば、生物の解剖だ。
 初めて解剖したのは、カマキリだった。メスカマキリの頭をもぎ取り、カッターで腹を裂いた。
 腹の中には卵のような物体が無数に存在していた。産卵前のカマキリだったのだろう。
 解剖し終えたカマキリを私は食べた。腹が減っていた訳ではない。味を学習する為に食べたのだ。
 昨日は鳩を解剖した。
 公園で捕まえた鳩を家に持ち帰り、私は万能包丁で鳩の頭を叩き落とした。解剖後の味の学習も怠ってはいない。
 これは私が学習した事を忘れない為に書き留める学習ノートである。そして、自叙伝でもある。
 私の名前は園山美玲。性別は女』

 ドアが開く音を聞き、美玲はペンを置いた。

「美玲…どうした電気も付けないで」

 壁にある電気のスイッチを入れながら、平山竜二が部屋に入ってきた。

「自叙伝を書いていた」

 美玲は振り返り、閉じたノートを竜二に向かい突き付けた。

「へぇー自叙伝か、見せて見せて」

 竜二は彫りの深い顔に笑顔を作り、美玲に近付いた。

「自叙伝は完成途中で見せる物ではない。それを私は学習済みだ」

 美玲は表情一つ変えず、ノートをパジャマの下に隠した。

「そうだな。完成したら見せてくれ」

 美玲の子供のような行動を見て、竜二は顔をしわくちゃにして微笑んだ。

「分かった、完成したら見せよう。それを私は約束しよう」

 美玲は、竜二に小指を立てた右手を突き付けた。
「あぁ、約束だ。指切りげんまん嘘付いたら針千本飲ーます。指切った!」

 竜二は美玲の小指に絡めた小指を、笑顔で振り払った。

「嘘付いたら針千本など飲まぬぞ。針には栄養素などない事は学習済みだ。それ以前に、私は嘘など付いた事はない」

 美玲は真っ直ぐな視線を竜二に向けた。

「そうだな!美玲の言う通りだ!針なんか飲まさないぞ!」

 竜二は幸せを噛み締めるように、何度も頷いた。

「時に平山竜二。私は腹が減った。妊娠中の女を介護するのは、種主の役目だと私は学習済みだ。飯をくれ」

 パジャマの下に隠したノートを取り出すと、美玲は腹を擦った。

「あぁ、今何か作るよ。待っててくれ」

 竜二は腕捲りしながら部屋を出て行った。
 美玲は机から離れると、近くにあるベッドの上にゆっくりと身を沈めた。そして、腹の中にいる胎児に向かい話し掛けた。

「今から腹を満たす為に飯を食う。私が体に吸収した栄養素は、へその緒を伝い、お前の生きる糧になるだろう」

 美玲は妊婦教室で学んだ胎教を、彼女なりの解釈で実践している。

「お腹の中の子に優しく語り上げてください」

 これは妊婦教室の講師の言葉である。しかし美玲は、優しさというものを完全に理解していない。彼女は自分なりに解釈し、子宮の中にいる我が子に話し掛けているのだ。

「お前の性別は女だ。女というものは男に比べ不便な体をしている。お前はまだ知らないだろが、女には生理という男にはない現象がある。生理とは、月に一度膣から出血する現象だ。この現象が何日も続く。生理になると体が重くなり、乳房に触れると、痛みを感じるのだ…」

 美玲は、お腹の中にいる我が子に向けるには相応しくない話しを続けた。

「美玲できたぞ!」

 部屋の外から竜二の呼ぶ声が聞こえた。

「飯を食べてくる。胎教は終わりだ」

 ベッドから起き上がった美玲は、ドアを開けた。
 ドアの先には、テーブルに座る竜二の姿がある。
 そしてテーブルには、湯気立つ炒飯の入った皿が二つ置いてある。

「食べよ食べよ!」

 席に着いた美玲に、竜二はスプーンを突き出した。

「うむ。いただきます」

 受け取ったスプーンを一旦テーブルに起き、美玲は両手を合わせた。

「いただきます」

 竜二も両手を合わせると、スプーンを握り締めた。

「…我ながら美味いな…どうだ美玲?」

 一口炒飯を食べた竜二は、期待を込めた視線を美玲に投げ掛ける。

「…どうだとは、何がだ?」

 美玲は咀嚼し終えた炒飯を飲み込むと、首を傾げた。

「味だよ。美味くないか?」

 竜二はスプーンを子供のようにブンブンと振り回した後、不安そうな顔を浮かべた。

「味?味は塩と胡椒と酒と醤油と米とネギと」

「ストップ!ストップ!美味いか美味くないか聞いてるんだよ!いつも通りの味の解析はいいから、今日こそは聞かせてくれ!美味いか?」

 言葉を遮り、美玲の前に手を差し出した竜二は、期待の籠もった瞳で美玲の表情を伺う。

「美味い、美味くないの違いは分からない。私は飯を食べれる物か食べられない物かでしか判断した事がないからな」

「それは知ってるよ。でも好きか、嫌いかで言ったらどっち?」

「好きも嫌いも分からない。私は好きも嫌いの感情も分からないからな」

「うーん…また、食べたい?」

 竜二は困り顔で尋ねた。

「私は人間が食べられる物なら、なんでもいい。食事を再開していいか?口に飯が入った状態での会話は、礼儀に反すると私は学習済みだ」

 美玲は炒飯を凝視したまま言った。

「うん、ごめん。食べよう」

 竜二は苦笑いを浮かべた。
 時間が過ぎた。

「もう一時だな…俺もう寝るけど、美玲はまだ寝ないのか?」

 食後のお茶を飲み終えた竜二は、壁に掛けられた時計を見て、欠伸をこらえた。

「私はもう寝る。睡眠不足は妊婦の体に悪いからな。その前に歯を磨かなければならない。しかし、食後三十分以内に歯を磨くと、エナメル質が欠損するのは学習済みだ」

 美玲はそう言うと、時計を見詰めた。

「へぇーそうなんだ。美玲は相変わらず物知りだな…じゃあ俺も、三十分ぐらい置いてから歯を磨いて寝るよ」

「うむ。後二十二分すれば、私は食後三十分が経過する」


「…なぁ美玲、明日産婦人科の定期検診だよな?」

「そうだ。平山竜二は会議があるから行けないんだったな」

「外せない会議なんだ…俺がいないと始まらないからな」

 竜二はそう言うと、溜め息を付いた。
 竜二は大学生である。そして、高校三年の時に自ら立ち上げたデザイン会社の経営をしている。
 社員は五名とまだ少ないものの、業績は前年度に比べると倍以上で、これからを期待されている会社だ。
 明日、いや後数時間後に開かれる会議では、これからの会社の将来を、大きく左右する議題を話し合う予定だった。

「…もう三十分経ったな」

 壁に掛けられている時計を確認した竜二は立ち上がった。

「うむ。私は歯を磨いて寝る」

 美玲も立ち上がると、二人は洗面所へと向かった。
 歯を磨き終えた二人は、寝室の同じベッドに潜り込む。

「…おやすみ」

 美玲のお腹に手をあて、愛しの我が子と会話を堪能した竜二は、大きな欠伸を掻いた。

「うむ。おやすみ」

 美玲は静かに目を閉じ、呟いた。
 程なくして寝室には、二人の寝息が木霊した。
 午前九時ジャスト。美玲は両目を開いた。
 ベッドから起き上がった美玲は、寝室を出ると洗面所へと向かう。そして、てきぱきと顔を洗い、口を濯ぐと水を止めた。
 リビングに向かった美玲の目に、トーストとベーコン、スクランブルエッグ、そしてサラダが載ったテーブルが写る。
 既に家に居ない様子だが、竜二が用意してくれた物だろう。

「いただきます」

 両手を寸分違わず合わせた美玲は、食事を開始した。
 食べ物を口に入れ、頭の中で三十回数えながら咀嚼し飲み込む。その行為を繰り返した美玲の目の前に置かれた皿は、残骸さえ残らぬ程、綺麗な空となった。

「ごちそうさま」

 食事を終えた美玲は、食器を台所に持って行き、洗い物を始めた。
 食器を全て洗い終えた美玲は、蛇口を止め、シンクに残った水滴を布巾で拭いていく。
 光沢を取り戻したシンクに別れを告げ、美玲は寝室に向かった。
 パジャマからゆったりとしたマタニティードレスへと着替え、美玲は呟いた。

「食後三十分経ったな。歯を磨く時間だ」

 再び洗面所に向かった美玲は、歯を一本一本丁寧に磨いていく。
 歯を磨き終わり、口を濯いだ美玲は、鏡に向かい歯を剥き出しにした。

「磨き残し無し」

 美玲は呟くと、荷物を持って家を後にした。
 マンションを出た美玲は、大きなお腹を抱え、ゆたゆたと歩道を歩く。
 美玲が産婦人科に向かい、十五分が経過した。

「誰か、その男を捕まえて!」

 突然、女性の声が響き渡った。
「退け!」

 美玲は、ひったくりを働いた男により突き飛ばされた。
 歩道から飛び出した美玲の目前に、大型のトラックが迫る。
 トラックの運転手は、凄まじい音を鳴り響かせながらブレーキを踏み込んだ。
 美玲は首を傾げ、トラックを見据える。

「ドン!」

 その音と共に、美玲の体は宙に舞った。
 美玲は病院のベッドの上で目覚めた。
 目を見開いた美玲の前に、涙を流す竜二の姿が写る。

「美玲!大丈夫か!?」

 竜二は触れている美玲の手を、力強く握り締めた。

「私は何をしていた?此処は何処だ?」

「…ここは病院だ、美玲は車に轢かれたんだ…今医者を呼ぶからな」

 竜二は美玲の手を離すと、ベッド近くに設置されているナースコールを押した。

「…どうかされましたか?」

 スピーカーを通して、看護士と思われる女の声が聞こえてくる。

「彼女が目を覚めました」

「分かりました、直ぐ行きます」

 看護士との会話を終えた竜二は、再び美玲の手を握り締めた。

「車とはトラックの事か?」

 美玲はじっと竜二の目を見詰めた。

「そうだよ…痛い所とか無いか?」

 竜二は心配そうな瞳で美玲を見詰め返した。

「あちこちに痛みはある。しかし一番痛みを感じるのは、腹だ」

「…そうか」

 竜二は呟くと、涙を堪えた。

「…園山さん、失礼します」

 医師の片桐が看護士を連れ、病室に入ってきた。

「ちょっと体に触れますね」

 片桐は、美玲に掛けられている布団をゆっくりと捲った。