彼が迎えに来た夜、私は仕事部屋に呼び出されて、廉冶さんの向かいに座った。
廉冶さんの仕事部屋も、純和風だった。
障子に畳、壁には掛け軸、部屋の中は墨の香りがする。
「話って、何でしょう?」
「これからの生活についてだ」
「はい」
「婚姻届とか、そういう正式な書類は弥生の気持ちの落ち着いた時でいい。
ただ、この島の人間に聞かれたら、もう結婚してるって答えた方がいいかと思ってな」
廉冶さんは淡々した様子でそう言った。
「そう……なの?」
「あぁ。この島、老人が多いからな。結婚してないのに一緒に住んでるって言うと、色々詮索されると思うんだ。マオもいるし。
まぁ弥生が会う人間会う人間に根掘り葉掘り聞かれるのが気にならなかったら、どちらでもいいんだが」
「いや、それはちょっと嫌かな」
確かに狭い島で、住んでいる人も限られている。
こういうところでは、いい噂も悪い噂もすぐに広まるだろう。
余計な波風は立てたくない。
「えっと、じゃあ、誰かに聞かれたら廉冶さんの奥さんということにします」
「あぁ、そうしてくれ」
話が終わりそうになったので、私は廉冶さんに問いかけた。
「あの!」
「うん?」
私はきゅっと拳を握り締めて言った。
「マオ君のお母さんって、その……」
「あぁ、マオの母親な」
廉冶さんは、昔のことを思い出すように、遠い目をした。その眼差しは、なんだか少し悲しげに見える。
「マオの母親は、もういないんだ」
「いない……って」
それは、どういう意味だろう。
ここを出て行ったのか。それとも……。
考えていると、廊下からマオ君がパタパタと走ってくる足音が聞こえた。
それに気づいた廉冶さんは、立ち上がってこちらに振り向く。
「悪い、なるべくマオ本人には聞かれたくない。また今度、ゆっくり話すから」
今度っていつ!? ものすごく大切なことだと思うんだけど!
質問を続けようとしたけれど、マオ君がキラキラした顔で部屋に入ってきて、廉冶さんに飛び乗ったので、私は何も言えなくなった。
廉冶さんは、走ってきたマオ君を抱きしめ、ぐるぐるとその場で回転する。
マオ君はきゃっきゃと声を立てて喜んでいた。
私はそんな二人の姿を、ぼんやりと眺めていた。
廉冶さんは私の部屋として、和室を一部屋自由にしていいと言った。
物がほとんどなく、あるのは洋服箪笥と布団が一組くらいだ。
私は部屋の襖を閉め切り、頭を抱える。
「私、本当に廉冶さんと暮らして大丈夫なの!?」
確かに私は廉冶さんと幼い頃に結婚の約束をして、きっとずっと彼を待っていた。
待っていた、けれど。ハッキリ言って、今は完全に他人だ。
何年も会っていないんだから当然だけど、私は廉冶さんのことを何も知らない。
というか、あんなに格好いい人に突然結婚しようと言われるなんて、結婚詐欺かドッキリと言われた方がしっくりくる。
「やっぱり騙されてる……?」
マオ君の母親がいないっていうのも、どういうことなんだろう。
気になることだらけだけど、ここを出てしまうと、私にはどこにも行く場所がない。新しい仕事の当てもないし、住む場所も決まっていない。
とりあえず保留にして。
しばらくはこの家に住んで、色々と見極めることにしよう。