廉冶さんは音がしないようにそっと立ち上がり、私を手招きした。
 そして廉冶さんの仕事部屋に移動し、互いに向き合って正座する。

「まったく、俺が言おうと思ってたのに、先にマオに言われちまうんだからな」

「言うって、何を?」

 廉冶さんは、少し照れくさそうに笑った。

「きちんと弥生にプロポーズしてなかった気がしてな」

 心臓がドキリと高鳴った。

「あの……ずっと思ってたの。どうして私だったのかなって」

 廉冶さんは昔を懐かしむように、目を細める。

「天地創造の話って知ってるか?」

「うーん、何となく聞いたことはあるかな……」

「旧約聖書の創世記だ。
一日目、神は天と地を創造し、昼と夜を創った。
二日目に、空を創った。
三日目は大地を創り、海が生まれ、草樹を芽生えさせた。
四日目に、太陽と月と星を創った。
五日目は魚と鳥を。
六日目は獣と家畜を。それから、神に似た人間を創った。
そして、七日目に休息をとった。そういう神話だ」

「壮大な話だね」

「あぁ、俺はそこまで壮大ではないけどな。
だけどこの島を創り、見守るのが、俺の神としての、一番重要な仕事だった」

 私は驚いて目を見開いた。

「廉冶さんがこの島を創ったの?」

「ああ、そうだ」

「そうだったの……」

 海に囲まれた、坂道だらけのこの小さな島の大地も、草木も。
何もかもを彼が創ったのだと思うと、大好きなこの島が、さらに特別に思えた。

 私はどうしても聞いておきたいことを彼にたずねる。

「ということは……廉冶さんって、二十代後半に見えるけど、本当はもっとすごく歳を重ねているのね!?」

 それを聞いた廉冶さんは、カラカラと笑った。

「この話を聞いて、一番に気になるのがそこかよ!」

「だって、重要なことじゃない……」

 廉冶さんは笑いながら言った。

「まあそうだな。弥生が思ってるよりは、ずっと長生きだよ」

「へえ……」

 いったいいくつなんだろうと思ったけれど、彼の話の続きに耳を傾けた。

「この島を見守るのが、俺の役割だった。
でも、最初は力が未熟だったのもあって、うまくいかないことだらけでな。力が暴走したり、人間の気持ちが理解できなかったりして、何で俺がこんなことをしなければならないんだろうと、やる気を失ってた時期があった」

 廉冶さんの視線が、真っ直ぐに私を見つめる。

「そんな時、弥生に会ったんだ」

 私は遠い夏の日、泣いていた廉冶さんを思い出した。

 一目見た時から、彼が人間でないと分かった。
 そして、彼が孤独であることも、伝わってきた。


「初めて、人に優しくされた。
そして初めて恋に落ちた。
初めて誰かのことを、特別な存在だと意識した。
だから俺はどうしても、弥生と結婚したかったんだ」

 彼の大きな手が、私の手を包む。

「たとえ持っている力の、すべて失ってもいいから」

 その言葉はきっと、私が考えているよりも、ずっと重い。

「……どうして私だったの。だって他にも、素敵な人がいくらでもいるんじゃないかって思うの」

「理由なんか分からないな。
少なくとも俺にとっては世界中の誰より弥生がかわいいし、世界中の誰よりも弥生のことを愛している。
それじゃ理由にならないか?」

 胸が熱くなり、私は首を横に振った。

「何だか、もったいなくて、まだうまく言葉をのみこめていないけど」

「いいよ、これから何度でも伝えるから」

 そう言われると、さらに顔が熱くなった。

「それに、俺は勘違いしていたよ。
全部失う覚悟で神の力を放棄したけれど、マオと弥生には、たくさん幸せをもらった。
俺は幸せだ」

 私も彼と同じ気持ちだった。

「弥生、俺と結婚してくれるか?」

 私は嬉しさで涙がこぼれそうになるのを感じながら、しっかりと頷いた。

「廉冶さんとマオ君と、三人で過ごす時間、私もすごく幸せだよ。
こういうのが家族なのかなって、最近よく考えるようになって。
私も廉冶さんと、ずっと一緒にいたいな。
それで、マオ君が成長するのを、見守って行けたらいいなって思うの」

 廉冶さんはやった、と叫んで私をぎゅうっと抱きしめた。

「ちょっ、廉冶さ……!」

 ふわりと身体が浮いて、そのまま畳の上に押し倒され、唇が重なる。
 私は彼の背中に手を回し、すぐ近くにある廉冶さんの顔を見つめた。

「夢みたいだ」

 熱に浮かされたように、そう呟いた彼が愛おしいと思う。

 廉冶さんの骨張った手が、頬に触れた。

「身も心も俺の物になる覚悟はできたか?」

「ま、まだです!」

 そう答えると、廉冶さんは少し残念そうに笑い、私の額にキスを落とした。

「いつになったらできる?」

「す、少しずつ、段階を追って……」

 そう答えると、彼はおかしそうに微笑む。

「前にたずねた時から、あんまり変わってない気がするけどな」

 私は最初にこの家に来た時のことを思い出し、首を横に振った。

「全然違うよっ!」

「へぇ? どこが?」