シロさんが亡くなった翌日の夜。
 
「マオ君、お出かけしようか?」

 そう問いかけると、居間で力なく横たわっていたマオ君は、ゆるりと視線を上げた。

 シロさんが亡くなってから、マオ君は何もする気が起きないというように、心ここにあらずという感じで、ぼんやりしている。
 悲しくて当たり前だ。

「僕、どこにも行きたくありません」

 予想した通り、マオ君はそう言ってまた椅子の上で丸まろうとする。
 けれど廉冶さんはマオ君の手を引いて、少し強引に誘い出す。

「マオが出かけたくない気持ちは分かるが、それなら今日はなおさら行った方がいい。きっと、シロに会えるよ」

 それまで虚ろだったマオ君の瞳に、光が宿る。

「先生に、会えますか?」

 廉冶さんはにこりと微笑んで言った。

「あぁ、きっとな」

 私は驚いて廉冶さんのことを見つめる。
 廉冶さんは、大丈夫だというように頷いた。 


 ※※※


 私たち三人は坂道を下り、海岸にやって来た。
 波が寄せては返す音が、私たちの耳に届く。
 道を歩いている間も、上から明るい火の色が見えていた。

 マオ君は海岸沿いで燃えている松明を見て、息をのむ。

「これが送り火ですか?」

「そうだよ。マオも準備を手伝ってくれただろう」

 海岸沿いに何百メートルにも渡って並んだ松明は、まるで炎の道のようだった。
 その幻想的でどこか儚く寂しい光景に、私は瞬きも忘れ、しばらくみとれていた。
 
 今日は『海の送り火』の日だ。

 この島での一大行事なので、島中の人たちが集まり、炎の道を見守っている。
 炎からは、灰色の煙が幾筋にも渡って立ち上っていた。

「マオ、見てみろ」

 廉冶さんが、その煙の中を指さした。
 マオ君は、不思議そうにそれを見つめ、信じられないように、ごしごしと目を擦る。
 
 煙の中に、ぼんやりと小さな影が浮かんでいる。
 その影は、やがてハッキリとした形を持って、動き出した。


「あれ、先生ですか……?」

 私もハッとして、マオ君と同じ場所へ目を凝らす。


 炎の道のすぐ近くを歩く白い猫は、確かにシロさんだった。

 少し、身体が透けているようにも見える。
 重い肉体を捨て去ったせいか、縁側にいる時はずっと眠っていたシロさんが、軽やかに海岸を歩いている。

 マオ君は興奮した声で言った。

「先生の側に、おばあさんがいます!」

 そう言われて、私も煙の中を見ようと再度瞬きした。

 確かにシロさんの側に、小柄なおばあさんが立っている。

 優しげなおばあさんは、こちらに向かってにっこりと笑みを作り、お辞儀をした。
 それから腰を曲げ、両手を広げて、シロさんのことを抱きしめる。
 まるで我が子を慈しむように。

 シロさんを抱き上げたおばあさんは、ゆっくりと海の方へ歩いて行く。

 廉冶さんが穏やかに言った。

「あれがきっと、静子さんだろう」

 マオ君は、やわらかい笑みを浮かべて言う。

「そっか……先生、静子さんに会えたんですね。よかった……!」

 シロさんを抱いた静子さんは、そのままふわりと煙の中へ消えて行った。
 きっとこれから二人は、ずっと一緒にいられるのだろう。

「よかったね、マオ君」

 そう言うと、マオ君は嬉しそうに頷いた。

「はいっ!」


「それにマオ、向こうを見てみろ」

 廉冶さんはしばらくした後、また煙の中を指さした。

 廉冶さんに抱きついていたマオ君は、自分の足で砂浜に立ち、じっと灰色の煙に目を凝らす。

「……お母さん」

 私もハッとして、その煙の中にいる何かを探す。