翌朝私は、マオ君が懸命に何かを頼んでいる声で目が覚めた。

 声の聞こえてくる居間に行くと、椅子に腰掛けている廉冶さんに向かって、マオ君が必死に叫んでいた。

「お父さん、お願いです!」

 何事だろうと驚いた私は、黙って二人の様子を見守る。

「シロ先生を、家の猫さんにしてください! お願いします!」

 廉冶さんは静かにマオ君の言葉に耳を傾けている。

「僕、お手伝いもなんでもやります! 今までよりいっぱい頑張ります!」

 私が立っているのに気が付いたマオ君は、こちらに向かって叫んだ。

「お願いです、弥生も一緒に頼んで下さい!」
「マオ君……」

 私はどうすればいいのか分からず、困惑することしかできなかった。

「先生、あの家にいると、これからもきっと危ないことがあります! 
台風とか、雨とか……お家が古くて、崩れるかもしれません。だから、この家で一緒に暮らしたいです。お願いします!」

 私は昨日の、雨が吹き込み、雨漏りもしていた静子さんの家の様子を思い返す。
 マオ君の考えは、十分に理解できた。何の事情もなければ、私もきっとマオ君に賛同していただろう。

 ――だが。 
 沖田さんの辛そうな表情を思い出し、胸が痛んだ。
 沖田さんは「シロはあまり長く生きられないだろう」と言った。

 だとしたらシロさんにとって、最善は何だろう?

 何が正解なのか、私には分からない。

 廉冶さんはマオ君をなだめるように、低い声で言う。

「シロは、あの家で暮らすのが一番幸せだと思うぞ」

「でも……!」

「シロはかなり歳をとっている。一緒に暮らすのは、すごく大変なんだ。
家族が身の周りの面倒を、すべて看なければならないかもしれない。
病気になって、たくさん苦しむかもしれない。一度飼い主になれば、もう投げ出すことはできない。マオには、その覚悟はあるか?」

 マオ君はまっすぐに廉冶さんを見つめかえし、ハッキリとした声で返事をする。

「はいっ!」

 マオ君の決意は、最初から揺らがないものだったようだ。

 私は昔、捨てられている猫を拾いたいと言って泣きじゃくったことを思い出した。
 マオ君はその時の私より、ずいぶんしっかりしている。

 マオ君の言葉を聞いた廉冶さんは小さく溜め息をついて、彼の頭をぽんぽんと撫でた。

「……分かった。いいよ」

 マオ君は信じられないというように目を見開き、それから歓声をあげる。

「本当ですか!?」

 マオ君の頭から久しぶりにぴょこんと猫の耳が飛び出し、尻尾がぴんと立つ。

「ありがとうございます、お父さん!」

「あぁ、シロを迎えに行こう。ただし、シロの意見が一番だからな。シロが嫌がったら、諦めるんだぞ」

「はいっ!」

 私は嬉しそうなマオ君の様子に、きっとこれでよかったのだろうと、薄く微笑んだ。

 マオ君は、猫と話すことができる。
シロさんに聞いて、シロさんが一緒に来たいと言えば、この家で暮らせばいいし、静子さんの家がいいのなら、今までのようにシロさんのことを見守ろう。