とりあえずいい天気だし洗濯物をして掃除をしようと考えていると、廉冶さんに作った朝ご飯がまだ残ったままなのに気づいた。
 私はするると廉冶さんの仕事部屋の襖を開く。

「廉冶さん」

 ひっそりと声をかけると、筆を持っていた彼は視線を上げた。
 仕事部屋の床いっぱいに、失敗作だと思われる半紙が散らばっている。

「あぁ、弥生か」

大きな作品展が近いらしく、ここ数日の廉冶さんはもの凄く忙しそうだ。
いつもなら一緒にご飯を食べるけれど、最近の廉冶さんは一人で部屋に籠もっている時間が長い。

 納得がいく作品が書けないらしく、ずっと難しい顔をしている。

 廉冶さんは自分のことを天才だなんて言っていたけれど、彼が作り上げたものはすべて、廉冶さんの努力の結果だ。少なくとも、書道においては確実に。

 神様だから、てっきり特別な力を使って、何だって簡単にできてしまうのかと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。

 作品展があるからといって、他の仕事も厳かにはできないと言い、島の人への書道教室も継続している。
 こちらは週に数回、時間は気まぐれにだけれど、生徒さんが来た時は廉冶さんは丁寧に指導するし、提出された作品があれば何十枚も添削する。

「廉冶さん、朝ご飯、まだ食べてないですよね」

「悪い、昼に食べるから置いておいてくれるか?」

「それはいいですけど……」

 廉冶さんはそう答えると、またすぐに筆をとる。
 邪魔をしたら悪いと思い、私はそのまま襖を閉めた。

 最近の廉冶さんはまともにご飯を食べていないし、おそらく睡眠時間も短い。
 身体を壊さないか心配だけど、お仕事が大変なのも分かるし、どこまで口を出していいのか迷ってしまう。

 そもそも神様だし、普通の人間とは身体のつくりが違うのかもしれない。
 そうだとしたら、余計なことを言わない方がいいのだろうか。

 けれど、最近の廉冶さんは見るからに顔色が悪い。
 やはり一度強く休憩をすすめたほうがいいだろうか。

 いやしかし……。
 堂々巡りで、答えは出なかった。



 その日の夜も、廉冶さんは仕事部屋にこもりっきりだった。
 マオ君と二人で夕食の準備をして、二人で向かい合って食べる。 

「お父さん、今日もお仕事ですか?」

「うん……」

 マオ君はあきらかにしゅんとした様子でおかずをつついた。

「最近、お父さんと一緒にご飯を食べられないから、ちょっと寂しいです」

「そうだよね。マオ君、廉冶さんって、お仕事が忙しいといつもあんな感じ?」

「はい。一年に一度、大事な展示会があって、その時はいつもお部屋で難しい顔をしています」
「そっか」

 廉冶さんは大丈夫だろうか。
 それにしても、二人での食卓がこんなにさみしいと思うなんて、少し不思議だ。

 少し前までは、ずっと一人で食べていたのに。
 自分でも理解していなかったけれど、もしかしたら私はずっと寂しかったのかもしれない。

 食事の片付けが終わると、私はマオ君の頭を撫でた。

「マオ君、お風呂一緒に入る?」

 そう誘うと、マオ君の背中から尻尾が現れ、ピンと立つ。それからしっぽの先をぴくぴくと動かす。

「ぼ、僕は将来立派な大人になるので、お風呂は一人で入れます!」

「えー、そうなの?」

「そうです!」

 マオ君は兵隊みたいにシャキシャキ歩きながら、居間を出て行ってしまう。照れているのかな。
  
 いなくなったかと思いきや、マオ君は壁の影からチラリとこちらを覗いた。

「でも、弥生がどうしてもと言うなら、一緒に入ります」

 私はくすくす笑いながら、「そうしよう」と答えた。