「弥生、幼稚園に行きましょう!」
「はーい。廉冶さん、私マオ君を送ってきますから」
「ああ、行ってらっしゃい」
体験入園では色々あったけれど、マオ君はあれから毎日幼稚園に通うようになった。
まだ心配ではあるけれど、マオ君は幼稚園に行きたがっているし、本人が楽しそうなので、しばらくは見守ることにした。
私はマオ君にお弁当を渡す。マオ君は嬉しそうに両手を出してそれを受け取った。
「今日のおかずは何ですか?」
「今日のお弁当は、卵焼きとたこのウインナーと、いんげんのごま和えときんぴらゴボウだよ」
そう答えると、マオ君はぱっと表情を明るくする。
「うわぁ、早く食べたいです」
私はマオ君と手を繋いで、幼稚園までの道を歩く。今日も快晴だ。二人でゆっくりと坂道を降りて行く。
馴染みの猫が、マオ君の姿を見てにゃあ、と挨拶した。
マオ君は嬉しそうに猫たちに手を振った。猫たちはみんな、屋根の上や塀の上でごろんと寝っ転がっている。
「もうすぐ七月も終わりだから、夏休みだね」
「夏休みになると、どうなりますか?」
「そうだね、どこかにお出かけしたいね」
「どこに行きますか?」
「マオ君の行きたいところに行こうか」
そう提案すると、彼は瞳を輝かせる。
「とりあえず海が近くにあるから、海で泳いでみる?」
するとマオ君は少し不安そうに眉を寄せる。
「僕、泳いだことありません。泳げるでしょうか?」
「そうなんだ。私もそんなに泳ぐのは得意じゃないけど、きっとうきわに乗ってぷかぷかしているだけで、楽しいと思うよ」
「確かに、うきわでぷかぷかするの、楽しそうです!」
マオ君は子供なのに、ほとんどわがままを言わない。おそらく私や廉冶さんに気を使っているのだろうけれど、子供なのだからもっと好き勝手言って欲しい。
「幼稚園、楽しい?」
マオ君ははつらつとした声で答える。
「はい! いっぱい工作してます!」
私はマオ君が元気に幼稚園に通えていることにほっとする。
「そっか。お友達もできた?」
「はい! 昨日はみくちゃんと健太君と鬼ごっこをして、それからたかし君ともかくれんぼをして、それから……」
「悠人君とはどう?」
「えっと……」
さっきまであんなに楽しそうだったのに、マオ君は困ったように言い淀む。
「あんまりお話してないです」
しょんぼりと目をつむって、それからマオ君は焦ったように付け足した。
「でも、僕、悠人君嫌いじゃないです! 意地悪もされませんし! また仲良くできたらいいです!」
「うん、そうだね」
この前マオ君の尻尾と耳を見られて化け物と言われた後から、マオ君と悠人君はほとんど話していないようだ。
喜代さんも、私とマオ君に何度も謝ってくれた。
一方の悠人君は頑なに「俺は悪くない」と言うので喜代さんは怒っていたけれど、悠人君は決して嘘をついたわけじゃない。彼がマオ君の猫耳と尻尾を目撃したのは事実だ。
あまり叱らないでくださいと頼んだけれど、大丈夫だろうか。
マオ君にとって、悠人君は初めて「一緒に遊ぼう」と言ってくれた友だちだから、特別みたいだ。仲直りできたらいいんだけどな。
幼稚園までマオ君を送ると、ちょうど門のところで挨拶をしていた園長先生と出会った。
「おや、こんにちは弥生さん」
こうやって見ると、やはり狐顔だ。
「園長先生、こんにちは。今日も暑いですね」
「たしかにたしかに。マオ君、楽しそうに遊んでいますよ」
「そうですか。よかったです」
私は園長先生にこっそり耳打ちした。
「マオ君、あやかしだってこと、他の子にバレてないですか?」
彼は切れ長の目をさらに細め、にこりと笑って言う。
「えぇ、えぇ大丈夫です。ご心配なく」
よかった、マオ君はだいぶ集団生活に馴染んだようだ。私はほっとして、一人で家までの道をたどる。
家の前によく来る三毛猫がいたので、買い置きのキャットフードをあげた。
三毛さんは今日も嬉しそうにはぐはぐとそれを食べて、うちの玄関前でごろりと寝っ転がった。
「ふふ、すっかり野生を失ってますね」
私はしばらくの間、幸せな気持ちでその様子を見守っていた。