夕方になると、私はまたもや思い悩んだ。

 今日も晩ご飯を作らないと。
 材料を買いに、歩いてスーパーに向かうことにする。

 とはいえ、何を作ったら喜んでくれるのか分からない。

 玄関先にいた灰色の猫が、にゃあと鳴いてこちらを見上げる。
 私は溜め息交じりにその猫に話しかけた。

「気分が重くなっちゃうねぇ」

 いつの間に近くにいたのか、女性の声が聞こえた。

「何だか暗い顔してるねぇ」

 私ははっとして声の主を探す。私に声をかけてきたのは、髪を一つ結びにした優しげな女性だった。
 年齢は、三十代半ばくらいだろうか。私よりは年上だろう。

 手には箒を持っている。どうやら掃き掃除をしていたみたいだ。

「えっと……」
「あぁ、ごめんね。最近成瀬先生のところで、見かけるなと思って。あたしは隣に住んでる、安住喜代(あずみきよ)。喜代さんって呼んで」

彼女はお隣の奥さんのようだった。そういえば、何度か見かけたことがあるかもしれない。

「こちらこそ、挨拶が遅れて申し訳ありません! 私は、」

 自分の名字を言おうとして、言葉に詰まる。
 廉冶さんと、結婚したことにしようと約束したんだっけ。

「えぇと、成瀬弥生です」

 何だか変な感じだ。
 そう考えながら頭を下げると、喜代さんはカラカラと元気よく笑った。

「弥生ちゃんって言うのね。よかった、やっと声をかけられて。ずっとチャンスをうかがってたんだけど。ほら、この島人口が少ないからさ。弥生ちゃんのこと、すごく噂になってて」
「あー」

「あたしもずっと話してみたいと思っていたのよ」

 確かにちょっと歩いただけで、色んな食べ物を貰ったもんな。

「成瀬先生、こんなにかわいい奥さんがいたんだねぇ」
「はぁ……」

 奥さんと言われて、自信を持って答えられないのがなんだか悲しくなってしまった。
 私は一体、廉冶さんの何なんだろう。花嫁と言って連れて来られたけれど、別に彼と籍を入れたわけじゃないし、今のところ、お手伝いさんが一番近い気がする。

 私が言い淀んでいると、喜代さんはにこりと微笑んで話題を変えてくれた。

「この島、若い人が少ないからさ。新しい住人は大歓迎よ!」
「確かに、ご老人が多い島ですよね」
「そう、あと猫!」
「確かに。どこを見ても猫ばっかりですもんね」

「といっても、あたしも一年くらい前にここに引っ越してきたばっかりなの。よかったら、仲良くしてね」
「はいっ!」

 喜代さんは本当にお喋りできるのが楽しいらしく、明るい声で続けた。

「成瀬先生、天才書道家って有名だから」
「みたいですね。私、テレビとかあんまり見なくて」
「それに、あのビジュアルでしょ? 一時期本島からも取材が殺到して、マスコミとかが集まってわーってなっちゃって。だけどそういうのは面倒くさいって、全部断っちゃったらしいよ」

 確かに廉冶さん、取材とか面倒くさがりそうだ。
やっぱり私は廉冶さんのこともマオ君のことも、まだまだ知らない。

「弥生ちゃん、何か落ち込んでた?」
「あー……はい。恥ずかしながら」

 私、そんなに通りすがりの人が見ても分かるくらいに顔に出ていたんだろうか。情けない。

「もしあたしでよかったら、相談に乗るよ。ほら、知らない人のほうが、打ち明けられることもあるでしょう?」

 初対面の喜代さんの話すのは迷惑ではないかと考える。だが、確かに相談できる人が欲しいと思っていたのも事実だ。

「実は、料理で悩んでいて」