目に見えないというのは恐ろしい。
見慣れた自分の部屋も、明かりがなくなると途端に恐ろしく感じる。
だけど、だからといって、“見え“たら怖くないのかというと、別にそうじゃない。


学校から家に帰ってくると、自室に知らない白い男がいた。

「おかえりなさい」

声のした方を見上げると、白くて長いキレイな髪の毛とニコニコ胡散臭い男の笑顔が見える。胸元に視線を移せば、白い着物の衿と鎖骨。もっと下を見ると、白い帯がある。衿下は長く、その下に足首素足と続いた。もう一度、男の顔を見る。

どう見ても幽霊。死んだ人、それも結構昔に。

「ひっ、い」

助けを呼ぼうと精一杯の大声を出したはずなのに、口から出たのは情けない掠れ声だった。自分が思ってる以上に怯えていると分かると、ますます怖くなった。足がガクガク震えて、心臓はありえないくらいの速さで鳴り続ける。それでもなんとかこの場から逃げなくてはいけない。僕は幽霊と目を合わせたままズズズと右足だけを後ろへやり、重心を右に寄せる。
幽霊の左手がピクリと動いてこちらに伸びてきた瞬間、僕は振り返りドアノブを捻り、なりふり構わず脇目も振らず一目散にすごい勢いで部屋を出た。

今日は、たしか、家には誰もいない。
助けを求めるなら外だ。

僕はこれまでにないくらい素早く正確に階段を下りて、玄関に駆け込む。かかと部分を踏んだまま靴を履いてドアに手を伸ばすと、僕の手の先に白い何かが現れる。さっき見た白とよく似ている。

「あっ、あ、う、あ」

もう動く勇気はなかった。
僕は腰を抜かし、その場に尻もちをついた。玄関の床は石だから硬くて痛い。痛い。
このまま死ぬんだ、ここで。
いつのまにか空いていた口で必死に呼吸していると、喉が乾いて痛かった。それから、ひゅっひゅっと音が出て、呼吸のたびに上半身が大きく跳ねた。もうわけがわからない。目からは涙が出てきて、鼻水が垂れて、ヨダレが顎を伝う。

歪んだ視界に、白い幽霊の顔が現れた。どんな表情なのか、判別がつかない。
もうやだ、死ぬ、死ぬ…
幽霊の両手が僕の頬を挟む。冷たくて気持ち悪い。幽霊の顔がどんどん近づいてきて、幽霊の口が僕の口に当たった。

は?

「かわいい、優くん」

幽霊は「優くん」と僕の名前を呼んで、もう一度キスをする。
僕は、それから10秒もしないうちに意識を失い、その場に倒れ込んだ。