会計の間、店内を見てみたが佳奈美と牧田さんの姿は見当たらなかった。もうお店を出たのかもしれない。会計を済ませて、店のドアに手を掛けて出ようとした時、外から女性の大きな声が聞こえた。
わたしは、なぜか嫌な予感がして手に力いっぱい込めてドアを開けて外に飛び出た。すると、ここから少し歩いた先に、佳奈美と、牧田さんがいた。その真向かいには若い男が立っている。
「お前、こいつと付き合ってんのかよ」
「ねえ、やめてよ!」
「ああ!?」
佳奈美がふたりの間に割って入ろうとするが、若い男はより強い力で牧田さんの胸ぐらを掴んで離さない。助けなきゃ。こんな状況、危ない。そんなところから、離れて、こっちに。無意識に、足が前に出る。
「か、かなみ」
「小夜子さん」
隣から声がした。見ると、一瞬陽と目が合う。
「ここに居てね」
陽はそう声を落として言うと、佳奈美たちの方に向かって行った。遠ざかる陽の背中を見て、もう一歩、自分の足が前に動いたことに気付く。お願いだから、そんな危ないところに行かないで。怖くてつらい思いなど、どうか、しないで。わたしは、咄嗟にスマホを取り出して110番の番号に指を重ねる。指が、震えている。
「何やってるんですか、やめてください」
「んだよてめぇ。 お前に関係ねえだろ」
「関係あるとかないとかじゃなくて。 ふたりが、嫌がってるじゃないですか」
「うるせえな! んだよ、お前もこの女とヤッたのかよ!」
若い男が陽に向かって殴りかかろうとして、わたしは咄嗟に「陽!」と叫んだ。陽の目が、また一瞬だけこちらを向いた。
「やめろ!」
次の瞬間、牧田さんが男と陽の間に入って男の拳は牧田さんの左頬を打った。佳奈美の叫び声が聞こえる。通行人たちが、見ている。中には、スマホのカメラを向けている人もいる。それなのに、わたしは。
「牧田さんっ」
陽が、牧田さんの身体を支える。マキタさんは少しよろめいたけれど、陽に「大丈夫、大丈夫だから」と伝えて、その若い男と向き合った。
「……やめろよ」
「あ゛あ゛!?」
「あんたも……佳奈美さんのこと、好きなんだったら」
男は一瞬、言葉を失ったように黙った。
「彼女が嫌がること、するな」
声が、震えている。佳奈美は今にも泣き出しそうな表情でマキタさんを見つめていたが、わたしに気付くと「小夜子……」と今まで溜め込んでいた涙が溢れ出したようにポロポロと泣き出した。それを見て、わたしはやっと佳奈美の腕に手を伸ばして引き寄せた。
「警察、呼びました」
男が、わたしを睨む。
「は? けいさ……」
「多分、もう来ますよ」
「んだよ、めんどくせぇな」
男は舌打ちをして、踵を返すとそのまま足早で去って行った。その姿が、通行人に紛れて見えなくなると、牧田さんは膝から力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
「牧田さん、大丈夫ですか」
陽が慌てて身体を支える。牧田さんは「だ、大丈夫。 腰、抜けただけだから……」と力ない声で言う。牧田さんのもとに、佳奈美は同じようにその場にしゃがみ込んだ。
「牧田さん、ごめんない。 あたしのせいで……ごめんなさい……、ごめんなさい」
「か、佳奈美……」
今度はわたしが佳奈美の身体を支えた。細い方が、頼りないくらいに震えている。わたしは、佳奈美の肩に添えた手に僅かに力を込めた。
「佳奈美さん、大丈夫。 大丈夫だから。 怪我が無くて、良かったよ」
佳奈美は牧田さんの手を包み込むように握って、「うん、うん」と頷いている。わたしと陽は顔を見合わせて、お互いに困ったような顔で少し笑った。
その後、警察が駆けつけた。わたしの他にも、周囲の人が通報をしてくれていたらしい。わたしと陽は軽い事情聴取のみで済んだけれど、佳奈美と牧田さんはわたしたちよりも長い時間話していた。
「今日はもう帰っていただいて大丈夫です。 何かあればこちらから連絡します」
「はい、ありがとうございました」
警察官が去ると、佳奈美がわたしと陽に向き直った。「小夜子、ごめんね」と頭を下げる。
「なんで佳奈美が謝るの」
「だって、こんなことに巻き込んじゃったから……」
「わたしは大丈夫だよ」
「……ありがとう。 陽くんも、ありがとう」
「俺は何もしてないですよ」
陽は本当になんてことないみたいに言うので、つい「何もしてないわけないでしょう」と小言が出る。すると、牧田さんも佳奈美と同じように「すみません」とわたしと陽に頭を下げた。
「牧田さんも、謝らないでくださいよ。 俺のことも、守ってくれたじゃないですか」
陽の言葉に、牧田さんは驚いたように少し目を見開いた後「いや……全然、できていないよ」と自信が無さそうに言う。その頬は、赤くなっている。
「……牧田さん」
「ん……?」
「少し、話してから帰りたいです」
「……うん」
牧田さんの返事を待って、佳奈美はその隣に並んだ。すると陽は「じゃあ、俺らも行きますか」とわたしに向かって行ったので、わたしも佳奈美たちにしっかり届くように「そうだね」と言った。
「じゃあ、佳奈美。 またね」
「うん、ありがとう」
わたしと陽は、佳奈美とマキタさんに背を向けて歩き出した後、示し合わせたわけではなかったけれど同時に控えめに振り返った。ふたりは、ゆっくり向こうへと歩き出している。
「小夜子さん、大丈夫?」
聞かれて、「大丈夫だよ」と答える。
「なんか、映画のワンシーンみたいでしたね」
「……確かに。 そうだね」
まるで夢かなにかだったのではないかと思うくらい、あまりにリアリティのない出来事だった。ただ、胸の真ん中はまだざわざわとどこか落ち着かない。
「小夜子さん、送っていきますよ」
「え、いいよ」
「さすがに、あんなの見た後だと心配なんで」
陽の言葉に、わたしは“分かった”の意味を込めて頷いた。わたしにはあのような出来事が降りかかることは全くないし、夜道を一人で歩くのは慣れているはずなのに今は不安だったから、陽がいてくれるのはありがたいと思ってしまった。
「今日は、色々ありましたねえ」
歩きながら、陽がのんびりとした口調で言う。わたしは「そうだね」と相槌を打つ。色々あったせいか、今になってどっと疲れが押し寄せてきた気がした。佳奈美は、大丈夫だろうか。
「名前、初めて呼んでくれましたね」
「え?」
隣を見ると、陽と目が合った。陽は「覚えてない?」と小首を傾げる。わたしは、言われてみれば確かに……と思ったけれど「気のせいじゃない?」とはぐらかした。すると陽は「え、そうかな。 呼んでくれた気がしたんだけどなぁ」とその時のことを思い出すようにして視線を上に向けた。わたしもなんだか同じように見上げたくなって、顔を上げる。陽と会った頃より、少しだけ肌寒くなった夜だ。
「小夜子さん、ああいう危ないとき、無理しちゃダメだよ」
「それ、こっちのセリフだよ」
「俺はなんてことないけどさ」
陽は、心底そう思っているみたいにさらりと言う。わたしはそれが、陽が自分自身のことを投げやりにしているようで、それが悲しくて、何故か腹立たしい。
「なんてことあるよ。 怪我したら、勉強できなくなるでしょう。 せっかく今、頑張ってるのに」
陽は、少し黙って「……確かに、そうだね」と頷いた。
「でも、小夜子さんもね。 無理、しないでよ」
いつになく声に抑揚がなかった。これはいつもみたいに冗談で言っている訳ではなさそうという雰囲気を感じて、わたしも「わかった」と頷いた。
わたしのアパートの近くまで着いたので、「ここでいいよ」と言うと、陽は足を止めた。
「送ってくれて、ありがとう。……補導されないように、気を付けて」
「あはは。 補導されたら、小夜子さんに連絡しようかな」
「えっ。 ……いや、まあ、いいけど」
「ほんと? じゃあ、そうなったら、そうするね」
陽は続けて「それじゃあ、また明日」と笑う。わたしも同じように「また明日」と言い、お互いに別れた。わたしは少し歩いた後、振り返ってしまった。陽の少しずつ小さくなる背中を見て、さっきのことを思い出す。
陽が、佳奈美たちの方へと向かった行ったとき、わたしはその腕を掴んで引き寄せたかった。傷付くかもしれないようなところに、陽を行かせてはいけないと思った。
わたしは部屋に戻ると、さらに疲れがどっと押し寄せた。昼間に開けた部屋はカーテンが開きっぱなしだった。ふらふらとした足取りでベッドの方へ行き、開いているカーテンを閉めようとして窓の外を見る。
向かいのマンションの明かりが、窓を照らす。
あの部屋のカーテンは、今日も開いていた。
わたしは、なぜか嫌な予感がして手に力いっぱい込めてドアを開けて外に飛び出た。すると、ここから少し歩いた先に、佳奈美と、牧田さんがいた。その真向かいには若い男が立っている。
「お前、こいつと付き合ってんのかよ」
「ねえ、やめてよ!」
「ああ!?」
佳奈美がふたりの間に割って入ろうとするが、若い男はより強い力で牧田さんの胸ぐらを掴んで離さない。助けなきゃ。こんな状況、危ない。そんなところから、離れて、こっちに。無意識に、足が前に出る。
「か、かなみ」
「小夜子さん」
隣から声がした。見ると、一瞬陽と目が合う。
「ここに居てね」
陽はそう声を落として言うと、佳奈美たちの方に向かって行った。遠ざかる陽の背中を見て、もう一歩、自分の足が前に動いたことに気付く。お願いだから、そんな危ないところに行かないで。怖くてつらい思いなど、どうか、しないで。わたしは、咄嗟にスマホを取り出して110番の番号に指を重ねる。指が、震えている。
「何やってるんですか、やめてください」
「んだよてめぇ。 お前に関係ねえだろ」
「関係あるとかないとかじゃなくて。 ふたりが、嫌がってるじゃないですか」
「うるせえな! んだよ、お前もこの女とヤッたのかよ!」
若い男が陽に向かって殴りかかろうとして、わたしは咄嗟に「陽!」と叫んだ。陽の目が、また一瞬だけこちらを向いた。
「やめろ!」
次の瞬間、牧田さんが男と陽の間に入って男の拳は牧田さんの左頬を打った。佳奈美の叫び声が聞こえる。通行人たちが、見ている。中には、スマホのカメラを向けている人もいる。それなのに、わたしは。
「牧田さんっ」
陽が、牧田さんの身体を支える。マキタさんは少しよろめいたけれど、陽に「大丈夫、大丈夫だから」と伝えて、その若い男と向き合った。
「……やめろよ」
「あ゛あ゛!?」
「あんたも……佳奈美さんのこと、好きなんだったら」
男は一瞬、言葉を失ったように黙った。
「彼女が嫌がること、するな」
声が、震えている。佳奈美は今にも泣き出しそうな表情でマキタさんを見つめていたが、わたしに気付くと「小夜子……」と今まで溜め込んでいた涙が溢れ出したようにポロポロと泣き出した。それを見て、わたしはやっと佳奈美の腕に手を伸ばして引き寄せた。
「警察、呼びました」
男が、わたしを睨む。
「は? けいさ……」
「多分、もう来ますよ」
「んだよ、めんどくせぇな」
男は舌打ちをして、踵を返すとそのまま足早で去って行った。その姿が、通行人に紛れて見えなくなると、牧田さんは膝から力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
「牧田さん、大丈夫ですか」
陽が慌てて身体を支える。牧田さんは「だ、大丈夫。 腰、抜けただけだから……」と力ない声で言う。牧田さんのもとに、佳奈美は同じようにその場にしゃがみ込んだ。
「牧田さん、ごめんない。 あたしのせいで……ごめんなさい……、ごめんなさい」
「か、佳奈美……」
今度はわたしが佳奈美の身体を支えた。細い方が、頼りないくらいに震えている。わたしは、佳奈美の肩に添えた手に僅かに力を込めた。
「佳奈美さん、大丈夫。 大丈夫だから。 怪我が無くて、良かったよ」
佳奈美は牧田さんの手を包み込むように握って、「うん、うん」と頷いている。わたしと陽は顔を見合わせて、お互いに困ったような顔で少し笑った。
その後、警察が駆けつけた。わたしの他にも、周囲の人が通報をしてくれていたらしい。わたしと陽は軽い事情聴取のみで済んだけれど、佳奈美と牧田さんはわたしたちよりも長い時間話していた。
「今日はもう帰っていただいて大丈夫です。 何かあればこちらから連絡します」
「はい、ありがとうございました」
警察官が去ると、佳奈美がわたしと陽に向き直った。「小夜子、ごめんね」と頭を下げる。
「なんで佳奈美が謝るの」
「だって、こんなことに巻き込んじゃったから……」
「わたしは大丈夫だよ」
「……ありがとう。 陽くんも、ありがとう」
「俺は何もしてないですよ」
陽は本当になんてことないみたいに言うので、つい「何もしてないわけないでしょう」と小言が出る。すると、牧田さんも佳奈美と同じように「すみません」とわたしと陽に頭を下げた。
「牧田さんも、謝らないでくださいよ。 俺のことも、守ってくれたじゃないですか」
陽の言葉に、牧田さんは驚いたように少し目を見開いた後「いや……全然、できていないよ」と自信が無さそうに言う。その頬は、赤くなっている。
「……牧田さん」
「ん……?」
「少し、話してから帰りたいです」
「……うん」
牧田さんの返事を待って、佳奈美はその隣に並んだ。すると陽は「じゃあ、俺らも行きますか」とわたしに向かって行ったので、わたしも佳奈美たちにしっかり届くように「そうだね」と言った。
「じゃあ、佳奈美。 またね」
「うん、ありがとう」
わたしと陽は、佳奈美とマキタさんに背を向けて歩き出した後、示し合わせたわけではなかったけれど同時に控えめに振り返った。ふたりは、ゆっくり向こうへと歩き出している。
「小夜子さん、大丈夫?」
聞かれて、「大丈夫だよ」と答える。
「なんか、映画のワンシーンみたいでしたね」
「……確かに。 そうだね」
まるで夢かなにかだったのではないかと思うくらい、あまりにリアリティのない出来事だった。ただ、胸の真ん中はまだざわざわとどこか落ち着かない。
「小夜子さん、送っていきますよ」
「え、いいよ」
「さすがに、あんなの見た後だと心配なんで」
陽の言葉に、わたしは“分かった”の意味を込めて頷いた。わたしにはあのような出来事が降りかかることは全くないし、夜道を一人で歩くのは慣れているはずなのに今は不安だったから、陽がいてくれるのはありがたいと思ってしまった。
「今日は、色々ありましたねえ」
歩きながら、陽がのんびりとした口調で言う。わたしは「そうだね」と相槌を打つ。色々あったせいか、今になってどっと疲れが押し寄せてきた気がした。佳奈美は、大丈夫だろうか。
「名前、初めて呼んでくれましたね」
「え?」
隣を見ると、陽と目が合った。陽は「覚えてない?」と小首を傾げる。わたしは、言われてみれば確かに……と思ったけれど「気のせいじゃない?」とはぐらかした。すると陽は「え、そうかな。 呼んでくれた気がしたんだけどなぁ」とその時のことを思い出すようにして視線を上に向けた。わたしもなんだか同じように見上げたくなって、顔を上げる。陽と会った頃より、少しだけ肌寒くなった夜だ。
「小夜子さん、ああいう危ないとき、無理しちゃダメだよ」
「それ、こっちのセリフだよ」
「俺はなんてことないけどさ」
陽は、心底そう思っているみたいにさらりと言う。わたしはそれが、陽が自分自身のことを投げやりにしているようで、それが悲しくて、何故か腹立たしい。
「なんてことあるよ。 怪我したら、勉強できなくなるでしょう。 せっかく今、頑張ってるのに」
陽は、少し黙って「……確かに、そうだね」と頷いた。
「でも、小夜子さんもね。 無理、しないでよ」
いつになく声に抑揚がなかった。これはいつもみたいに冗談で言っている訳ではなさそうという雰囲気を感じて、わたしも「わかった」と頷いた。
わたしのアパートの近くまで着いたので、「ここでいいよ」と言うと、陽は足を止めた。
「送ってくれて、ありがとう。……補導されないように、気を付けて」
「あはは。 補導されたら、小夜子さんに連絡しようかな」
「えっ。 ……いや、まあ、いいけど」
「ほんと? じゃあ、そうなったら、そうするね」
陽は続けて「それじゃあ、また明日」と笑う。わたしも同じように「また明日」と言い、お互いに別れた。わたしは少し歩いた後、振り返ってしまった。陽の少しずつ小さくなる背中を見て、さっきのことを思い出す。
陽が、佳奈美たちの方へと向かった行ったとき、わたしはその腕を掴んで引き寄せたかった。傷付くかもしれないようなところに、陽を行かせてはいけないと思った。
わたしは部屋に戻ると、さらに疲れがどっと押し寄せた。昼間に開けた部屋はカーテンが開きっぱなしだった。ふらふらとした足取りでベッドの方へ行き、開いているカーテンを閉めようとして窓の外を見る。
向かいのマンションの明かりが、窓を照らす。
あの部屋のカーテンは、今日も開いていた。



