六花は纏う冷気と同じくらい冷え切った目と声で、玲央奈たちを警戒心たっぷりに見据えてくる。子供特有の高い声は可愛らしいのに、言っていることはまったく可愛くない。

「ふ、不審者でも強盗でもないよ。私たちは銀一さんに頼まれて……!」
「ああ、おねえさんたち、ギンの知りあいなのね。誰か来るって、ギンが言っていた気もするわ」

『ギン』とは銀一のあだ名か。
 ほんの少しだが警戒を緩めた六花の前に、天野が目線をあわせるようにしゃがみ込む。

「そう、俺たちは銀一さんの知りあいだ。俺は天野清彦、あっちは俺のお嫁さんの玲央奈。銀一さんがお仕事に行っている間、君の看病を頼まれたんだよ」
「別に看病なんていらないのに……ギンのお仕事中はいつも、おうちのことは自分でやっているもの。ひとりでも平気よ。おねえさんたちは帰っていいから」

 ツンツンとした態度を取る六花。
 顔をあわせてまだ数分だが、手強いお子様であることは明白だ。
 だけど体は正直で、きゅるるると六花のお腹から、なんとも間抜けな音が鳴った。六花は慌てて腹部を押さえるが、隠そうとしても遅い。

「六花ちゃん、お腹空いているの? もうお昼過ぎているもんね。私がすぐになにか作るよ」
「じ、自分でなんとかするってば! いつも私ひとりで……!」
「銀一さんから事前に聞いた話によると、いつも銀一さんが仕事前におかずを作り置きして、それを君は温めて食べているそうだな。だけど今日は食事面も俺たちが任されているから、君の大好きな銀一さんのご飯はないぞ」
「……ギンのことなんて、好きでもなんでもないし」

 小声でボソッと憎まれ口をたたきながらも、六花は観念したようだ。「俺のお嫁さんの料理は旨いぞ」と笑う天野に、「まあ、ちょっとなら食べてあげてもいいけど」なんて生意気な返事をしている。

(このくらいの生意気さなら、許容範囲だけど)

 玲央奈は小さく苦笑した。

「じゃあ頑張って作るね。冷蔵庫の中を見てからだけど、おかゆとかうどんとか、体調が悪いときでも食べやすいものにするよ」
「……うどんなら、麺がひとつだけあるわ。一昨日ギンが買ってきたの」
「それならうどんで。具材はあるものを使わせてもらうね。あっ、好き嫌いやアレルギーは? あたたかいものとかも平気?」

 最後の質問は、六花の『雪女』の半妖という面を、玲央奈なりに考慮した上だ。
 食べたら溶けるなんてことはさすがにないだろうが、単に熱いものは苦手かもしれないと考えて……だけど六花は、特にNGはないようだった。そのあたりは、半妖の特性とは関係ないらしい。

「わかったよ、じゃあ少し待っていてね」

 サクッと作ってしまおうと、玲央奈はバッグからエプロンを取り出す。クリーム色の、フロントで紐を結ぶタイプのマイエプロンは、看病ならいるかなと想定して持ってきたのだ。

「俺も手伝おうか? お嫁さん」
「旦那さまはおとなしく、そこのテーブルで六花ちゃんと待っていてください。余計なことはくれぐれもしないように」
「手厳しいな」
「安全性を優先したまでです」

 天野はコーヒーを淹れるのはうまいが、その他の調理は壊滅的だ。
完璧超人な天野の意外な弱点は料理である。人様の家のキッチンを荒らしてはいけない。

「へえ、けっこういろいろあるのね」

 雪谷家のダイニングキッチンは、天野宅のアイランドキッチンよりは狭いものの、十分な調理器具がそろっていた。調味料の種類も充実している。

(おかずをマメに作り置きしているみたいだし、銀一さんはお料理のできるパパさんなのね)

 玲央奈は感心しながら、冷蔵庫の中を物色した。
 うどんの麺は早々に発見し、あとは具材に使えそうな卵と三葉。
 ついでに赤々と熟れたりんごが三つ。

(卵があるなら卵とじうどんができそうね。お湯を沸かしている間に、りんごをひとつ、食後のデザート用に切っちゃおうかしら)

 天野に反して、料理が得意な玲央奈には、りんごの皮むきも飾り切りもお手のものだ。
 鍋に水を入れて火にかけ、それから包丁を巧みに操って、スルスルとりんごをウサギの形にしていく。皮でできた耳はツンと尖っていて愛嬌抜群だ。

 この切りかたを、玲央奈は亡き母である玲香に教わった。
 玲香も料理が得意で、おまけにあやかしの見える人だった。

 彼女が玲央奈にくれたお守りは、あやかし避けの力をわずかながらも秘めており、長い間玲央奈を守ってくれていた。効果が切れた今でも、玲央奈は大切に持ち歩いている。
 また、あのお守りは、玲央奈が生まれる前に亡くなった父との絆(きずな)でもあった。

「……よし、完成」

 できたウサギりんごを一匹一匹、お皿に並べながら、玲央奈は遠い過去に想いを馳せる。

 母が初めて自分にこれを作ってくれたのは、ちょうど玲央奈が六花と同い年くらいのときだ。幼い玲央奈は風邪をひいて、学校を休んで寝込んでいた。
 ベッドの中で心細くて仕方なかった玲央奈に、玲香は「大丈夫よ、お母さんがそばにいるからね」と、つきっきりで看病してくれた。体が弱ると心も弱るもので、玲央奈はめったにないほど玲香にベッタリ甘えたものだ。

(好きでもなんでもないなんて口では言っていたけど、六花ちゃんもきっと、できるなら銀一さんにそばにいてほしいわよね……)

 そんな素振りは今のところ見えないものの、あの六花の性格では表に出さないだろうし、内心ではこの状況を寂しがっているかもしれない。
 六花のことを想いながら、ウサギりんごを並べ終えたところで、ぐつぐつとお湯が沸いた。うどんつゆは白出汁があったので、そのまま薄めて使う。白出汁はなんにでも使えて、これひとつでおいしくなる魔法の調味料だ。

 溶き卵を鍋に注いでふわふわの卵を作り、うどんの麺に卵を絡め、仕上げに三葉を切って散らす。
 人様の家の食器棚からどんぶりを探すのには少々手間取ったが、無事に卵とじうどんも完成した。

「はい、六花ちゃん。りんごも一緒にどうぞ」

 ダイニングテーブルについて、存外おとなしく待っていた六花の前に、ホカホカのうどんとウサギりんごを置いてやる。六花は心なしか、ウサギりんごに反応して目を輝かせた。
 六花の前に座って、ポツポツとだが話し相手を務めていたらしい天野も、「君の料理は常に芸が細かいな」と感心している。

「りんごをウサギにするくらいなら簡単ですよ」
「俺はできないぞ」
「なんで偉そうに言うんですか」

 堂々と『できない宣言』をする天野に続き、六花も「……たぶん、ギンもできないわ」と呟く。

「ギンの料理は、味は悪くないけど、見た目はいつも酷(ひど)いの。りんごも切らせたらガタガタよ」
「そ、そうなんだ」

 それなら六花は、りんごの飾り切りなど見るのは初めてなのかもしれない。さっきからウサギりんごに意識を奪われていて、うどんはスルー状態だ。

「うどん、先に食べないと麺が伸びちゃうよ。お箸はこれで良かったかな」
「うん……あっ!」

 玲央奈が手渡した木箸は、六花が受け取った瞬間、触れたところから半分がパキンッと凍ってしまった。
 凍った箸は、うどんにポチャン!とダイブする。銀一も話していたが、現在の六花は本当に力のコントロールが効かないようだ。
 六花の小さな顔が、サッと青ざめる。

「だ、大丈夫だよ! お箸を取り除いて、うどんはレンジで温め直せばいいだけだから!」

 玲央奈は努めて明るく六花を慰め、天野も「そうだ、気にすることはない」と援護してくれた。

「俺の幼馴染みのユウって奴も、『妖狐』の半妖なんだがな。自分の姿を別人に変える〝変化〟の能力を持っているんだが、昔は君みたいに力が安定しなくて、一分に一回は別人に変化していたぞ」

(これは確実にウソですね)

 そう玲央奈はすぐにわかったが、天野なりの慰めかただと思って指摘はしなかった。やり玉に挙げられた稲荷には心の中で合掌しておく。
 だがふたりから励まされても、六花の顔は青いままだ。

「こんなのだと……また捨てられちゃう……ギンにもどうせ……」
「捨てるって……あっ、六花ちゃん!」

 ガタッと椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、六花は一目散に部屋を出ていった。寝室の方でドアが激しく閉まる音が響く。
 しばし呆然としていたが、玲央奈は走り去る直前の六花の様子を反芻し、もしかして……と、隣に来た天野におずおずと伺う。

「銀一さんと六花ちゃんって、あの……」
「気づいたか。君の予想どおり、ふたりは血の繋がった親子ではないんだ。銀一さんにとって、六花は遠い親戚の子で、実の親は別にいる。そもそも遠縁ならまだしも、直系の親族で違うあやかしの半妖なんて、かなりのレアケースだからな」

 やはりそうだったのかと、玲央奈は納得せざるを得なかった。六花の『また捨てられる』という発言もそうだが、銀一の六花への接しかたも、どこか遠慮がちな気がしたのだ。
 天野は訥々と雪谷家の事情を明かす。

「実の親は六花を置いて家を出ていったきりで、その後は親戚中をたらい回しだったそうでな。半妖の能力のこともあって、受け入れてくれる先がなかなか見つからなかったんだろう。やっと銀一さんのところまで話が届いて、銀一さん自ら引き取りたいと申し出たんだ。ふたりは一緒に暮らして半年とちょっとで、まだ一年も経っていないと聞いている」

 それでは、〝家族〟になって間もないのか。
 奇しくも銀一と六花が半妖同士で、能力的にも相性が良かったこともあり、生活自体は基本的にうまくいっているようだが……。

「六花はあのとおり、これまでの環境から、容易に大人を信じ切れずにいるようだな。彼女の心を少し読ませてもらったが、銀一さんのことは確実に好きになっているのに、好きになった分、いつかまた過去のように、捨てられるかもしれないことを恐れている。その恐れを見せまいと虚勢を張っているな」

 知らぬ間に、天野は天邪鬼の能力を使って、六花の心を読んでいたらしい。玲央奈は渋い表情を浮かべる。

「そんな恐れなんてなくなるように、銀一さんに頑張ってほしいところですけど……。当の銀一さんはどう思っているんでしょう?」
「彼は彼で微妙に勘違いしていてな……自分が単純に、六花に嫌われていると思い込んでいるんだ。俺に今回の依頼をしたとき、彼は『僕としてはもっと仲良くなりたいんだけど、たぶん僕がいろいろと不甲斐ないせいで、六花がちっとも懐いてくれないんだ』などと残念そうに零していたぞ」

 その勘違いもあって、銀一は六花に遠慮した態度を取る。すると六花は銀一を信じたくても信じられないまま、結果としてふたりの距離はいっこうに縮まらない。
 負の連鎖が起きている、ややこしい問題だ。
 なんとか解決できないものかと悩める玲央奈の背を、ポンポンと天野が軽く諫めるように叩く。

「人様の家庭事情に首を突っ込んでも、余計にこじれるだけだぞ。君はすぐ人のことばかり考えすぎる。お嫁さんのお人好しにも困ったものだ」
「……私は旦那さまの天邪鬼さに困っていますけど」
「ではお互い治らないな。ただそれでも、深入りはほどほどにしておくといい。……そんなことより、うどんはこれ以上放っておいたら、本当に麺が伸びるぞ?」
「あ……一応、六花ちゃんに食べないか聞いてみます!」

 天の岩戸よろしく、固く閉ざされた六花の寝室まで赴き、玲央奈はドア越しに声をかけてみる。

「六花ちゃん、うどんはもういらない?」
「…………」
「少しでもどうかな?」
「…………」
「き、気が向いたらまた作るから、いつでも言ってね!」
「…………」

 返事は得られず、玲央奈はすごすごとダイニングに戻った。
 一口も食べてもらえなかったうどんを前に、しゅんと眉を下げる。

「六花ちゃんはいらないみたいです……これ、どうしましょう」

 麺類ゆえに保存はできないし、捨てる選択肢はないとしても、作った玲央奈自身がひとりで食べるのはどうにも虚しかった。
 そこでひょいっと、「そういうことなら俺がいただこうか」と天野がどんぶりを持ちあげる。

「えっと、清彦さんが食べるんですか……?」
「箸を取り除いて、温め直せば大丈夫なんだろう? 俺もちょうど腹が空いてきたところだ」
「……そう、ですか」

 玲央奈と天野は、ここに来るまでの車中で、昼ご飯としてコンビニで買ったホットフードやサンドイッチをしっかり食べてきていた。おそらく天野は空腹などではないだろう。
 彼らしいウソだったが、玲央奈は普通に嬉しかった。

「なにを笑っているんだ?」
「内緒です」

 天野は結局、空腹だという体を貫いて、汁一滴残さず玲央奈作のうどんを胃に収め切ってくれた。