「この度は、おふたりには大変お世話になりました」
玄関にて。
靴を履いてドアの前に立つ玲央奈と天野に、銀一は框の上からかしこまって頭を下げた。その横では、ぴっとりと銀一に寄り添って、同じように六花もペコリと頭を下げている。
わだかまっていた問題が文字どおり雪解けしたふたりは、もうなんの気兼ねもなく仲良し親子になれたようだ。
どちらも泣きすぎて目が赤いのはご愛嬌である。
「こちらこそ、楽しくこなせた依頼でした。なあ、玲央奈?」
「はい。六花ちゃんともまた遊びたいです」
天野と玲央奈の返答に、六花は「おにいさんたちなら特別に毎週来てもいいよ」なんて、ツンデレのツンを若干残しながらも、いじらしいことを言ってくれる。
「おねえさんに、ギンは料理を教わればいいと思う」
それはちょうど、玲央奈も考えていたことだ。
「玲央奈さんにっ? う、うーん、わかったよ。僕も六花のために、もっと料理から修行するな」
「そうして。早くまともなオムライス作って」
「ぜ、善処するよ」
「……私も料理、覚えるし。私と一緒になにかしたいんでしょ? 覚えたら、一緒に作ってあげてもいいよ」
「っ! それはいいな! ふたりで作ろう!」
親子のやり取りにほのぼのとした空気が流れたところで、天野がそろそろお暇しようと、ドアノブに手をかける。
だがそこで、銀一が「あっ!」と声をあげた。
「そうだ、今回のお礼をしたくて、おふたりにぜひ提案させてほしいんだけど……!」
「特にお礼などはけっこうですよ」
天野は辞退しようとするが、すかさず銀一は「提案だけでも聞いてくれ!」と前のめりになる。
「もし良かったら、今月の三連休――うちの宿にふたりで泊まりに来ないかい? もちろん温泉と食事付きの全額タダで!」
その申し出に、天野は存外興味を惹かれたらしい。
おもしろそうに「ほう、あの『真宵亭』にですか?」と切れ長の瞳を光らせる。
「真宵亭って、銀一さんの職場ですよね? その法被の……。やっぱり温泉宿なんですか?」
「ああ、玲央奈はまだ知らないんだったな。温泉宿で間違いはないが、ただの宿じゃないぞ。真宵亭は半妖専門の温泉宿だ」
「半妖専門?」
そんな宿があるのかと、玲央奈は純粋に驚く。
銀一はニコニコと説明してくれる。
「半妖である現女将が数十年前に立ち上げた宿でね。このアパートの近くの山の中にあるんだけど、僕は縁あって二代目の番頭を務めさせてもらっているんだ。半妖専門といっても、こっちの事情に明るければ普通の人でも、たまに一部の名持ちのあやかしまで、女将さえ許可すれば泊まれるよ」
「こちらの界隈では有名で、皆こぞって一度は泊まりたがる人気宿だな」
補足を入れる天野はけっこう詳しい。
玲央奈が泊まったことがあるのかと尋ねれば、泊まったことはないが、高齢の女将がオババ様の知りあいだそうだ。
(なるほど、納得)
オババ様はあやかしなど無関係な人の間にも、半妖の人の間にも、とにかく人脈が広いおかたである。
「でもそんな人気なのに、私たちを飛び入りで、しかもタダで泊めちゃってもいいんですか……?」
「六花を天野くんたちに預けたことを女将に話したら、女将から『お礼におふたりを招待してはどうか』って言われたんだよ。前々から天野くんに会ってみたかったらしいし、女将は六花のことも可愛がってくれているから」
「……女将さんは、ちょっと変だけどいい人だよ」
六花がボソッと呟く。
聞けば、宿側に余裕があるときは、銀一が六花を職場に連れていって、宿のメンバーに面倒を見てもらうパターンもあるという。
〝変〟という単語が玲央奈としては引っかかったが、半妖の者は一番身近な天野や稲荷を含め、変わり者が多い気がするので、あえて突っ込んでは聞かなかった。普通の人とは違う力があるせいか、やたら個性的なのだ、彼らは。
「それにちょうど、何件かキャンセルが出ていてね。比較的近隣から来る予定だったお客さんばかり、急に。たまたま重なっただけだとは思うけど」
少し困ったように笑いつつ、銀一は「だからどうかな?」と改めて天野たちに問いかける。
「今なら宿周りの紅葉も見頃だよ。このシーズンに泊まれるのは、僕が言うのもなんだけど相当ラッキーだよ」
「紅葉ですか……」
きれいだろうなと思い浮かべる玲央奈の顔を、天野がひょいっと覗き込む。
「俺は話を聞いて、お言葉に甘えるのも悪くないと思うが、玲央奈はどうだ? せっかくの三連休だし、君が行きたければ旅行気分でありがたく泊まりに行こう」
「そう、ですね……」
玲央奈は迫る端正な顔に仰け反りつつ、しばし考えてみた。
あやかし関連のお宿という点は、若干怖くもあり、同時に好奇心が擽られるところでもある。
またあやかし云々とは別に、旅行をした経験が皆無な玲央奈には、単純に温泉宿に泊まれる事実だけで心惹かれた。
(子供の頃も、お母さんと旅行らしい旅行なんてしたことなかったし……。呪いを受けてからは、旅先であやかしに絡まれたら危ないし、不安で機会があっても自分から断っていたものね)
そのため玲央奈は、中学も高校も、修学旅行をあえて欠席した。旅行の話で盛り上がる同級生たちを、クラスの隅っこで眺めるだけだった。
そんな苦い思い出を、今になって塗り替えられるかもしれない。
それに……。
(清彦さんと温泉旅行っていうのも、楽しそう、かも)
玲央奈は柄にもなく浮足立ってきて、気づけば「私も行きたいです」と了承の返事をしていた。
「良かった! じゃあまた、詳しいことは連絡するよ!」
「……楽しんできてね、おにいさん、おねえさん」
満面の笑みの銀一と、ツンを引っ込めた六花に見送られ、玲央奈たちは彼らの部屋を後にする。
ドアが閉まった途端、天野が玲央奈の耳元で甘く囁いた。
「夫婦になって初めての旅行。つまりは新婚旅行だな、俺のお嫁さん?」
「しっ……! ま、まず夫婦じゃないですし、新婚旅行でもありませんから!」
――こうして玲央奈たちは、天野いわく〝新婚旅行〟に思いがけず臨むことになったのだった。
玄関にて。
靴を履いてドアの前に立つ玲央奈と天野に、銀一は框の上からかしこまって頭を下げた。その横では、ぴっとりと銀一に寄り添って、同じように六花もペコリと頭を下げている。
わだかまっていた問題が文字どおり雪解けしたふたりは、もうなんの気兼ねもなく仲良し親子になれたようだ。
どちらも泣きすぎて目が赤いのはご愛嬌である。
「こちらこそ、楽しくこなせた依頼でした。なあ、玲央奈?」
「はい。六花ちゃんともまた遊びたいです」
天野と玲央奈の返答に、六花は「おにいさんたちなら特別に毎週来てもいいよ」なんて、ツンデレのツンを若干残しながらも、いじらしいことを言ってくれる。
「おねえさんに、ギンは料理を教わればいいと思う」
それはちょうど、玲央奈も考えていたことだ。
「玲央奈さんにっ? う、うーん、わかったよ。僕も六花のために、もっと料理から修行するな」
「そうして。早くまともなオムライス作って」
「ぜ、善処するよ」
「……私も料理、覚えるし。私と一緒になにかしたいんでしょ? 覚えたら、一緒に作ってあげてもいいよ」
「っ! それはいいな! ふたりで作ろう!」
親子のやり取りにほのぼのとした空気が流れたところで、天野がそろそろお暇しようと、ドアノブに手をかける。
だがそこで、銀一が「あっ!」と声をあげた。
「そうだ、今回のお礼をしたくて、おふたりにぜひ提案させてほしいんだけど……!」
「特にお礼などはけっこうですよ」
天野は辞退しようとするが、すかさず銀一は「提案だけでも聞いてくれ!」と前のめりになる。
「もし良かったら、今月の三連休――うちの宿にふたりで泊まりに来ないかい? もちろん温泉と食事付きの全額タダで!」
その申し出に、天野は存外興味を惹かれたらしい。
おもしろそうに「ほう、あの『真宵亭』にですか?」と切れ長の瞳を光らせる。
「真宵亭って、銀一さんの職場ですよね? その法被の……。やっぱり温泉宿なんですか?」
「ああ、玲央奈はまだ知らないんだったな。温泉宿で間違いはないが、ただの宿じゃないぞ。真宵亭は半妖専門の温泉宿だ」
「半妖専門?」
そんな宿があるのかと、玲央奈は純粋に驚く。
銀一はニコニコと説明してくれる。
「半妖である現女将が数十年前に立ち上げた宿でね。このアパートの近くの山の中にあるんだけど、僕は縁あって二代目の番頭を務めさせてもらっているんだ。半妖専門といっても、こっちの事情に明るければ普通の人でも、たまに一部の名持ちのあやかしまで、女将さえ許可すれば泊まれるよ」
「こちらの界隈では有名で、皆こぞって一度は泊まりたがる人気宿だな」
補足を入れる天野はけっこう詳しい。
玲央奈が泊まったことがあるのかと尋ねれば、泊まったことはないが、高齢の女将がオババ様の知りあいだそうだ。
(なるほど、納得)
オババ様はあやかしなど無関係な人の間にも、半妖の人の間にも、とにかく人脈が広いおかたである。
「でもそんな人気なのに、私たちを飛び入りで、しかもタダで泊めちゃってもいいんですか……?」
「六花を天野くんたちに預けたことを女将に話したら、女将から『お礼におふたりを招待してはどうか』って言われたんだよ。前々から天野くんに会ってみたかったらしいし、女将は六花のことも可愛がってくれているから」
「……女将さんは、ちょっと変だけどいい人だよ」
六花がボソッと呟く。
聞けば、宿側に余裕があるときは、銀一が六花を職場に連れていって、宿のメンバーに面倒を見てもらうパターンもあるという。
〝変〟という単語が玲央奈としては引っかかったが、半妖の者は一番身近な天野や稲荷を含め、変わり者が多い気がするので、あえて突っ込んでは聞かなかった。普通の人とは違う力があるせいか、やたら個性的なのだ、彼らは。
「それにちょうど、何件かキャンセルが出ていてね。比較的近隣から来る予定だったお客さんばかり、急に。たまたま重なっただけだとは思うけど」
少し困ったように笑いつつ、銀一は「だからどうかな?」と改めて天野たちに問いかける。
「今なら宿周りの紅葉も見頃だよ。このシーズンに泊まれるのは、僕が言うのもなんだけど相当ラッキーだよ」
「紅葉ですか……」
きれいだろうなと思い浮かべる玲央奈の顔を、天野がひょいっと覗き込む。
「俺は話を聞いて、お言葉に甘えるのも悪くないと思うが、玲央奈はどうだ? せっかくの三連休だし、君が行きたければ旅行気分でありがたく泊まりに行こう」
「そう、ですね……」
玲央奈は迫る端正な顔に仰け反りつつ、しばし考えてみた。
あやかし関連のお宿という点は、若干怖くもあり、同時に好奇心が擽られるところでもある。
またあやかし云々とは別に、旅行をした経験が皆無な玲央奈には、単純に温泉宿に泊まれる事実だけで心惹かれた。
(子供の頃も、お母さんと旅行らしい旅行なんてしたことなかったし……。呪いを受けてからは、旅先であやかしに絡まれたら危ないし、不安で機会があっても自分から断っていたものね)
そのため玲央奈は、中学も高校も、修学旅行をあえて欠席した。旅行の話で盛り上がる同級生たちを、クラスの隅っこで眺めるだけだった。
そんな苦い思い出を、今になって塗り替えられるかもしれない。
それに……。
(清彦さんと温泉旅行っていうのも、楽しそう、かも)
玲央奈は柄にもなく浮足立ってきて、気づけば「私も行きたいです」と了承の返事をしていた。
「良かった! じゃあまた、詳しいことは連絡するよ!」
「……楽しんできてね、おにいさん、おねえさん」
満面の笑みの銀一と、ツンを引っ込めた六花に見送られ、玲央奈たちは彼らの部屋を後にする。
ドアが閉まった途端、天野が玲央奈の耳元で甘く囁いた。
「夫婦になって初めての旅行。つまりは新婚旅行だな、俺のお嫁さん?」
「しっ……! ま、まず夫婦じゃないですし、新婚旅行でもありませんから!」
――こうして玲央奈たちは、天野いわく〝新婚旅行〟に思いがけず臨むことになったのだった。