名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~


 いざ、いざ。

 新人デザイナー見習い、湖沼(こぬま)美兎(みう)

 今日まで避けていた、(にしき)の妖界隈にある小料理屋の楽庵(らくあん)に出陣するために、久しぶりに界隈に足を運んだ。

 想い人である猫人の火坑(かきょう)に会いに行くべく、同伴者に座敷童子の真穂(まほ)とぬらりひょんの間半(まなか)は居るが。これほど、心強い同伴者はいない。

 間半は今日出会ったばかりだが、面白がったりはしても相手を尊重してくれる節がある。詫びとは言え、火坑への手土産を購入してくれたり、今日楽庵(らくあん)での代金も支払ってくれるそうだ。

 いきなり初対面とは言え、ここまで提案してくれるのはナンパでもそう多くはない。それに、真穂が一度窘めたから、美兎もこれ以上は言わない。

 だから、楽庵の前に到着した時には、何度か大きく深呼吸をしたのだ。


「い、行きます!」
「ああ」
「オーケー」
「……あれ?」


 引き戸に手をかけたのだが、何故かあちらから開いてしまったのだった。

 夜も夜半に近くなって来たし、客かと思ったのだが。見えてきた手の形と毛並みに美兎の心臓が早鐘を打ち始めた。


「……おや、湖沼さん?」
「か、火坑さん!」


 スッキリと整った猫顔。涼しげな微笑み。

 ひと月も会っていなかったのだが、なんだか懐かしく思えて。思わず、美兎は涙ぐんでしまいそうになったが、なんとか堪えた。

 二人揃って顔を合わせたままだが、まずは謝ろうと美兎の方から腰を折った。


「い、一ヶ月も来れなくてすみませんでした!」
「い、いえ。僕は怒ってはいませんが」
「い、色々理由があって来れなかったんです。本当にすみません!」
「……湖沼さん」


 しっかり謝罪すると、火坑から小さく笑う音が聞こえてきて、柔らかい肉球のない手で美兎の頭を撫でて切くれた。その手つきはとても優しかった。


「はーい! とりあえず、美兎の謝罪は終わり。真穂達もいるよ?」
「!……これは、総大将まで」
「相変わらず、憎たらしい性格をしてるね? 猫坊主。女性一人を悩ませちゃうんだから」
「……はい?」
「わーわー!? 間半さん!!」


 言いふらすつもりはないだろうが、美兎の気持ちをバラしかけたので慌てて二人の間に入った。

 とりあえず、火坑は客の気配がしたのに店に入って来ないのが気になって引き戸を開けたそうだ。なので、美兎達は中に入ってカウンター席に座った。

 やはり、冬になってきたので外の寒さとの差が激しく、エアコンの暖かさにほっと出来た。さらに、熱いおしぼりを渡されると殊更身に沁みた。


「あ、あの。皆で選んだお菓子なんですが」


 料理を注文する前に、先に例のマカロンの袋を渡した。

 すると、袋を見ただけで火坑の顔が華やぐように輝いたのだった。


「あ、そこ僕も知っています! 秋口にリニューアルオープンしたマカロン専門店ですよね? 甘過ぎないマカロンだと柳橋でも聞いていたんですが。……わざわざありがとうございます」
「えと。今日のは、新商品のイチゴとクリームチーズのマカロンです。火坑さんでも、食べられると思いまして」
「? 僕、甘過ぎるのが苦手なお話しましたでしょうか?」
「ずっと前に、真穂達とクレープ屋行ったじゃん? あの時に〜」
「ああ、それで。お気遣いありがとうございます」


 火坑自身が気になっていた店の商品なら、選んで良かったと思えた。

 美兎がずっと来ないでいたのも、いくらか心配はかけてしまったようだが、怒らせてはいなかったことにも安心は出来た。とは言え、まだまだ告白などは先の先としか思えないでいるが。


「さて、猫坊主。今日は故あって僕の奢りだ。お嬢さん達にとびきりの馳走を振る舞ってあげておくれよ?」
「はい。かしこまりました。スッポンも久しいでしょうし、今日は雌を仕入れられました。まずは、卵とかいかがでしょう?」
「お願いします!」
「真穂も!」
「僕は胆汁の水割りを」
「はい」


 まずはいつものコースから。それを味わうのも随分と久しぶりに感じるが、生姜醤油の卵と足の肉の和物も変わらずにとても美味であったのだった。


「寒いし、ふぐもいいがタラもいいだろうねぇ? 猫坊主、どちらかあるかい?」
「今日はふぐがありますよ? 鰭酒(ひれざけ)の準備もしてあります」
「ほう、いいねぇ? 美兎のお嬢さんは日本酒は大丈夫かな?」
「あ、はい。飲めます。ひれざけってなんですか?」
「名の通り、ふぐの鰭を使った酒さ。寒くなってきた今日にはもってこいの酒だよ」
「へー?」


 なんだか、間半が言うと素敵な響きに聞こえてきた。


「鍋、刺身、唐揚げとありますが。今宵はどうしましょうか?」
「ひととおり、にしようか?」
「え!? ふぐ料理って高くないですか?」
「はっはっは! おじさんの懐事情は心配しなくていいよ?」
「ふふ。懐石としてのふぐ料理専門には劣りますが、精一杯頑張りますので」
「うん。では、出来上がり次第順に出してもらおうか?」
「かしこまりました」


 久しぶりの来店で、高級料理。

 とんでもないタイミングで、来てしまったものだ。

 ぬらりひょんの厚意とは言え、いきなり高級料理を奢ってもらうことになるとは。

 ふぐ、と言う料理を美兎(みう)は生まれてこの方。ほとんど食べたことがない。いや、皆無と言っていいかもしれない。

 幼い頃から、裕福ではないが不自由もしてない普通の家庭で育ったために、縁がなかっただけだ。

 それを、二十三歳になった今年。初めて口にすると言う事態。美兎がぬらりひょんの間半(まなか)に心の欠片で支払うと言われても、いいからいいからとあしらわれてしまう始末。

 座敷童子の真穂(まほ)からも、気にしない気にしないと手を振られてしまった。


「超超高級料亭じゃないんだし、火坑(かきょう)も客のこと考えて選別してきてるんだがら。肉とかのA5ランクとかじゃないんだし?」
「そ、そうなの?」
「ふふ。おっしゃる通りです。たしかに本日仕入れたふぐは一等品ではないので。……(ひれ)の方も乾かす必要があるので、今日捌いたものではないのです」


 ほら、と火坑が厨房の壁を指差すと。カウンターと厨房の境目の壁に、小さな(すだれ)のようなものが立てかけてあった。そこには虫ピンのような針で留められている、黒い鰭があったのだ。乾燥しているので、すぐにでも調理出来そうだ。


「ほう? いい感じじゃないか? 酒も期待出来そうだねぇ?」
「ふふ。だといいですが」
「あの、ひれざけって。どう言う風に作るんですか?」
「お嬢さん、下関には行ったことはあるかい?」
「えっと……ない、です」
「面白い話があるんだよ。そもそも、鰭酒に最初出来たのは……大戦後間もない時代だったんだ」
「たいせん?」
「第二次世界大戦ですね? あれがなければ、日本は変わりませんでしたが」
「!?」


 そうだ、見た目で忘れかけていた。真穂も、火坑もだが、見た目はほとんど人間と差がないようにしている間半はずっとずっと昔から存在しているらしい妖のひとり。

 美兎みたいな人間なんて、子供よりも赤ん坊に等しいだろう。なのに、態度を変えることなく唯一人の人間として接してくれている。

 美兎は、そんな御長寿である間半の話を聞くことにした。


「今では酒造出来ない、酒に似せたマズい酒を人間達は飲むしか出来なかった。戦後のせいで物資はままならなかった時代になってしまったからね? それは漁師も変わらない。だが、ある冬の寒い時期。船で熱燗を飲むのにも混ぜるものがないと、食べ残したふぐの鰭でかき混ぜたら……人間にとっては美味いと感じたらしい」
「とは言っても、干していなかった鰭を実際にやると生臭くなってしまうんですよね? けれど、ただでさえ食が貧困していた時代には美味しく感じたのでしょう」
「だろうね? では、猫坊主。今の鰭酒を披露してもらおうか?」
「かしこまりました。熱燗もちょうどいい塩梅ですし」


 火坑が虫ピンのひとつを手に取り。人数分取ってから、一枚一枚を細長いトングの先に挟んで。弱火にしていたコンロの上でじっくり炙っていくのだった。


「生もだが、料理人の腕の見せ所なんだよ。弱火でじっくり炙らないとせっかくの鰭が焦げてしまうからね?」
「ええ、その通りです。これを端っこがこんがりするくらいまで炙って」


 いつもより大きめの、酒器。お猪口よりも、ぐい飲みみたいな陶器に出来立ての鰭を一枚入れて。その後に、湯気がすごい熱燗を注いだ。

 これで出来上がりかと思えば、チャッカマンで火をつけてしまい、まるで洋食のフランベのように青い火がついてしまった。


「え、え?」
「火が消えた辺りが飲み頃です。お待たせ致しました、トラフグの鰭酒です」
「わーい!」
「ふむ、悪くなさそうだ?」
「火、つけちゃうんですか?」


 綺麗ではあるが、これは演出なのだろうか、と思うと。また間半がくつくつと笑い出した。


「酒の好みにもよるが、鰭酒の場合強い酒で作ることが多い。今日は猫坊主の好みに任せたんだが、酒に火が入ると酒精……アルコールが飛ぶとも言うだろう? クセが抑えられて飲みやすくなるんだ」
「……そうなんですか」


 だとしたら、普通程度しか飲めない美兎を思ってか、美味しさを提供するためか。

 どちらにしても、美兎の火坑への好意数値がますます高まってしまうのだった。

 とりあえず、火が消えてからひと口飲んでみることにした。


湖沼(こぬま)さん、鰭は取り出してもそのままでもお好みでどうぞ」
「じゃ、せっかくなのでこのままで」


 酒も器もかなり熱かったが。

 アルコールをいくらか飛ばしたのと、炙った鰭の香ばしさで。これが酒なのかと思えないくらい、飲みやすい飲み物と化していた。


「ふふーん。美兎、気に入った?」
「うん! なんか、スープ飲んでるみたい!」
「言い得て妙。冬にしか飲めない酒だしね?」
「トラフグの旬ですしね?」


 先付けに出た、春雨サラダと合わせてもとても美味しい。おかわりしたくなるが、やはり二杯目はいつもの梅酒にしようと決めた。


「さて、鰭酒とくれば。てっさもいいですが、冬も近いですし。てっちり鍋……ふぐ鍋といたしましょう」


 ただ、その前にと火坑は身の部分ではなく、ふぐの皮をいきなり細切りにして鍋で軽く湯引きするのだった。

 何せ、ふぐ料理をデビューしたばかりの美兎(みう)なので。骨はともかく魚の皮。シャケや青魚はともかく、毒があると有名なふぐの皮まで食べられると言うのは衝撃的過ぎた。

 余程驚いた顔になっていたのか、猫人の火坑(かきょう)は涼しげな笑顔で答えてくれたが。


「皮の湯引きは、人間でもポピュラーに食べられているのですよ。てっさ……ふぐ刺しにもよく添えられています」


 味はもちろんしないので、ポン酢醤油と和えるのが一般的ですが。と、彼はそう言いながら、細切りにした皮をボウルの調味料で和えていった。

 小鉢に体よく盛り付けられた一品は、とても可愛らしく見えた。


「本日、ふぐ刺しではありませんので。皮を湯引きしてポン酢醤油で和えてみました」
「いただきます」
「いっただきまーす!」
「うん、いただこう」


 薄っすらと透けているが、トラフグの独特の模様が愛らしい皮の湯引き。混ぜて食べると美味しいと火坑が言ってくれたので、薬味に載せてあった紅葉おろしと小ネギもしっかりと混ぜて。


「! コリコリしてて、味はあんまり感じないです。けど、紅葉おろしとポン酢醤油でいい塩梅になります!」
「お気に召しましたでしょうか?」
「はい! 美味しいです!」


 たしかに皮自体に味はほとんどないが、コリコリとした食感が実に楽しい。正月の数の子とも、沖縄料理のミミガーとも違うなんとも言えない味わい。

 これは、おそらく美兎の給料では楽庵(らくあん)以外で早々に食べられないに違いない。とは言えど、今日は間半(まなか)の奢りだ。妖に最近奢られがちではあるが、厚意を無碍に出来ないのでのっかるしかない。


「さて、次はふぐ鍋ですね?」


 そして、ひとつの鍋で煮込んだものではなく。小ぶりの土鍋を美兎達の前にそれぞれ置く前に。火力は、旅館とかでも使うような固形燃料。それを土台の中に入れて、チャッカマンで火をつけて。その上に土鍋を置くのだった。


「わ! 言い方悪いですけど、タラのお鍋みたいですね?」


 ふぐだと薄造りのイメージが強かったが、今回の鍋では大胆にぶつ切りだったのだ。もう既に煮込まれているので、白身魚の塊が美しく見えた。


「ふぐって、実は繊維質がすごいんですよ。皮の湯引きでおわかりでしょうが、身を普通の刺身のようにすると噛み切れにくいですしね? なので、刺身だと薄造りが基本だとも言われています。鍋ですと、煮込むことでいくらかやわらぐので大振りなんですね」
「そうなんですね!」
「タレは先ほどと同じ、紅葉おろしとポン酢醤油でお召し上がりください」
「はい!」


 ひとり鍋だなんて、なんて贅沢なのだろう。こう言うこじんまりとしたお店ならではの気遣いかもしれない。野菜もよく煮込まれているが、せっかくなのでぶつ切りに切られたメインのふぐを食べることにした。


「ん! いいよ、火坑! いい塩梅!」


 先に食べていた真穂(まほ)が、火坑に向けて親指を立てていた。

 そんなにも美味しいのかと、美兎もタレをつけて軽く息を吹きかけてから口に入れた。


「はふ……あふ! わ! 本当にかみごたえありますね!!」


 一見柔らかそうな感じではなくて、もちもちした弾力のある白身魚だった。けど、味は出汁とポン酢醤油のお陰で、もちもち噛んだあとから旨味がやってくる。

 骨は流石に無理なので、丁寧にとってからまたひと口。

 これに、二杯目にとお願いした火坑特製の梅酒が合うこと。蘭霊(らんりょう)の梅酒もたしかに美味ではあったが、美兎には飲み慣れたこちらの味が懐かしく思えた。

 ああ、ひと月来ないでいた時間が惜しく思えたのだと。

 意地を張らずに、臆病にならずに。火坑の料理や語らいをもっとしたかった。

 肝心なところで、情けないなあと、涙が出そうになったのを堪えた。


「さて、唐揚げも出来ましたよ」


 いつのまに、と思ってカウンターに置かれた料理は。

 鍋の切り身同様に、大胆なぶつ切りでカラッと揚げられた唐揚げの登場だった。


「わあ……!」
「こちらも、身はかなり弾力があるので気をつけてください。レモンをかけると美味しいですよ?」
「じゃ、早速……!」


 鍋を少しずらして、唐揚げの皿を目の前に置き。

 添えてあったレモンのくし切りを絞って、きゅっとふぐの唐揚げにかけていく。


「ほう? 猫坊主、やるじゃないか? 下味がしっかりしてるねえ?」
「お粗末様です」


 間半が褒めるくらいに美味しい唐揚げ。

 なら、時々食べていたスッポン並みかそれ以上か。

 美兎も我慢出来ずに、箸で持ち上げるのだった。

 久しく口にしていなかった、元幽世(あの世)の獄卒であり閻魔大王の補佐官であった、猫人の妖となった者の料理。

 界隈でも指折りと数えられている、黒豹人の霊夢(れむ)の弟子となった後に。同じ(にしき)の界隈に店を出したのだが。

 なかなかどうして。小生意気な性格に反して、悪くない馳走を振る舞ってくれる。ぬらりひょんの間半(まなか)は、てっちり鍋とも呼ばれるふぐ鍋を堪能しながら、鰭酒の次に頼んだ熱燗を楽しんでいた。

 界隈の端で、偶然目にした人間の女。

 座敷童子の一角である真穂(まほ)がわざわざ守護となった、湖沼(こぬま)美兎(みう)と言う人間でもまだまだ社会に飛び出したばかりの女。妖以下の霊力しかないが、何か惹かれたのかワガママで有名な真穂が虜になる相手だ。

 だから、間半は気になって近づいた。錦に来る理由が、小生意気な猫坊主である火坑(かきょう)の店に足蹴よく通っていると噂では聞いていた。

 なので、間半は彼女が表の菓子店で入った隙をついて、結界を張り問いかけたのだ。すぐに真穂に気づかれてしまったが、知りたいことは十分に知れた。

 (くだん)のケサランパサランの増殖。その一端に噛んでいたのは、やはりこの女と火坑なのだと。

 幸運の象徴とも言われているケサランパサランは、時に幸福な霊力と妖力を好むとされている。本人達にとっては、栄養剤のようであるらしいがそう多くは得られない。

 だから、妖界隈によく出入りするようになった彼女が猫坊主に想いを寄せているのを察知した、ケサランパサランが楽庵(らくあん)に寄り添ってしまった。

 その逆も然り。

 なのに、想い合う二人は周囲の気持ちを知らずに、真実を知っているようで知らぬまま。お互いの想いもだ。これを滑稽以外になんと言う。

 だから間半は、気分が良かったので美兎を誘い、今日の支払いをすべて請け負った。もともと懐事情に寂しいものはないし、家などに無鉄砲に侵入するのがぬらりひょんの特徴と言われるがそれだけではない。

 妖の総大将と言われるだけあって、妖達の揉め事などを解決するのに出向き。報酬を受け取る。なので、賃金などは不定期ではあるが潤っているくらいだ。


「唐揚げ、美味しいです!」


 そして、今楽庵で共に食事をしている美兎の表情は生き生きとしている。

 火坑を想うことで、臆病になっていた彼女の表情が一変してとても歓喜の表情でいた。

 一級品ではないが、初めてのふぐ料理を堪能して、とても喜んでいる。この表情を見れただけで、連れてきて良かったと思えた。その笑顔に、肴は足りてるはずなのに杯が進んでいくこといくこと。


「お鍋の時みたいにもちもちしてるんですね!」
「はい。大振りでない子供サイズのふぐの身は、旬になればスーパーでも見かけますよ? なので、家庭でも簡単に鍋や唐揚げを作ることが出来ます」
「……難しいですか?」
「ふふ。毒抜きはされていますから。あとは普通の魚と然程調理に差はありませんよ? 湖沼さんでもきっと出来ます」
「ちょっ、挑戦してみます!」


 それに、二人の会話は何気ないものでも想い合っているのだとわかれば、歯痒さを覚えてしまいそうだ。

 美兎の隣、つまり間半との間に挟まれた真穂の方も、慣れたのか呆れているのか、梅酒をちびちびと飲みながらため息を吐いていた。


「ねーねー、真穂ちゃん?」
「? 何よ、総大将?」
「二人って、いっつもこう?」
「……そうよ。真穂も疲れてきた」
「ふふふ。ケサランパサラン以上に幸福の象徴である君が叶えられないとはねぇ?」
「まったくよ」


 美兎と火坑は話に夢中になっているので、こちらの会話は聞こえていないようだ。

 なので、思い思いに話が出来て幸いだが。なんと言うか、本当に歯痒い。歯痒すぎて、逆にくっつけたくなる。

 そこで、間半はいいことを思いついた。


「では、〆はどうなさいましょう? スッポンかふぐ鍋の残りで雑炊も出来ますが」
「せっかくだから、ふぐ!」
「異議なし!」
「僕もお願いしようか?」


 挑戦(チャンス)は一度きり。

 美兎と真穂が帰ると言ったあとだ。

 雑炊を堪能してから、が本番だ。

 お腹が膨れて、安心し切った美兎達は間半に礼を言ってから帰っていく。間半本人は、もう少し酒を飲むと言う理由で一人留まる。

 そして、完全に気配が遠のいてから間半が切り出した。


「時に猫坊主」
「はい?」
「たおやかな花を手折らない訳を聞いても?」
「は……?…………え、え!? 総大将どうして!?」
「何。今日お前を見ていてよーくわかった。件のケサランパサラン事情も納得の理由さ?」
「……大王から何か?」
「いいや。幽世(あの世)は関係ないね? 時折、あのお嬢さんは真穂ちゃんとのことで噂になっていたんだ」
「……そうですか」


 とは言え、今日は語らうだけで終わらせるつもりはない。


「あの子が、どこかの妖の流れをくんでいるんだから。契るのを厭う理由にはならない。それに、一切考えなかったのかい? 彼女が、何故ひと月もこの店に来なかったのか?」
「……お仕事では?」
「いくら、社会人一年目の新人でも。真穂ちゃんのお陰でちょいちょい落ち着いているはずさ? そうじゃなくて、お前を……とは思わないのか?」
「僕……ですか?」


 肝心のところで鈍いのは相変わらずか。とりあえず、順を追って説明することにした。


「ケサランパサランの解決方法はなんだった?」
「……僕が湖沼さんを想う気持ちが溢れかえっているから、と」
「そう。なら、逆は思わなかったのかい?」
「逆……?……………………え、え、え!?」


 やっと理解したのか、火坑はその場でずっこけそうになった。

 少し頭痛がしそうだった間半は更に続けた。


「片方だけでなく、双方の霊力と妖力が溜まればケサランパサランも寄ってくるだけですまない。鏡湖(かがみこ)にも彼女の痕跡はあったからね? だから、閻魔大王の策以上に。解決策はただ一つ」
「……と言いますと?」
「わかってるんなら、ここはいいからさっさと行ってきな!」
「すみません!!」


 何を実行すればいいかわかった火坑は、上着も着ずに料理人の服装のまま店を飛び出して行ったのだった。


「……はあ。燗酒はすっかり温くなってしまったが。解決しそうでよかったよ」


 実は、火坑には少し嘘をついていたのだが。

 閻魔大王からの式神で、こっそり美兎と火坑の仲を取り持ってやってくれないかと頼まれたのだ。

 だから、美兎から探りを入れてこちらに来たわけである。

 うまく行って欲しいものだが、火坑のあの様子ならきっと大丈夫だろう。

 そう、間半は思っておくことにしたのだった。

 自分は、いつだって他人を優先していたと思う。

 地獄の獄卒以前に、ただの猫畜生だった頃も。猫の生き方であれ、主人を蔑ろにせずに過ごしてきた。

 それが死してまさか、地獄の獄卒。さらには、閻魔大王の第四補佐官に任命された後でも。

 いつだって、自分のことよりも他人の事を優先していた。その生き方に後悔はなかったが、いざ自分の事となるとどうしていいのか。年甲斐もなく、慌てていた。

 ぬらりひょんの間半(まなか)に背中を押され、妖界隈から自宅に帰る途中の湖沼(こぬま)美兎(みう)を探しているのだが。

 猫人なので、火坑(かきょう)はそこまで鼻が効かない。常人以上、犬以下なので繁華街の匂いに紛れて探せないのだ。

 とにかく、急いで急いで美兎とその守護についている座敷童子の真穂(まほ)を探しているのだが。人間界と同じく碁盤のように区切られている、この広小路はとにかく迷路と同じだ。

 どこがどうで、目印があるようでない。店とかも、大体が似通っているために同じく目印にならない。

 どこだどこだ、といくつか角を曲がったところで。火坑はようやく見覚えのある二人組の女性の背中が見えたのだった。


「こ……ぬま、さん!」


 やっと見つけた。

 けど、まずい。

 あの道順を辿れば、すぐに人間界へと戻ってしまう。真穂や間半のように、人間に似せているどころか猫の頭である火坑だと人間界に行ったら騒ぎを起こしてしまう。

 だから、疲れていても、全速力で二人の背を追った。


「こ、ぬまさん…………み、うさ。美兎さん!」
「うぇ!? はい!?」
「あら?」


 なんとか、人間界に通じる角を曲がるギリギリ手前で捕まえられた。

 勢いで名前まで呼んでしまったが、美兎は大きく肩を跳ね上がらせただけだった。


「す、すみませ……ぜーっ、ぜー……」
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫ですか、火坑さん!?」


 とにかく、全速力で駆け寄ったのでなかなか息が整わない。獄卒だった頃は体力諸々丈夫ではあったのに、妖に転生したら同じではなかった。全く、情けない。

 しかし、言うべきことは決まっているので。美兎に伝えたい。言いたい。

 だから、と思ったら。何故か真穂に軽く肩を引っ張られた。


「ちょっと。大事な話をこんな道端でするつもり?」
「真穂、さん?」
「『かごめ』に行こ? 季伯(きはく)なら場所を貸してもらえるだろうし」
「え、こんな時間に行っていいの?」
「妖の領分は夜だもん。行こ行こ」


 と言うわけで、火坑が来た道を戻りつつ喫茶『かごめ』に場所を移して。

 そして、マスターの季伯が喜んで迎えてくれてから。火坑は美兎と向かい合って座ることになった。真穂は一人カウンターで季伯とあえて話をしてくれている。

 緊張はしてきたが、火坑は言うと決めて追いかけてきたのだから、と。季伯が出してくれたブレンドコーヒーをひと口飲んだ。


「あの、どうして追いかけてきたんですか?」


 火坑から話そうと思ったら、美兎から話しかけてきた。その表情は、少し不安を抱いているが火坑を見ながらも頬を赤らめていた。

 ああ、それがもう。

 今まで、何故気付かなかったかと後悔しか浮かんでこなかった。


「……あなたにお伝えしたいことがありまして」
「えっと。何か忘れ物でも?」
「いえ。忘れ物は僕にあります」
「火坑さんが?」


 ああ、恋愛事に鈍い様子も酷く愛らしい。顔立ちも愛らしいのに、何故相手がいなかったのか。

 いや、過去に相手はいたかもしれないが。彼女は火坑と知り合い、火坑自身を好いてくれてから誰も見向きをしなかったのだろう。

 常連仲間の、美作(みまさか)辰也(たつや)も悪くない好青年ではあるのに。人間ではなく、猫人の自分に好意を向けてくれてただなんて。

 間半に言われなければ、本当に気づかなかった。自分で気づこうにも、相手にされないと勝手に決めつけていたからだ。

 そんな臆病者に、こんなにも愛らしい好意を向けてくれているのだ。火坑は、もう迷わないと決めた。


「湖沼さんに……美兎さんに、お伝えしたいことがあるからです」
「な、まえ」
「率直に言います。僕は、あなたに惹かれているんです。お付き合い、していただけませんか?」
「え…………え、え、え!?」
「やるじゃん、火坑?」


 真穂の合いの手も入ったが、美兎は顔をさらに赤らめてからあわあわと口を上下に動かしていた。


「か、かかか、火坑……さんが、私を?」
「いつから……と言うのは、僕にもわかりません。ですが、気がついたらあなたを想っていました。おそらく、ケサランパサランのことがあった辺りに」
「あ、あれは。わ、私のせいじゃ」
「え?」
「……私、が。火坑さんを……す、好きな気持ちが。霊力になって溜まったって」
「ふふ。あなただけじゃありません。僕の気持ちも溢れ返ったんですよ」
「え、じゃあ……!」
「はい。色んな人に言われて気づいて。でも、自信がなかったもので、今日までお伝え出来なかったんです」
「ほ、本当に……?」
「はい、美兎さん」


 基本的に名字を持たない妖以外で、客を名前で呼ぶことがなかったのだが。

 名が短い呪いと言われているくらい、呼ぶだけで胸の中が温かくなっていく。こんな経験は、火坑にとって初めてだった。


「わ、わわわ、私……も。火坑、さんが好きです!」


 そして、きちんと返事をしてくれた美兎の顔は。

 泣きながら笑っているのだが、火坑が見てきたどの表情よりも魅力的で。

 思わず、席から立ち上がって抱きついてしまったのだった。


「妖と結ばれても。後悔はさせません」


 そう固く誓った言葉を告げると、美兎の力が抜けたので覗いてみると。


「美兎さん!?」
「いきなり刺激的な行動するからよ」


 真穂には呆れられてしまったが。美兎は気持ちの受け止めがうまくいかずに気絶してしまったようだ。

 なので、起きるまで季伯に休憩室を借りて、膝枕したのだが。彼女はなかなか起きなかった。


「……絶対、幸せにします」


 すよすよと寝ている美兎の前髪を手でよけて、火坑は額に軽くキスを贈ったのだった。


 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。




 あれから、また半月。

 年末に近くなり、仕事も忙しくなってきたデザイナー見習いである新人の湖沼(こぬま)美兎(みう)だが。

 錦に来ると、心はいつだって軽い。

 だって、妖相手とは言え彼氏が出来たのだから。相手は、猫の頭を持っていても人間と同じ手足である猫人。

 元地獄の獄卒であり、補佐官だった経歴を持つ素晴らしい猫人なのだ。名を、火坑(かきょう)と言う。

 今日は比較的早く仕事が終わったので、彼の気に入りであるマカロンを購入してから界隈に向かっていた。そして角を曲がっていくと、すぐに小さな少女が顔を出してきたのだった。


「今日もご機嫌ねぇ?」
「だってだって! 火坑さんに会えるんだもん!」


 彼女も妖だ。座敷童子と言う有名な家妖怪として伝えられる、幸運を運ぶ妖。

 名を、真穂(まほ)と言う。

 通常は子供姿が多いが、人間界を行き来することがあるので年齢変化は自由自在。割りかし、美兎に合わせて大学生くらいになることが多い。

 そして今は、美兎の守護妖怪として界隈に来るときの護衛をしているのだ。持ちつ持たれつ、美兎の霊力と馳走を報酬がわりにして。

 だいたい美兎の仕事が終わり、錦の界隈に来る時はこうして出迎えに来てくれるのだ。


「はいはい。で、美兎」
「ん?」
「今忙しいのもわかるけど。一向にデートする日が作れてないじゃない? 火坑としたくないの?」
「で、デート!……したいけど。休日はバタンキューだし……」
「まあ、楽庵もかき入れ時だしね? けど、お互いの連絡先も交換したんでしょ? 真穂がいない時とかにやりとりしてるの?」
「し、しては……いるけど」
「けど?」
「火坑さん、自営業と同じだろうし。休日はゆっくりしてもらいたいなって……」
「ああ、もう! お互いが気ぃ遣い過ぎ!」
「お互い?」


 なんのことだろうと首を傾げば、真穂はすぐに大学生くらいの姿に変化した。


「美兎が行けない日とかに聞いたのよ。自分から誘わないのかって。で、あっちも美兎と同じ答えだったわけ」
「火坑さん!」
「感心するとこじゃないんだから! 美兎が社会人なのはわかるけど、二人とも付き合ってるんだからもう少し欲張りになりなよ!?」
「え〜〜? 付き合えるだけで、充分欲張りだけど〜」
「惚気るのはいいから、とにかく行ってから切り出す!」
「は〜〜い」


 たしかに。想いを交わした以降、店に出向いてもそれまでの客と店主のやりとりとほとんど変わっていなかった。

 これまで、それぞれ自問自答していた時期があったことを思えば、十分な前進ではあっても。二人で出かけたり一緒に過ごす時間を持たないのは、たしかにもったいないかもしれない。

 それに、あと数日で火坑の誕生日だ。

 完全に忘れてたわけではないが、プレゼントはまだ選んでいない。

 であれば、真穂の言う通り、きちんと火坑に伝えよう。彼が必死になって美兎に気持ちを伝えてくれたあの日のように、すれ違ったまま気持ちを言わないのはよくないから。

 そうこうしているうちに、楽庵に到着して。扉を開けると、先客が居たのかカウンターに誰か座っていた。


「美兎さん、真穂さん。いらっしゃいませ」
「来たよ〜」
「こんばんは、火坑さん!」


 一週間ぶりの、火坑の涼しい微笑み。それに思わず頬が緩んでしまうが、先客の前で緩み切ってはいけない。

 ちらりと、そちらを見れば。これまた、凄い美形の男性が座っていた。外見は、ぬらりひょんの間半(まなか)よりはいくらか若い。人間年齢ならば、五十代前後。

 メッシュのように、銀髪が黒髪に混じっているがとてもお洒落だ。服装はきっちりとした和装。今は、熱燗を飲んでいるのかちびちびと杯を傾けていた。それだけで、まるでひとつの絵のように思えた。


「? あら、絵門(えもん)じゃない?」
「……息災か。真穂よ」
「真穂ちゃん、お知り合い?」
「うん。牛鬼(ぎゅうき)の絵門」
「ぎゅうき?」
「……我は、鬼の一種だ」
「鬼!?」


 角もなにもないのに、全然恐ろしい印象を持られる鬼の類には見えない。つい口から、『本当に?』とこぼすと、絵門は杯をカウンターの卓に置いてから静かに頷いた。


「人化、をしているからな。本性であったら、ここの馳走を楽しめぬ」
「本性?」
「こいつの、てゆーか。牛鬼の本性はこっわいよ〜? 蜘蛛の体。鬼の頭。吐く息は毒とか。関西方面では結構有名かなあ? 浜辺にいる人間を襲うとか」
「……昔の話だ。今は人間を喰わぬ」
「そ、そう……ですか」


 表情の変化こそないが、静かな雰囲気の妖なんだなと理解出来た。

 とりあえず、立っているわけにもいかないので、席に着いてから火坑から熱いおしぼりを受け取った。


「本日の先付けは、枝豆です」
「じゃ、ビール!」
「あ、私も」
「はい。生と瓶ビールどちらになさいますか?」
「え、生始めたんですか?」
「はい! 師匠のツテで、ようやく設置出来ました!」


 じゃじゃーん、と効果音がつくくらいに。火坑は得意げになって、厨房にある小ぶりではあるがビールサーバーを見せてくれたのだった。


「……それは酒だったのか?」


 飲み終えたらしい絵門は、不思議そうに尋ねてきた。


「あの。ビール、知らないんですか?」
「ああ。名を知っている程度だ。たしか、泡が浮かぶと」
「発泡と言うお酒の種類なのですよ。他のお酒のように瓶入りもあるんですが、今日からこう言う機械でご提供出来るようにもなったんです!」
「ふむ。気になるな? 我もひとつ」
「おや、試飲は不要ですか?」
「構わん」


 全員ジョッキで飲むことになり、練習したらしい火坑の注ぎ具合はとても様になっていた。

 名古屋の駅前や錦のビル街名物である、夏のビアガーデンでの店員のように。美兎は会社の付き合いで今年一度だけ連れて行かれたことがあるのだ。


「お待たせ致しました! 生ビールです!」


 透き通ったガラスのジョッキに注がれたのは、琥珀色のような淡い黄色の液体。上にはクリームのような泡。

 まさしく、生ビールであったのだった。

 ここに来るとほとんど梅酒で、普通の居酒屋や宅飲みでは飲んでいるビールだが。

 きめ細やかな純白の泡。ガラス越しに見える琥珀色の液体はまるで宝石のよう。

 美兎(みう)は、恋人に出されたジョッキのビールをしばらく眺めていたのだった。


「はい、美兎。乾杯」
「あ、うん。乾杯」


 けど、座敷童子の真穂(まほ)はすぐにでも飲みたいのかジョッキを寄せてきたので、慌てて美兎もジョッキを持った。

 小気味の良い音が響くと、真穂の向こう側に座っている牛鬼(ぎゅうき)絵門(えもん)がこちらに声をかけてきた。


「これの作法は、そのようにするのか?」
「あ、いえ。作法と言うかなんと言うか」
「絵門、ワインとか飲んだことある?」
「……ここの、ぽーとわいんと言うのならば」
「違う違う。エディが好きな、ようはぶどう酒よ。ああ言う西洋向けの酒とかが。杯を交わす時にグラスを軽くかち合わせるわけ。作法と言うか、もう習慣ね?」
「……ほう?」
「エディ?」
「吸血鬼よ。旧い知人で、たまにこっちに遊びに来るの」
「へ、へー?」


 海外の妖も実在するのだな、と美兎は背筋が軽く凍ったが。絵門がジョッキを持ってこちらに寄せてきたので、三人で合わせることにした。


「絵門! このビールはね? 一気飲みした方が段違いに美味しいのよ!」
「……酒をそう煽ると酒精が回ってこないか?」
「日本酒とかよりは平気よ! ほらほら! 泡消えちゃう!」
「……わかった」


 そして、美兎は普通に飲んだのが。妖の二人はどうに入るくらい勢いよく飲むのだった。

 誰も早飲みを競っていないのに、それこそ一気飲みという具合に。


「……ぷは!」
「はっぽう……とは初めてであるが。これはいいな? 爽快感が凄い! 店主よ、もうひとつ」
「かしこまりました。一品出来ますので、次はそちらと一緒にお召し上がりください」
「なにを作っているんですか?」
「はい。京野菜の海老芋が仕入れられたので、煮付けたものを軽く唐揚げ風に」
「わあ!」


 京野菜、という響きだけでとても美味しそうに聞こえたのに。さらに、煮付けて揚げるとは、火坑(かきょう)は天才的だ。

 九条ネギとか賀茂茄子だったら美兎も聞いたことがあるのだが、えびいもとはよくわからない。

 ちょっとだけ、独特の苦味と発泡が強い生ビールに枝豆と合わせているうちにそれが完成して。

 三人に出されたのは、ぱっと見鶏の唐揚げのようにも見えた。


「お待たせ致しました。海老芋の煮付けを、唐揚げにしたものです」
「ほう。海老芋……懐かしいな?」
「絵門は京都出身だもんねー?」
「京都にいらっしゃったんですか!?」
「……ああ。百鬼夜行にも加わっていた時期があったが。ある御方と共にこの地に来たのだ」
「ある人?」
「……そちはたしかお会いになられたはず。ぬらりひょんの間半(まなか)様だ。我はあの方の下僕よ」
「あ!」


 そう言えば、満足にお礼も言えずにこの店で別れたっきり会っていない。絵門に間半のことを聞いても、さあなとしか言われなかった。


「我も、そちからわずかにあの方の妖力を感じ取った程度だ。すまぬが、あの方の行動はぬらりひょんの如く神出鬼没なのでな」
「……そうですか」
「美兎がそう言ってたら、ひょっこり出てくるわよ?」
「そうかなあ?」
「それより、唐揚げ冷めちゃうから食べよ?」


 間半より料理か。と言っても、せっかくの火坑の料理は美味しくいただきたいので、ジョッキを置いてから箸でひとつつまんだ。


「んん!? 里芋みたいですね!」


 甘辛く煮付けてある味と食感は、まるで里芋の煮っ転がしと同じ。

 それを唐揚げのように、薄い衣をまとわせて揚げだだけなのに。これはビールのお供だと言わんばかりのカロリーオーバーな逸品。

 ビールが欲しくなり、美兎も結局は残りを一気飲みしてしまった。


「いい飲みっぷりですね」
「す、すみません!」


 恋人の前でなんてはしたない行動をしてしまったのだと、恥ずかしくなって顔を覆ってしまったが。火坑はパチパチと手を叩いてくれたのだった。


「海老芋は里芋の一種なんですよ。だから、他府県民の方でも受け入れやすい味なんですね。今日仕入れたのは、これなんですが」


 火坑は美兎の羞恥心を逸らすのに話題を変えてくれて、下にあるらしい箱の中から火坑の顔以上に大きな里芋の化け物を出したのだった。


「お、おっきい」
「立派ねぇ?」
「ほう? 人間達はこの大きさも食すようになったのか?」
「ええ。育ち過ぎでも、大味ではなくなってきたので」


 海老芋を仕舞い込むと、今度は煮付けていない海老芋を揚げたのだ。おかわりにしては変だと思っていると、小鍋で沸かした出汁に入れて軽く煮立たせ。器に盛ったら、さらに大根おろしと生姜も添えて。


「揚げだしね?」
「やはり、冬ですから温かい料理がいいかと思いまして。お待たせ致しました。海老芋の揚げだしです」


 先程の唐揚げや、揚げだし豆腐ともまた違う逸品。

 海老芋は冬が旬だそうだが、中に味がついていない芋はどんな味か。

 美兎は、もう一度いただきますをしてから箸を伸ばした。

 海老芋。

 牛鬼(ぎゅうき)である絵門(えもん)にとっては、人間を食べない時の腹の足し程度に畑から盗んだりしたのはいつのことか。

 人間の大きな戦争が終わり、人間の死骸を喰らう機会がめっきり減ってからも、盗みを犯すのも罪だと。忠誠を誓う主であるぬらりひょんの間半(まなか)から言い渡されたので、絵門も従ったまで。

 人間の肉の柔らかさと血潮の癖を遠ざけるのにいくらか時間はかかったが。妖界隈でも、賃金を得る仕組みが増えてきてからは少しずつだが忘れていった。

 代わりに、妖の一部が人間のように、料理を嗜む輩が増えてきたお陰で。この楽庵(らくあん)のように、珍味を味わえる場所が増えてきた。

 今日は、たまたま楽庵の気分だったので赴いたわけだが。まさか、主人の妖気を微かに纏うだけでなく。主人に次ぐ、最強の妖の一角である座敷童子の真穂(まほ)が守護についた人間の女に出会えるとは。

 風の噂程度に耳にしていたが、本当にそんな女がいるとは目の前にするまで信じられなかった。しかし、現実は現実。纏う霊力は極上とまではいかないが、甘い匂いを漂わせていた。

 甘い霊力を好む真穂が、わざわざ守護につくのもわかる。

 それにもう一つ。気になることがあった。

 ごく一部からだが、目の前の猫人の妖。店主でもある、火坑(かきょう)の妖気が濃く植え付けられているのだ。であれば、この二人。ただの店主と客の関係ではないのだろう。

 その女、美兎(みう)と言う人間と火坑が熱心に話をしている間に。絵門は真穂に耳打ちしたのだった。


「真穂よ」
「んー?」
「あの二人は、恋仲か?」
「そうよー? ほんとつい最近。焦った過ぎたんだから」
「……半妖の半妖ほどしか。あの女には妖気を感じぬが」
「だから、普通の人間とほとんど血の流れに差はないわ。けれど、覚醒時期まで時間が必要だった。……この界隈に迷い込むまでは、本当にただの人間だったのよ」
「ほう」


 そして、真穂の話を聞くに。

 美兎は、火坑に思いを寄せたのに気づいたのは今年の夏らしく。人間にとっては短くとも長い時間、一人で悩んでいたそうだ。真穂や、他の妖とも出会い。背中を押されても、なかなか火坑に伝えられず。

 逆に火坑は、自覚するまで時間がかかったらしい。しかし、妖故に想いを伝える勇気が持てず。先日、間半と一緒に来店した美兎に、ようやく想いを伝えたそうだ。

 けれど、まだデート(逢引き)はしていないらしい。


「で、今日は美兎の仕事もちょっと落ち着いたからってことで来たわけ」
「ふむ」
「あ、真穂ちゃん!? 絵門さんになに話してんの!?」
「絵門が美兎のこと聞きたいって言ったから答えただけよ?」
「わー!?」


 絵門に全部話されたことで、美兎の顔は朱塗りのように燃え上がってしまったが。羞恥心が込み上がったのか、すぐにカウンターの卓の上に顔を押しつけた。すぐに、うめき声のようなか細い声が聞こえてきたのに対して、火坑は白い毛の手で彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でた。


「まあまあ、美兎さん。人間とは違って、僕達妖は妖気や霊力で相手を探るのが癖ですからね?」
「……癖?」
「左様。先程そちに言ったように、間半様の妖気が微かにあった以外にも。店主の妖気が色濃く移っている箇所があったものでな? 真穂のものは言うまでもない」
「……火坑さんが?」
「ふふ。内緒です」
「えー?」


 なるほど。見目は悪くないし、似合いだ。

 火坑は元獄卒であり、官位は低くとも地獄の補佐官でもあった。人間とも猫とも違う妖に輪廻転生を経て今に至るが。少々謎に包まれている美兎と、将来契ればいい夫婦(めおと)になるだろう。

 今は、人間で言うところの社会人らしいが。この狭い店を二人で切り盛りする光景がまぶたに浮かぶ。そう思えるほど、二人の関係は良いものだと絵門ですら思えた。

 そして、今日知って気に入ったビールを煽り、海老芋の揚げだしを口に含めば。甘露の循環が訪れたのだった。


「良い事だ。間半様からも祝福があったのだろう?」
「あ、その。……ここのお代持ってくれました」
「あの方がか? 余程、そちを気に入ったのだな?」
「そう、でしょうか?」


 すると、美兎はそうだ、と口にして火坑の方に両手を差し出したのだった。その動作には覚えがある。

 人間ならほとんど、妖であればごく一部。神なら真似事。

 妖の間では、賃金の代わりに妖力の源となる『心の欠片』と呼ばれているものだ。美兎は元からここの常連だったのだろう。なら、心の欠片も幾度か火坑に手渡しているのかもしれない。


「少し振りですね?」
「せっかくですから、大盤振る舞いしますよ!」
「さて。では、どうしましょうか?」


 心の欠片を引き出せるのは、妖でも高位の者くらい。

 だが、火坑は元地獄の補佐官。妖術も扱えるのでその域には達している。それに、(にしき)では指折りの名店である楽養(らくよう)で修行した身だ。

 絵門は随分と久しぶりだが、どのようなものが出てくるだろうか。

 火坑が美兎の掌をぽんぽんと軽く叩いて、光が生じた後には。

 見事な賀茂茄子が出てきたのだった。ひとつどころか目視で五個は確認出来るくらいに。


「賀茂茄子ですね?」
「これが賀茂茄子ですか!」
「揚げ続きですから、せっかくの名古屋ですし。田楽味噌にしましょう」
「八丁味噌があるんですか!?」
「尾張……ですけど。師匠も愛用してますしね?」
「あ、霊夢(れむ)さん!」
「少し前に皆さんで来られたんですよ」
「え……私のことも?」
「いえいえ。そこは隠されていましたが、僕の方はバレバレでした」
「ふふ」


 ああ、ああ。

 見ていてむず痒く感じてしまうが。

 また新たな馳走を貰えるのであれば、絵門も少し協力しようではないか。

 さあ、火坑(かきょう)が。時期外れではあるが、心の欠片で取り出した賀茂茄子で田楽味噌を作ってくれるのなら。

 その間に、スッポンスープでもと思ったら。牛鬼(ぎゅうき)絵門(えもん)からひとつ、と提案があった。


「我も楽しむのだから、我もひとつ差し出そう。美兎(みう)とやらに近いものにしようぞ」
「かしこまりました」


 火坑がぽんぽんと絵門が差し出した両手の上を軽く叩き。一瞬青白い炎が上ったが、すぐに消えて絵門の両手の中には見たことのある白い四角の塊があった。


「おや、木綿の豆腐ですね?」
「田楽……とそちが言ったのでな? これで美味い味噌田楽を作ってくれ」
「かしこまりました」


 しかし、火坑は茄子の方をカットして水につける以外。豆腐の方と睨めっこしているのだった。


「火坑さん、メニューで悩んでいるんですか?」


 美兎が尋ねると、彼は少し苦笑いするのだった。


「ええ。このまま田楽用にカットしても美味しいでしょうが。茄子はともかく、豆腐は味噌ダレの味そのものですしね? せっかくの生ビールを味わっていただいてますから。こう……もう少し変わり種をと」
「んー? だったら、もっとジャンキーなものにしたら? 例えば、味噌に合いそうな食材と合わせたりとか。真穂(まほ)達、まだそんなにもお腹いっぱいじゃないし?」
「ジャンキー……ですか?」
「なんだ、それは?」
「絵門は、人間達のお手軽な料理とか食べたことがある?」
「手軽……? 握り飯か?」
「違う違う。ハンバーガーとか、ピザとか」
「……聞いた程度だな?」
「なら、ちょうどいいわね? 火坑、チーズある?」
「! かしこまりました。では、豆腐の方は。田楽味噌の豆腐ピザにしましょう」
「わーい!」
「わぁ!」


 田楽味噌の方は、美兎もこの土地の育ちなので。定番の味噌ダレで昔、母にも作ってもらった覚えがある。だが、火坑は一から手作りするようで。材料をボウルに入れてから泡立て器で軽く混ぜ合わせていた。


「豆味噌でも出来ますが、基本は赤味噌がいいですね? 八丁味噌だけだと味に癖があるので今回は普通の赤味噌とも混ぜ合わせます」


 次に、茄子の水気をとってオーブンとも違う、グリル専用の機械で焼いていくようだ。


「この茄子に火が通ってから味噌を塗り、軽く焦がす程度で大丈夫です」


 次に、豆腐。

 崩れにくい木綿の豆腐を、キッチンペーパーでしっかりと水気を取る。それから少し厚めの長方形に、カットしていく。


「これに、軽く小麦粉をまぶして。フライパンで焼きます」
「いきなり、具を乗せて焼くんじゃないんですね?」
「そうですね。中の水気までは取れていませんし、衣でコーティングすることで具材に水分が行き渡りにくくするんです」
「ほう、興味深い」


 そして、焦げ目がついたら天板にアルミホイルを敷いたやつの上に並べて。味噌ダレ、ピザ用チーズ、刻みネギを乗せて。

 これはオーブンで焼くようで、スイッチを入れたら火坑は茄子の方にも味噌ダレを塗って行った。

 そして、店内には味噌が焦げ付く香ばしい匂いが漂ってきた。


「わ〜、懐かしいです!」
「美兎さんは、そう言えば。名古屋出身でしたか?」
「はい。天白(てんぱく)区の方です」
「へー? 原? 塩釜口(しおがまぐち)? 植田?」
「ううん、平針(ひらばり)
「じゃ、結構のんびりしたとこで育ったわけね?」
「うん。お母さんは春日井の方だけど」
「では、お父さんが平針の方ですか?」
「はい」


 そうこう自分の事を初めて火坑に知ってもらっているうちに。茄子の方が出来上がったので、美兎達の前にひと皿ずつ手渡されたのだった。

 丸いフォルムが特徴的な賀茂茄子の半分の上に。火坑手製の味噌ダレがキラキラと宝石のように輝いていた。


「切り込みを入れてますので、味噌の下からどうぞ」
「いただきます!」


 ようは、焼き茄子に味噌をのせて焼いただけだが。火坑手製の味噌ダレがどんな味わいになるか気になって仕方がなかった。


「んん!?」


 蒸し茄子とかは、正直言って苦手の部類ではあったが。油通しもしていない茄子はほくほくのとろとろで。甘辛い味噌ダレとも相性が抜群。

 皮は少し分厚いが、味噌と茄子の相性は正義だとしか言いようがない。

 これは、日本酒もいいだろうが名古屋人ならばビールが合うだろうと。美兎は新しいジョッキの中身をゴクゴクと飲んだ。


「……幸せの循環ですぅ〜」
「お気に召したようで何よりです。ピザの方も出来ましたよ?」
「わーい!」
「わー!」
「ほう。それが、ぴざ?」


 和風ピザと言っていいのかはわからないが。豆腐と味噌、さらにチーズの組み合わせはお惣菜でも少ない。

 こう言う料理屋さんでも少ないし、居酒屋メニューならきっとあるかもしれないが。

 火坑の創作料理も、美兎は彼と同じくらい好きだったので。どんな味なのか楽しみだった。