良い縁だ。
道真はだいぶぬるくなった鰭酒の杯を傾けながらも、随分と上機嫌でいた。
かつて、同じ宮仕えの人間のせいで都から左遷され、その恨み辛みで怨霊なぞになってしまったのだが。
時は経ち、現世では学問の神と崇められてはいるが。
元飼い猫の恋仲になったあの女性は、随分と肝が据わっているようだ。妖などと交流を深めたお陰もあるだろうが、神頼みをされがちな道真と対面しても普通だった。
否、普通過ぎかもしれない。
火坑の料理を堪能し、酒も適度に飲んで。道真とも杯を交わし、少し飲ませ過ぎたところで守護についている座敷童子の手を借りて帰って行った。
本日の先導にもなった小豆洗いの保鳥も、少々他を散策すると楽庵から出て行った。おそらく、保鳥には気を遣われたのかもしれないが。
何せ、五十年以上。この元飼い猫が店を出したと風の噂で聞いた当初に来訪した以来だ。積もる話も多くて仕方がない。
「随分と、いい子を嫁にもらえそうじゃないか?」
「……ええ。本当に」
「どんな話か聞いても?」
「美兎さんには内緒ですよ?」
「はっは。わかってるさ」
次会う機会は相当先なはず。彼女とこの火坑が本来の意味で結ばれた前後くらいだ。であれば、人間の月日でもまだ十年以上。
人間でなくなった道真は神の道を歩んでいるので、そう頻繁には下界に降りれられないのだから。今日は、小豆洗いの先導があったので、ついて来られたが。
火坑もそれをわかったのか。この姿になってから得意となった笑い方で、道真に新しいお汁粉を差し出してきた。
「そうですね。出会ったのは、去年の卯月です」
「ほう? まだそんな最近なのかい?」
「ええ。まだ彼女が人間の社会に出たばかりの頃ですね? どうやら仕事に不満があって自棄酒をしてたんですよ」
「はっは! 若い若い!! いや、実際に若いが」
貴族だった自分では、自宅だった屋敷でよくしたものだ。学問が出来たからとは言え、道真も人間だった。人間らしさがなかったわけではない。
「その帰りに、この界隈に迷い込んで倒れそうになってたんです。珍しい迷い方だったので、少し術で探ったら……夢喰いさんに魅入られていました」
「ふむ。最後のは納得がいくな?」
膨大なまでの霊力。魅入られてしまう妖は多いだろうが、夢喰いが引き寄せられたのなら安心だ。
だが、その後に界隈きっての座敷童子である真穂に魅入られ、守護についてもらえるとは。誠に縁が深い証拠だ。
「……しかし。時間がかかっているではないか? 今は睦月。まだお前の妖気が爪の垢程しか感じなかったが」
「……あの。美兎さんとのお話聞かれていましたよね?」
「とは言え。本音はモノにしたいだろう?」
「……道真様」
少々意地悪だったかもしれないが、今時の人間風に化けた今の姿で、せっかくの温かいお汁粉を食べることにした。
妖達が人間に魂の欠片の欠片で得られる『心の欠片』。美兎から取り出したのは餅だが、火坑が焼き餅にしてくれたそれを箸でつまんで口に入れる。
ほどよく伸びる餅の食感。甘さと僅かに塩気を感じる汁粉の小豆はほろほろと口の中で溶けていき。焼き餅の表面の香ばしさが汁粉に溶けて、なんとも言えない味わい。
まさしく、見事としか言えなかった。
絶妙な甘さなお陰か、温燗になった鰭酒ともよく合う。
「……まあ。色々ありましたが、今度の週末には彼女のご自宅にお呼ばれしています」
「なんだ? 今の姿では無いだろうが、彼女に気に入られる姿か?」
「……師匠に言われましたので。かなり普通ですよ?」
「なんだ。つまらんな?」
「……元旦に一度見せましたが。いつものがいいと彼女にも言われました」
「そうか? 美醜を問わず好いてくれる女性は少ない。本当にいい子だな? いくらかお前以外の妖気も感じたが」
「春日井にいらっしゃる、覚の御大のご子孫なんですよ?」
「ほう? だがあれだけ霊気に力が偏っていたら、覚の能力はないな?」
「ええ。見鬼のみのようです」
だから、保鳥の姿が界隈でなくともしっかり視えていたのか。それがわかり、道真は納得が出来た。
「わかってはいるだろうが、大切にするんだよ?」
「はい。もちろんです」
「ふふ。お前も少し飲みなさい?」
「道真様がそうおっしゃるならば」
平安の世では叶わなかった、飼い主と飼い猫との杯の交わし。
それが今出来るのは、道真にとっても幸せであった。
道真はだいぶぬるくなった鰭酒の杯を傾けながらも、随分と上機嫌でいた。
かつて、同じ宮仕えの人間のせいで都から左遷され、その恨み辛みで怨霊なぞになってしまったのだが。
時は経ち、現世では学問の神と崇められてはいるが。
元飼い猫の恋仲になったあの女性は、随分と肝が据わっているようだ。妖などと交流を深めたお陰もあるだろうが、神頼みをされがちな道真と対面しても普通だった。
否、普通過ぎかもしれない。
火坑の料理を堪能し、酒も適度に飲んで。道真とも杯を交わし、少し飲ませ過ぎたところで守護についている座敷童子の手を借りて帰って行った。
本日の先導にもなった小豆洗いの保鳥も、少々他を散策すると楽庵から出て行った。おそらく、保鳥には気を遣われたのかもしれないが。
何せ、五十年以上。この元飼い猫が店を出したと風の噂で聞いた当初に来訪した以来だ。積もる話も多くて仕方がない。
「随分と、いい子を嫁にもらえそうじゃないか?」
「……ええ。本当に」
「どんな話か聞いても?」
「美兎さんには内緒ですよ?」
「はっは。わかってるさ」
次会う機会は相当先なはず。彼女とこの火坑が本来の意味で結ばれた前後くらいだ。であれば、人間の月日でもまだ十年以上。
人間でなくなった道真は神の道を歩んでいるので、そう頻繁には下界に降りれられないのだから。今日は、小豆洗いの先導があったので、ついて来られたが。
火坑もそれをわかったのか。この姿になってから得意となった笑い方で、道真に新しいお汁粉を差し出してきた。
「そうですね。出会ったのは、去年の卯月です」
「ほう? まだそんな最近なのかい?」
「ええ。まだ彼女が人間の社会に出たばかりの頃ですね? どうやら仕事に不満があって自棄酒をしてたんですよ」
「はっは! 若い若い!! いや、実際に若いが」
貴族だった自分では、自宅だった屋敷でよくしたものだ。学問が出来たからとは言え、道真も人間だった。人間らしさがなかったわけではない。
「その帰りに、この界隈に迷い込んで倒れそうになってたんです。珍しい迷い方だったので、少し術で探ったら……夢喰いさんに魅入られていました」
「ふむ。最後のは納得がいくな?」
膨大なまでの霊力。魅入られてしまう妖は多いだろうが、夢喰いが引き寄せられたのなら安心だ。
だが、その後に界隈きっての座敷童子である真穂に魅入られ、守護についてもらえるとは。誠に縁が深い証拠だ。
「……しかし。時間がかかっているではないか? 今は睦月。まだお前の妖気が爪の垢程しか感じなかったが」
「……あの。美兎さんとのお話聞かれていましたよね?」
「とは言え。本音はモノにしたいだろう?」
「……道真様」
少々意地悪だったかもしれないが、今時の人間風に化けた今の姿で、せっかくの温かいお汁粉を食べることにした。
妖達が人間に魂の欠片の欠片で得られる『心の欠片』。美兎から取り出したのは餅だが、火坑が焼き餅にしてくれたそれを箸でつまんで口に入れる。
ほどよく伸びる餅の食感。甘さと僅かに塩気を感じる汁粉の小豆はほろほろと口の中で溶けていき。焼き餅の表面の香ばしさが汁粉に溶けて、なんとも言えない味わい。
まさしく、見事としか言えなかった。
絶妙な甘さなお陰か、温燗になった鰭酒ともよく合う。
「……まあ。色々ありましたが、今度の週末には彼女のご自宅にお呼ばれしています」
「なんだ? 今の姿では無いだろうが、彼女に気に入られる姿か?」
「……師匠に言われましたので。かなり普通ですよ?」
「なんだ。つまらんな?」
「……元旦に一度見せましたが。いつものがいいと彼女にも言われました」
「そうか? 美醜を問わず好いてくれる女性は少ない。本当にいい子だな? いくらかお前以外の妖気も感じたが」
「春日井にいらっしゃる、覚の御大のご子孫なんですよ?」
「ほう? だがあれだけ霊気に力が偏っていたら、覚の能力はないな?」
「ええ。見鬼のみのようです」
だから、保鳥の姿が界隈でなくともしっかり視えていたのか。それがわかり、道真は納得が出来た。
「わかってはいるだろうが、大切にするんだよ?」
「はい。もちろんです」
「ふふ。お前も少し飲みなさい?」
「道真様がそうおっしゃるならば」
平安の世では叶わなかった、飼い主と飼い猫との杯の交わし。
それが今出来るのは、道真にとっても幸せであった。