正の終了フラグとは結果が適切であることを意味する言葉らしい

翌日は、選手交代。

山崎が弾を撃って、俺がそれを的で避ける。

30球交代で、顔に当たった数の多い方が負けだった。

「お前、ふざけんなよ! さっき当たっただろ!」

「避けた、避けましたぁ~」

もはや何のゲームなのだか、分からない。

弾が飛んで来たら、当たるよりも先に自分の顔の方を動かして避けている。

的なんて、なんの意味もない。

「二人とも、何やってるんですか?」

いつの間にか、鹿島が入ってきていた。

「は? 何の用だよ」

「いえ、ちょっと。どうしてるのかなーと思って」

真剣勝負の真っ最中だ。

俺は標準を山崎の眉間中央に合わせ、こいつの動きだす間合いを読んでいる。

山崎も全ての的を下ろした状態で、同じようにこちらをうかがっていた。

机の下に隠したコントローラーの上で、俺の親指がピクリと動く。

今だ! 渾身の一発は、山崎の出した的によってはね返された。

「いえぇ~い!」

「くっそー!」

それが最後の一球だった。

俺は山崎と攻守交代のために立ち上がる。

「あの、全然ルール変わってません?」

「あ?」

お前は黙ってろと言おうとして、やめた。

ここは先輩としても部長としても、威厳を保たなければならない。

「研究だよ研究。な?」

俺の適当な返事に、山崎も力強く肯いた。

「そうだぞ、純」

「まぁ別に、いいんですけどね」

鹿島は理科室の棚をごそごそと漁って、何かを探しているようだった。

俺は山崎と目を合わせる。

ここは真面目にやっているフリをしておこう。

山崎もそれを察して、立ち上がった。

「さぁ、これで分かっただろ、マシンの足回りの弱点が」

「後はまぁ、発射ボタンを押した時と、実際に発射される微妙なタイムラグだよな。やっぱその感覚を、体に染みこませないと」

鹿島の横顔が、ちらりと俺たちを捕らえる。

彼は何かを言いたそうに立ち止まったが、それも一瞬だった。

「失礼しました」

深々と一礼をして、教室を出て行く。

俺はフンと鼻を鳴らした。

「あいつ、やっぱウザくね?」

「真面目だかんな」

足を組み、胸を反らせた格好で、大きく座っていたボロい丸椅子から、姿勢を戻す。

黒板には正の字で、勝敗が記録されていた。

「続き、やるか」

「おう」

予選会当日まで、残り一週間を切っていた。
その日は、朝から部員全員が体育館倉庫の前に集まった。

1年の部員保護者のご厚意で、送迎の車まで出されることになった。

乗り込めるのは、マシンを運ぶ必要のある俺と鹿島だけだけど。

「こんにちは。天気がよくてよかったね」

その保護者とは、鹿島のお父さんだった。

鹿島とそっくりのイケメンで、鹿島よりもまだ背が高かった。

コイツ、まだ身長の伸びる可能性があるのか。

「今日はありがとうございます。助かりました」

工学部教授のお父さんは、「いえいえ、どういたしまして」と、完璧に紳士的な微笑みを浮かべ、後部座席のドアまで開けてくれた。

俺は鹿島と二人、そこへ乗り込む。

窓の外で見送る山崎たちに手を振って、車は出発した。

乗り慣れない高級車のシートに、おしりがむずむずする。

これから戦場に行くつもりが、捕虜となって収監されに行くみたいだ。

車内は無音で、親子の会話もなにもなかった。

俺がいるせいか? 

鹿島は緊張したような横顔を向けている。

お互いに膝に乗せた大きな段ボール箱が重しのようで、逆にまたこの状況がコントの一場面のようで、話しかけていいのか、黙っている方がいいのか、それすら分からない。

「セレア学園って、行ったことある?」

「いや、初めてです」

「そっか」

移動中の約30分、車内で交わされた会話の全ては、これだけだった。

異常なまでに乗り心地のよい車は、見たこともないような立派な青い校門をくぐる。

「この学校に知り合いの先生がいてね、車を停めさせてもらえるよう、お願いしたんだ」

車から降りたとたん、高校の先生らしき人が飛び出てきて、教授に挨拶を始めた。

鹿島は慣れっこなのか、そんな大人たちを横目に、勝手に歩き出す。

「先輩、先に受付をすませましょう」

来るのは初めてだと言っていたのに、鹿島の迷うことのない足取りに先導されて、後ろを着いて歩く。

秋晴れのひんやりとした朝の校庭に、俺たちは侵入していた。

さほど気温が低いわけでもないのに、体の芯が震えている。
一度、本物の高専ロボコンを見に行ったことがある。

市立体育館の広い会場に控え室まであって、それはそれはもう、立派な大会だった。

今回の予選会場となっているのは、高専高等学校の体育館だった。

普通科一般校の生徒のマシンだなんて、小学生の工作以下ぐらいにしか、思わないんだろうな。

本家のロボコンと比べると、マシンのサイズも小さいし、要求される性能も低い。

参加校だけがやたら多くて、裾野を広げるのには一役買っているのだろうけど、俺たちみたいな存在を、彼らはなんと思っているのだろう。

「よろしくお願いします」

俺の分まで鹿島は手続きをして、やっぱり鹿島に促されて中に入った。

控え室なんてものもない。

出場予定者のために、パイプ椅子が並べられているだけだった。

鹿島と二人、なぜかぴったりと横に並んで、そこに座る。

「トイレの場所、分かりました?」

鹿島が突然そんなことを聞いてきて、俺は返事に困る。

「いや、聞いてなかった」

「あ、別に大丈夫なんですけどね、なんとなく」

鹿島は浅く長い息を吐き出す。

少し早かったせいか、まだ会場は閑散としていて、出場予定者の席にも、ぽつりぽつりと人が座っているだけだった。

何を話していいのかが分からない。

こんなことなら、みんなと一緒にワイワイ言いながら来た方が、よかったのかな。

俺は妙な緊張感に、かじかむようにこわばった指を伸ばした。

鹿島の目は、開いたり握ったりする俺の手を見ている。

「先輩は、俺のこと嫌いですか?」

「別に」

こんな時に、何を言っているんだろう。

そもそも、こんな時にこんな面と向かって、「嫌い」とか言う奴も、大概だろ。

「普通こういう状況で、嫌いとか言わないよね」

そう言うと、鹿島は笑った。

「はい、そうでした。よかった」

その笑顔に、突然こいつと出会ってからの出来事が、走馬燈のように蘇る。

なんだこれ、俺はもうすぐ死ぬのか?

「お……。お、落ち着いたら、みんなで打ち上げでもしような」

「はい」

勝手に頬が熱くなる。

俺はつい余計なことを言いそうになって、そこはちゃんと踏みとどまった。

「暇だな。ちょっと散歩でもしてこようかな」

俺は膝の上の段ボールを椅子の上に置いて立ち上がった。

「お前はどうする?」

「俺は、ここにいます」

そりゃそうだよな。

大事なマシンを置いて、予選会の前にふらふらしている奴の方がおかしい。

俺は鹿島をおいて、外に出た。
日が昇って、外の気温はわずかに上昇していた。

受付の混雑は最高潮に達していて、そういう意味では、やっぱり早めに来ておいてよかったんだと思った。

体育館の周りをぐるっと一周したところで、何かが変わるわけでもないのに、じっと座っているのが苦手なのだから仕方がない。

2つある出場者受付の窓口には、長蛇の列が出来ていた。

意味もなくしゃがみ込み、入り口の壁にもたれてその様子を見ている。

ここへ来る誰もが、全く同じ段ボールを大切に抱えているのが、不思議な気がした。

サイズ規定で、審査時間短縮のために、参加者全員に配布されたものなのだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、ここへ来る誰もが抱えるあの同じ箱の中身には、それぞれの異なった大切な時間が込められていると思うと、余計に不思議な気分になる。

「おっ、吉永!」

1年軍団を引き連れて、山崎がやって来た。

「なんだよお前、受付は?」

「もう鹿島が済ませた」

「じゃ、入ろうぜ」

観客席と出場者席は分かれていて、鹿島のマシンのセッティングを手伝う1年2人と、山崎だけが俺についてきた。

いつの間にかぎしぎしに詰まったパイプ椅子の列に、1席だけ空けた5人が座る。

会場のアナウンスが、出場順位のくじ引きを告げていた。

「くじ引き、お前が行って来て」

山崎にそう言ったら、彼は首を横に振った。

「やだよ。俺、めっちゃクジ運悪いもん」

俺の膝にあった段ボールを取り上げ、山崎は自分の膝に抱える。

「ほら、早くお前が行ってこいよ」

俺から取り上げた膝の上の段ボールの、さらにその上に自分のあごをのせ、てこでも動かない構えだ。

隣では当たり前のように、鹿島が立ち上がる。

俺と鹿島の目があって、仕方なく立ち上がった。

「お前が先に引け」

言われた鹿島は、箱の中に手を突っ込んだ。

小さく折られた紙を広げる。

「6-2です」

体育館の会場は小さく6つに区切られていて、そこで一斉に競技が行われる。

床にテープで区切られただけのフィールド横に、審査員の座る席が用意され、その指示によって競技が進行していく。

審査される内容は、得点、アイデア、技術の三要素だ。

的は主催者側が用意した的を使用する。

「俺は3-5だ」

鹿島たちの方が早い。

第6会場の2番目と、第3会場の5番目だ。

「出場順位、3番までの方は、それぞれのフィールド横に準備をお願いします」

 いよいよ、予選会が始まった。
第6会場横に集まった1年軍団は、それぞれ鹿島たちに声をかけあっている。

励まし合い、たたえ合い、激励する、実に麗しい光景だ。

俺は両腕に段ボールを抱えたまま、そんなどこか遠くの物語を、ぼんやりとながめている。

よく分からないけど、山崎も自らその中に突っ込んでいって、なんとなく自分では混ざっているつもりになっているらしい。

俺にはどう見たって、余計なお邪魔分子にしか見えないけどな。

「おぅ、間に合ったな。見にきてやったぞ」

「谷先輩!」

制服姿の大きな体で現れたのは、谷先輩と、去年の部員だった他2人の先輩だった。

谷先輩と目があい、駆け寄ろうとした瞬間、谷さんの手が、鹿島の肩におかれた。

いつの間に仲良くなったのか、鹿島と先輩たちは、親しげに言葉を交わしている。

本来なら、そこに俺が入らなければ、繋がることのなかった関係であるはずなのに、いつの間にかそんなことまで、完成されていたんだな。

山崎が谷先輩に声をかけた。

鹿島たちの周りで、先輩と後輩たちの美しい対話の画が出来上がる。

そうか、あぁ、そういうことか。

何を勘違いしてんだ。

俺はホント、くだらない生き物だな。

視線を競技が行われている、第6会場に移した。

いま集中しなければいけないことは、予選会に勝つことだ。
「慎重すぎるとは思うけど、手堅いと言えば手堅いよね」

俺は一人、そうつぶやく。

いま競技をしているチームは、4秒間隔を8秒に延長させていた。

つまり、全得点30点のうち、半分を捨てる代わりに、確実に15点を獲りにいく作戦だ。

1本目の的を撃ち抜いた後は、2本目の出現的を無視して、3本目を狙いにいく。

仕組みは鹿島たちと同じ、中央のゼロ位置からセンサーで的を狙っていた。

4秒が8秒に延長されたことで、マシンのリスタートに余裕があった。

試合終了の合図があり、会場が拍手に包まれた。

第6会場、1組目の得点は13点。

複数の的が同時に出た時に、マシンの標準合わせが遅れた。

センサーの優先順位の問題だろうな。

最初から球数を減らしている分、外すと痛手も大きい。

判定終了の合図があって、撤収作業をしながらも、彼らは次の試合の、上位8組だけが出られる最終トーナメント戦にむけて、プログラムの改正案を出し合っていた。

目の前に、何もないフィールドが広がる。

次は、鹿島の番だ。

主催者側の的が、新しいものと交換された。

鹿島たち出場者3人が、審判員から人員確認とマシン審査を受けている。

規定の段ボールごと重量測定を済ませ、スターティングゾーンに、3人が入った。

鹿島たちの周囲に、部員の輪が出来る。

みんな思い思いに、彼らの背中に向かって声援を飛ばしていた。

チームリーダーの緊張した鹿島の横顔は、相変わらず画になる。

あぁ、奥川も来たんだ。

俺はそれを、離れた位置から見ている。

審判のスタートの合図がなった。

鹿島たちは戦場に飛び出す。

セットされた的に触れることは許されていない。

レーザーの測定器で精密に距離を測り、慎重にスタート位置を探る。

自動ロボの命だ。

セッティングタイムの時間表示が、残り30秒を切った。

鹿島の指先から、マシンが離れる。

ここからは、彼らの制作した自動ロボの性能、ただ一つにかかっている。

俺たちにはその様子を、見守ることしか出来ない。

3人はスターティングゾーンに戻った。

制限時間終了の合図がなり、審判員がマシンを確認する。

OKサインがあがり、主席審判員がうなずいた。

「用意、スタート!」
順調な滑り出し。

一本目の的を、予定通り撃ち抜く。

体育館のつるつるとした床の上で、小さなマシンは戦っていた。

鹿島たちの、この半年間の分身だ。

丁寧に、かつ正確に、マシンは的を撃ち抜く。

6点目が入った。

カツンと勢いよく的に当たってはね返った弾は、その繊細なマシンを直撃した。

そのとたん、マシンの的中率が、一気に落ちる。

ほんのわずかなズレが、全てを狂わせた。

ずれた位置情報を修正するプログラムを積んでいなかったのか、マシンはずれた場所から、弾を吐き出し続ける。

この大会では、リトライは認められていない。

ついにマシンは、センサーで的の位置も拾えなくなったのか、完全に動きを止めてしまった。

審査員席のタイムカウンターだけが、無残に突き進んでゆく。

永遠に続くかと思われた瞬間に、甲高い笛が鳴り響いた。

「終了! 撤収をお願いします」

どうすることも出来なかった。

たったの2分、120秒間の勝負。

鹿島たちの半年に、俺たちは何の手出しをすることも許されない。

撤収時間をオーバーすることも、失格の対象となっていた。

鹿島はそこに置かれたマシンを抱き上げると、1人審判席に向かって頭を下げる。

「ありがとうございました!」

温かい拍手が、それはそれはとても温かく優しい微笑みが、辺りを包んでいた。

鹿島は泣いていた。

だけどすぐにそれを振り払って、にっこりと微笑む。

次のチームにその場所を譲って、会場の外へ出た。

それに合わせて、仲間たちも移動する。

彼らは鹿島たち3人に、何と言っているんだろう。
「頑張ったよ」

「よかったね」

「全部出し切ったなら、よかったじゃない」

「また来年もあるだろうからさ」

「次もがんばろう」

正しくて、綺麗な言葉が並ぶ。

きっと鹿島たちの周りは、そういうもので出来ているんだ。

俺は一人、自分の段ボールを抱えたまま、そこを離れる。

鹿島にかける言葉なんて、思いつくワケもない。

今の俺に、そんな気持ちも感情も、一切ない。

体育館出入り口の枠に持たれて、体内の全ての空気を吐き出し、外の空気と入れかえる。

箱を抱えた手を、ぐっと握りしめた。

俺は中を振り返る。

体育館のそれぞれのエリアでは、きっと同じように、似たような光景がくり返されているのだろう。

だけど、それがなんだ。

俺には全く、関係のないことだ。

第3会場で、第3試合の終了したプラカードが立った。

いかなくちゃ。

今頃はもう、第4試合の出場者たちが、セッティングを始めている。

俺は自分の競技会場へ向かった。
第3会場、そのフィールド横に、鹿島たちは並んでいた。

「先輩、どこに行ってたんっすか」

さっきまでの出来事が、なんでもなかったかのように、鹿島は俺を心配している。

「探しに行こうかと思ってたんですよ」

俺はそれには応えず、黙ったままマシンを計量器の上に乗せた。重量クリア。

当たり前だ。

「では、出場メンバーのかくに……、二人でよかったですか?」

審査員は、俺たちを見下ろして言った。

「はい、大丈夫です」

俺の隣には山崎がいる。それでいい。

「俺にも、手伝わせてください」

「出場者の二重登録は出来ませんよ」

鹿島の申し出は、あっさりと却下される。

そんなの、分かってたことじゃないか。

コイツはやっぱりバカか。

「じゃあ、俺が出ます」

谷先輩が肩にかけていた鞄を外し、鹿島に渡した。

「吉永、いいだろ?」

「いいんですか?」

スターティングゾーンに、谷先輩が入った。

先輩の大きな手が、俺と山崎の背中をバシンと叩く。

「痛いですって」

その言葉に、谷先輩はムッとした。

「うるせー、お前ら、根性見せっぞ」

俺は無言のまま、審判席のタイムカウンターをにらみつけていた。

やがてその時計が、『0:00』を指す。

谷先輩に叩かれた背中が痛い。

「終了です。撤収してください」

目の前で繰り広げられる、ドタバタ劇を見ている気分だ。

新たに出現したフィールドに、審判員の声が響く。

「準備、スタート!」

「おい、どうすりゃいい?」

今回が初参加の谷先輩に、出来ることなんて何もなかった。

「このラインに合わせて、レールを敷いて下さい。端っこはテープで留めて」

俺はマシンを箱から取り出した。

俺たちに測定なんて必要ない。

最初からフィールドの一番端の線に合わせて、シリンダー出力を調整している。

俺たちのマシンは、手動コントロールだ。

最初は有線リモコンを使っていたが、その後ルールをよく見てみたら、有線は認められていないということが分かって、慌てて無線に変えた。

だけど、プログラムはそのままにしてあるので、的からの距離もこのままでいい。