-side 田島亮-

 嵐(咲)が去った後、俺は担当医の先生から今回の事故が俺の身体にどんな影響を及ぼしたのか、ということを病室で説明された。

 聞いた先生の話によると、俺は記憶喪失に加え、なんと事故の際に右足に重度の怪我を負ったらしい。治療期間とリハビリ期間を考えると二ヶ月間は入院する必要があるそうだ。また、リハビリを終えれば普通に歩けるようにはなるが、怪我の後遺症の影響で以前のように走ることは二度と出来ないということを宣告された。二ヶ月という入院期間にはさすがに驚かざるを得なかった。

 しかし、走ることに対する執着のような物が今の俺にはそれほど無かったので、二度と走れないという宣告に対しては意外とショックを受けずに済んだ。

 そして現在。またもや病室で1人きりとなった俺は、今後の自分の身の振る舞い方について改めて考えてみることにした。

「うーん、記憶喪失のことを友達に伝えるのは直接会った時にするつもりだったけど......まあ、それはやめた方がいいだろうな」

 なに、簡単な話である。

『お、ひさしぶり。俺記憶喪失なんだわ』

 とか、いきなり面と向かって俺から言われても、相手が困惑するだけだろう。チクショウ。もっと早く気づくべきだったな。

 うーん、まあ、そうだな。記憶喪失に関しては入院中の2ヶ間で少しずつSNSとかを通じて友人達に伝えていけばいいだろう。彼らが今の俺を受け入れてくれるかどうか、ってのは分かりかねるが、俺から直接伝えるよりはよっぽど良いだろうからな。

 ん? 待てよ? ってことは、つまり女子とも連絡を取る必要があるわけだよな? よっしゃ、合法的に女子と近づくチャンスだぜバンザイ! あ、咲さんは一旦スルーでお願いします。

 まあ実際に彼ら、彼女らと会うのは退院して学校に行けるようになってからでいいだろう。少し心苦しいが、見舞いに来てもらうのは遠慮していただこう。

 よし、今後の方針は決まったな。


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「おっす、兄貴。着替え持ってきたよ。ベッドの下においとくからな」

 田島友恵--俺の妹が病室に入ってきたのは、日が暮れる少し前のことだった。

「おう、サンキュー」

 そして、着替えを持ってきてくれた健気な妹に感謝をしつつ、俺は思う。

 --ああ、昔のことは覚えていないけど、やっぱりこの子は俺の妹なんだな、と。

 友恵はおそらく美人の部類に入ると思うのだが、記憶喪失になって以来、彼女のことを女性として意識することは全くなかったのだ。友恵と家族だった頃を忘れていれば美人な女性として意識してしまいそうなものなのだが、それが全くないのである。

 確かに俺は昔のことは覚えていない。けれど、友恵とは妙に話しやすいというか、親近感があるというか......とにかく、彼女には何か自分と近い物を感じるのである。家族とは不思議なものだ。

「よし、妹よ。少し話をしないか?」

「.......えっ、いきなりどうしたの?」

 そういえば記憶喪失になって以降、友恵と二人きりになったのは今が初めてだからな。良い機会だ。友恵と少し話をしてみるとするか。



-side 田島友恵-

 母さんに頼まれたから、私は渋々兄貴の着替えを届けに病室を訪れてみたんだけど......

「よし、妹よ。少し話をしないか?」

 --なんか、いきなり兄貴から誘われた。

 ......えっと、どういうことなんだろう。もしかして深刻な話とかするつもりなのかな? まあ病院の先生には記憶喪失前と同じ感じで接するように言われているから、兄貴と話すこと自体は別に苦労しなさそうだけど......でも、そういえば記憶喪失後の兄貴と2人で会話をするのって初めてなのよね。

 あれ、どうしよう。ちょっと緊張してきたかも。

「友恵? どうした? 急にボーッとしちゃって」

「あ、い、いや、別になんでもないわよ。で? 話ってなんなの?」

 私は緊張を隠すように平静を装ってから、兄貴に尋ねてみた。

「あー、話っていうのはアレだよ、アレ。俺ってさ、もしかして女の子のことが苦手だったりするのか? なんか俺のL◯NEに友だち登録されてる女の子が3人しか居なくてよ。ちょっと心配になったんだ」

「......」

 なんか思っていたよりも軽い話題だった。

「うーん、兄貴は別に女の子が苦手ってことはなかったと思うけど」

「へぇ、そうなのか。じゃあさ、だったらなんでこんなに女友達が少ないんだ? 普通の男子高校生ならもっと居るものなんじゃないのか?」

 ていうか兄貴って記憶が飛んでても思春期全開なのね。はぁ、なんかさっきまで緊張してたのがバカらしくなってきたなぁ......

「もう。そんなの、私が知るわけないでしょ? 兄貴が普通の男子高校生じゃないだけなんじゃない?」

「わお、友恵ちゃん辛辣ゥー」

 ......まあ、ホントは兄貴に女友達が少ない原因はなんとなく分かってるんだけどね。

 兄貴は別段女子が苦手だったというわけではないし、人並みに女子には興味を持っていたと思う。認めたくはないけど運動神経もいいし、顔も悪くないんだからそれなりにモテたはずだし。

 だから兄貴の周囲に女の子が少ないのは兄貴のせいじゃないわ。原因は他にあるのよ。
 
 その原因っていうのは幼馴染の咲さんの存在......だと私は思う。先輩曰く、咲さんは兄貴が他の女の子と仲良く話しているのを見たら、負のオーラを全開にして不機嫌になるらしいし。で、そんな咲さんを恐れた女子たちは兄貴に近づかなくなったみたいなのよね。

 だから、まあ、多分高校でも同じような現象が起きているんじゃないかな。咲さんと兄貴って今も同じクラスらしいし。だから兄貴には女友達が少ないんだよ、多分。

 まあ、でもこんなことは兄貴には言えないよねぇ。そんなことをしたら咲さんが死を選びかねないし。

 だからこの時の私は、兄貴の質問に正直に答えるわけにはいかなかったのよ。

「で、話ってそれだけ?」

「いや、もう一つ聞きたいことがある」

「......なによ」

「え、えっと、そのぉー、なんかさ、俺って2度と走れなくなったらしいんだよね」

「はぁ!?」

 いや、なによそれ! そんなの初耳なんだけど! さては母さん、知ってて私に伝えるの忘れてやがったな......!

「なあ、一応確認なんだけどさ。俺が走れないことって誰かに影響を与えたりするか? 俺自身はそんなに走ることに拘りが無いから、まあスパッと陸上をやめれば良いかなって思ってるんだけど」

「いや、なに言ってんのよ。一番影響受けるの兄貴自身でしょ。ていうか、それってかなりヤバいことだと思うんだけど」

「......え? なんで?」

「いや、だって兄貴って駅伝の特待生として天明高校に入ってるじゃん」

「......まあ、確かに俺が走れなくなったら学校側は困るだろうけども」

「いや、1番困るのは兄貴の方よ。だって天明高校って進学校だよ? 言っとくけど兄貴って勉強全然出来ないんだよ? それで走れもしなくなった兄貴が天明高校に残れると思う?」

「なん...だと...」

 まあ、天明高校側もさすがに事故に遭った生徒を退学させることはないと思うわ。でも、アレよ。なんとなくイライラしたから、ちょっとジョークで兄貴をおどかそうとしただけよ。

 フン、記憶を無くしてるくせに妹のことについて何も聞いてこない兄貴が悪いんだからね。もうっ、自分の妹のことはもう少し気にかけなさいよ。

 え? ていうかジョークなのに、兄貴のヤツ、もしかして真に受けてる? 

 うーん、まあ、いっか。面白いし、このまま放っておこう。

「じゃあ、私そろそろ帰るわね」

「お、おう...」

 そして兄貴の狼狽えた顔を見て、少しだけ機嫌を良くした私は軽やかな足取りで病室を後にした。



-side 田島亮-

「やべぇ。マジでやべぇ。いや、ほんとにやばいって」

 友恵が病室を出て行った直後。俺は記憶喪失になって以降、今までで一番焦っていた。

 いや、だって高校に残れないとかマジ笑えないじゃん? それに、今から他校の転入試験を受けるのとかマジで無理でしょ。なんか俺、全然勉強出来ないっぽいし。

 いかん、このまま1人で考え込んでもドンドン不安になる一方だ。よし、ここは1度母さんに電話をかけて高校のことについて確認してみるとしよう。


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 緊張した面持ちでダイヤルボタンを押して、電話を掛ける。すると、ウチの母は一瞬で我の呼び掛けに答えた。おそらく我が母は相当な暇人に違いない。


「あー、もしもし、母さん? なあ、今ちょっと話せるか?」

「うん、まあ話せるけど。で、一体何の用なの?」

 そして俺はゴクリと生唾を飲み込み、覚悟を決めて例の件について母に尋ねてみる。


「そ、その......俺って天明高校に残れるのか?」

「......」

「......」

「......は? いきなり何言ってるのよ、アンタ。残れるに決まってるじゃない」

「ふぇ?」

「いや、よく考えてみなさいよ。そりゃアンタはスポーツ特待枠だけどさ。さすがに天明高校側も事故の被害者を退学させるなんてことはしないわよ。人の心を持ってたら普通できないでしょ、そんなこと。一応、今朝高校に私から事情を話してその辺の確認はしておいたわ。だからアンタは余計な心配をしなくても大丈夫よ」

「え? じゃあ、なにか? 俺は普通に高校通えるのか?」

「いや、だから、さっきからそう言ってるじゃない」

「......あー、うん。OK牧場。よく分かったわ。じゃあ話したいことは話せたし、そろそろ切るわ。また明日な」

「うん、また明日」

 そして俺と母の通話は約30秒で終了。

 --その瞬間。

「クッソ! 友恵のヤロォ! 俺を騙しやがったな!! ていうかジョークが悪質過ぎるわ! はぁ、マジでビビったぁ......!」

 安堵やら、怒りやら。なんか色々な感情が湧き出た俺は、気づけば1人、病室で雄叫びを上げていた。

 ......いや、まあ、なに? 俺だって、冗談言うのは別にいいと思うんだよ? でもアイツの冗談って重すぎない? リアル過ぎるだろ。全然笑えないし、ガチで胃にクるパターンのヤツじゃねぇか。

「はぁ......」



 妹って怖いなぁ......