体育祭終了後。
 片付けを終えた頃には、()うに日は沈み、暗くなっていた。
 帰宅しようとした豊明は、ふと、体育館裏に行ってみた。
 すると――
「!」
 ――河和がいた。ジャージからいつものセーラー服もどきに着替えた上で、椅子に座っている。
 豊明を見た瞬間に、河和は顔を背けた。
(まさか、またここで会えるだなんて、思ってもみなかった!)
(チャンスだ! 今この瞬間を逃したら、きっと二度と話が出来ない)
 河和に話したい事は、たくさんあった。
 豊明は、大きく息を吸って吐くと、
「またここに来てくれるなんて、思ってなかった。話したい事があるんだ。聞いてくれ」
 と言って、河和に語り掛け始めた。
「お前が進路の事で苦労してるのを知ってたのに、お前の気持ちも考えず、折角の進学のチャンスを簡単に棒に振るような真似をして、ごめん」
「………………」
 頭を下げる豊明。
 だが、相変わらず河和は顔を背けたままだ。
 構わず、豊明は続ける。
「それに、お前に関する変な噂が広まってただろ? あれ、多分、数日前に俺に告白して来た女の子を、俺がこっぴどく振ったせいだと思う。ごめん」
「………………」
 暫くすると、頭を下げ続ける豊明に対して、
「……それで?」
 と、河和から声が掛けられた。
 豊明は思わず顔を上げる。
 が、河和はそっぽを向いたままだった。
 そんな河和の後ろ姿を見つつ、豊明は、
「もう一つ、どうしても言いたい事があるんだ」
 と言うと、呼吸を整えてから、続けた。
「実は、お前が泣いた時、泣き顔が可愛いなって思って――」
 予想外の発言に、顔を背けていた河和が立ち上がり、豊明の方を向いた。
「ハァ!? 女の泣き顔に興奮するって、あんた、ド変態かよ。さすがに引くわ」
「ち、ちがっ! 俺は“可愛い”って言ったんだ! 勝手に変えんな!」
「同じようなもんだろ」
「全然(ちげ)ぇよ!」
 全力で突っ込んだ後、
「それで、結局何が言いたいんだ?」
 と河和が訝し気に問うので、豊明は、咳払いを一つして、仕切り直した。
「で、俺が言いたいのは……泣き顔さえも……可愛いって……思ったって事は……普段……お前の笑顔が……どれだけ可愛いか……俺が……お前の笑顔を……見る度……どれだけ……ドキドキしてるかを……思い知らされた……って事だ」
 頬を朱に染めながら話す豊明の言葉を聞いて、河和の頬も紅潮する。
「……もう……お前を……泣かせたり……しない……! ……お前の……笑顔が……もっと……見たいんだ……! ……俺の……傍に……ずっと……いて欲しい……!」
 そして、豊明は、ありったけの想いを込めて、叫んだ。
「……お前が……好きだ……! ……俺と……付き合ってくれ!」
 河和が見ると、豊明の右手の拳が固く握られ、血が垂れている。
 それは、豊明の緊張と硬直、そしてそれを強い意志で捻じ伏せた上で告白している事を意味していた。
 そこまでして、あたしに告白を……
 と、豊明の想いの大きさを感じた河和の答えは――
「イヤだ」
「!」
 ――Noだった。
 背を向ける河和。
(ふ、振られた!)
 この世の終わりのような、絶望的な表情を浮かべ、肩を落とす豊明。
(そりゃ、答えはYesかNoの二択のみ。五分五分だ。振られる可能性がある事なんて、分かってた。けど、知り合ってから今日まで、少しずつ距離も縮まって、なんか良い感じだなって思ってたのに……いやでも、俺、河和を泣かせてるしな。それに、俺の行動の結果、あんな噂まで広まってたしな。そりゃそうか……そりゃ振られるか……)
 完全に生気を失った顔のまま、虚ろな瞳で地面を見詰める豊明の方を、河和は振り返った。
「あんたの事、キラいだから」
 俯きながら、河和が、豊明に一歩近付く。
「ううっ」
(これが死体蹴りってやつか……これ以上はもう……勘弁してくれ……)
「あんたの、自分だけで考えて勝手に突っ走るところが、キラいだ」
 豊明に、もう一歩近付く。
「自分の事を犠牲にして行動するところが、キラいだ」
 もう一歩近付く。
「後先考えずにみんなの前で告白するところが、キラいだ」
 更にもう一歩。
 いつの間にか至近距離に近付いていた河和は、豊明の胸に――自分の額を当てた。
「でも……全部、あたしのためにやった事だってのは、分かってる」
 そして、豊明の顔を見上げた。
「だから、イヤだ……けど、断ったら、あんたショックで死んじゃいそうだし。だから、仕方が無いから……」
 顔を真っ赤にした河和は――
「……付き合ってやるよ」
 ――そう告げると、恥ずかしそうに、直ぐに目を逸らした。
 一瞬の間があって――
「おしゃああああああああ!」
「うわっ!」
 つい先程まで生ける屍のようだった豊明が、突如息を吹き返し、河和を抱き締めた――血がついている右手が触れそうになるのに気付き、慌てて左手だけで。
「ちょっ! いきなり何すんだ!? 止めろ!」
 河和が、身を捩って逃れようとすると――
「……キス……しても……良いか……?」
 予期せぬ豊明の言葉に、思わず河和の動きが止まる。
「ハァ!? 良い訳ないだろ!」
「……じゃあ……ほっぺなら……どうだ……?」
 この恥ずかしい状況から一刻も早く離脱しようと藻掻いていた河和が、即座に提案された妥協案に、再び動きを止める。
「……ほっぺ……ほっぺか……」
 考え込む河和――
 チュッ。
 ――の隙を逃さず、その左頬に豊明がキスをする。
「なっ!?」
 目を見開き、自分の左頬に手で触れる河和。
「まだ良いって言ってねーだろうが! 勝手にしてんじゃねー!」
 怒り心頭の河和が、頬を朱に染めながら両腕を伸ばし、両手で豊明の両頬を掴んで、思い切りつねる。
ほへんははひ(ごめんなさい)
 つねられながら謝罪する豊明。
「ったく。油断も隙もありゃしねぇな」
 頬から手を離し、そう呟く河和だが、ふと、豊明の右手が目に入る。
 先程のキスに対する許可を求めた際にも、緊張のため、力一杯右拳を握り締めていたらしく、新たに血が垂れているのを見て、目を逸らしながら、小さな声で呟いた。
「まぁでも、別に、無理して声に出して予め聞かなくても、ほっぺにキスくらいなら、良い雰囲気なら、無言でしたって大丈夫だからな」
 ――だが。
「え?」
「聞いてなかったなら良いや。今の無し! 何でもない!」
 顔を赤くしながら背を向けてそう訂正する河和の前に、素早く回り込んだ豊明は――
 チュッ。
 ――屈んで、今度は河和の右頬にキスした。
「ハァ!? あんた、さっきのあたしの言葉、聞いてたのかよ!」
 河和の最初の言葉通り、豊明は無理して話そうとしなかったため、右拳を握り締めていない。
 硬直してはいるが、どこか満足そうな、幸せそうな豊明の両頬を再び掴んで、河和は先程よりも更に力を込めて、つねった。