翌日、火曜日。
朝から雨が降っていたこの日。
河和は、学校を休んだ。
体育館の裏は、屋根のお陰で雨の日も濡れずに済む。
――が。
昼休み、豊明は、体育館の裏で一人で弁当を食べながら、教室で一人で食べていた時とは違う、胸が締め付けられるような孤独を感じた。
この日、授業が全て終わった直後。
豊明は、屋上へと向かっていた。
実は、この日の朝、下駄箱に手紙が入っていたのだ。
そこには、こう書いてあった。
<忙しい中、ごめんなさい。
でも、豊明君にどうしても伝えたいことがあって……
授業後に、屋上に来てもらえませんか?
待っています。
C組 星崎美愛>
ハートのシールで封がされた、ピンクの可愛らしい手紙には、綺麗な字が並んでいた。
恋愛に疎い豊明にも、これが告白であろう事は容易に想像がついた。
(告白……か……)
階段を上りながら思い出すのは、中学二年の時の事だ。
中学二年の頃。
豊明は、図書委員に入っていた。
図書委員に入る生徒は大人しそうな者が多いであろう事から、余りコミュニケーションを取らなくとも済むのではないか、と考えての事だった。そして、仕事内容も、それ程会話は必要無いだろうと思った事が、もう一つの理由だ。
図書委員の中に、一人、気になる女子生徒がいた。
同じ学年の子で、眼鏡におさげの、清楚な顔立ちの子だ。
豊明は彼女を見る度に、可愛いな、と思っていた。
だが、まだ“スイッチ”を手に入れておらず、他人と会話することが出来なかった豊明は、彼女と挨拶くらいしか――それも、はにかみながら挨拶して来る彼女に対して、会釈する事しか――出来なかった。
そのため、図書委員の仕事をする上でどうしても会話が必要な時は筆談をしていた豊明が、一度だけ仕事に関して彼女と筆談でやり取りが出来た際には、内心、跳び上がりそうになるほど嬉しかった。
そんなある日。
図書委員会が終わり、皆が図書室から帰った後。
「豊明君……あ、あのね……ちょっと、話があるの……」
不意に、彼女が豊明に話し掛けて来た。
そして――
「……す、好きです!」
――告白された。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
が、目を瞑り、真っ赤になって返事を待つ彼女を見て、やっと理解した。
喜びが心の中から湧き上がって来る。
(ま、まさか、彼女も、俺の事を好きでいてくれたなんて!)
豊明は、彼女に返事をしようとした。
(嬉しいよ! 俺も、君の事がずっと好きだったんだ!)
だが――
「………………ッ! ………………ッ!」
――口を開いたまま、豊明の身体は硬直した。
言葉が出て来ない。
(何で!? 好きだって言うだけだ! 俺も、君の事が好きだって!)
頭の中では、何度も何度も発話している。
しかし、実際には、単語一つすら、口から出て来なかった。
暫くその状態が続き――
「……やっぱり、無理だよね……豊明君、格好良いし……」
(ち、違う! 違うんだ!)
「ごめんね……聞いてくれてありがとう」
溢れそうになる涙を堪えながら、無理矢理笑顔を作った彼女は、走って図書室を出て行った。
(違うんだ! 違うんだよ!)
(好きなんだ! 俺も好きなんだ!)
(好き……なんだ……)
(……好き…………なのに………………)
過去の苦い記憶を思い出した豊明は、自分が階段の途中で立ち止まっている事に気付いた。
息を吐き、足を動かし、再度屋上へ向かい始める。
(あの時は、頭が真っ白になって、筆談をする事さえ思いつかなかった)
(でも、出来れば、あの子にはちゃんと自分の声で、それも、素の自分で返事をしたかったんだよな。もしあの当時、既に“スイッチ”を手に入れていたとしても)
考え事をしている間に、いつの間にか、屋上の扉の前に着いた。
(でも、今から会う子は違う)
(もし俺の勘が当たっていれば、この扉の向こうにいる子は……むしろ“スイッチ”を“使うべき”相手だ)
扉を開ける。
屋上はプールになっていて、上屋と呼ばれる、可動式の屋根が常時部分的に上空を覆っているため、雨でも会話が出来る。
ちなみに、シーズンオフなので、この時期に水泳部が使うことは無い。
プールサイドで待っていたのは、三人の女子生徒たちだった。
どうやら、友達に付き添って貰っているらしい。
(それにしても、ここ、教師が鍵を管理してるはずなんだけど、どうやって入ったんだろう? 鍵を勝手に拝借して来たのか? それとも……?)
実は星崎は校長の孫娘で、陰で好き勝手やっており、教師たちは見て見ぬ振りをしていたのだが、豊明は知らなかった。
豊明が三人に近付いて行くと。
「わ、私、C組の星崎美愛って言います!」
真ん中にいた、愛らしい容姿をしたツインテールの女子生徒が、一歩前に進み出て、名乗った。
「突然呼び出してごめんなさい。えっと、あの、私……豊明君の事、ずっと前から好きでした! よ、良かったら、付き合って下さい!」
頬を赤く染め、恥ずかしがりながら、それでも一生懸命気持ちを伝えようとする少女。
見る者によっては“あざとい”と言われそうだが、大抵の男なら思わず“可愛い”と思ってしまう、その愛らしい容姿にピッタリの、最高の告白だ。
彼女がいない男ならば、殆どの者がOKしてしまうであろう、その告白だったが。
豊明は別の事を考えていた。
(C組、か……)
火事があった時に、最初に発見したのはC組の女子三人組という話だった。
(もし、河和に罪を擦り付ける事だけが目的で、施設への被害は最小限に抑えたいなら、最初の発見者の振りをして素早く周囲に知らせるのが一番効果的だ)
豊明は、残り二人の女子生徒がC組かどうかは分からなかったが――
(鎌を掛けてみるか……)
告白された後の、静まり返った空気の中。
豊明は脳内で、“スイッチ”を入れる。
パチン。
そして、徐に口を開いて豊明が発した言葉に――
「……煙草」
「「「!」」」
――三人の肩がビクッと反応する。
星崎たちは皆、目を見開き、青褪めた。
(……黒だな。このまま威圧的に詰問でもすれば、白状してくれるかもしれない。でも、河和の疑いは晴れたんだし、そこまでする必要もないか)
「――を吸う男って、どう思う?」
「え? た、煙草を吸う男の人?」
続けられた言葉が予想していたものと違い、明らかに三人は安堵していた。
冷や汗を掻きつつ、星崎が答える。
「えっと、私、正直煙草は苦手だけど、でももし豊明君が将来吸うようになるなら、豊明君だったら煙草も似合って格好良いと思うし、大丈夫だよ!」
自分の正直な気持ちを話しつつも、相手を褒め、更に相手を受け入れるという、百点満点の答えだった。
すると、豊明は、「そうなんだ」と相槌を打った後――
――“スイッチ”を使っている時特有の冷たい双眸に、更に冷酷な光を宿して、告げた。
「俺は、君が将来煙草を吸おうが、吸うまいが、どちらにしても好きになれそうにない。ごめんね」
恐らく豊明と河和が一緒にいる所を、直接目撃したか、或いは目撃した誰かから聞いた上で、自分の恋路の邪魔になると判断し、放火事件を企てて河和を陥れて排除しようとしたのであろう。
退学か、最低でも停学を狙ったのかもしれない。豊明の証言でそのどちらにもならなかったが、結果的に今日、河和は休んだ。
そして、放火事件で河和が犯人だと疑われた翌日に、豊明を呼び出して告白、である。
(河和に対してあんな事をする奴の告白を、俺がOKする訳が無いだろうが)
豊明は、星崎たち三人をその場に残したまま、屋上を後にした。
朝から雨が降っていたこの日。
河和は、学校を休んだ。
体育館の裏は、屋根のお陰で雨の日も濡れずに済む。
――が。
昼休み、豊明は、体育館の裏で一人で弁当を食べながら、教室で一人で食べていた時とは違う、胸が締め付けられるような孤独を感じた。
この日、授業が全て終わった直後。
豊明は、屋上へと向かっていた。
実は、この日の朝、下駄箱に手紙が入っていたのだ。
そこには、こう書いてあった。
<忙しい中、ごめんなさい。
でも、豊明君にどうしても伝えたいことがあって……
授業後に、屋上に来てもらえませんか?
待っています。
C組 星崎美愛>
ハートのシールで封がされた、ピンクの可愛らしい手紙には、綺麗な字が並んでいた。
恋愛に疎い豊明にも、これが告白であろう事は容易に想像がついた。
(告白……か……)
階段を上りながら思い出すのは、中学二年の時の事だ。
中学二年の頃。
豊明は、図書委員に入っていた。
図書委員に入る生徒は大人しそうな者が多いであろう事から、余りコミュニケーションを取らなくとも済むのではないか、と考えての事だった。そして、仕事内容も、それ程会話は必要無いだろうと思った事が、もう一つの理由だ。
図書委員の中に、一人、気になる女子生徒がいた。
同じ学年の子で、眼鏡におさげの、清楚な顔立ちの子だ。
豊明は彼女を見る度に、可愛いな、と思っていた。
だが、まだ“スイッチ”を手に入れておらず、他人と会話することが出来なかった豊明は、彼女と挨拶くらいしか――それも、はにかみながら挨拶して来る彼女に対して、会釈する事しか――出来なかった。
そのため、図書委員の仕事をする上でどうしても会話が必要な時は筆談をしていた豊明が、一度だけ仕事に関して彼女と筆談でやり取りが出来た際には、内心、跳び上がりそうになるほど嬉しかった。
そんなある日。
図書委員会が終わり、皆が図書室から帰った後。
「豊明君……あ、あのね……ちょっと、話があるの……」
不意に、彼女が豊明に話し掛けて来た。
そして――
「……す、好きです!」
――告白された。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
が、目を瞑り、真っ赤になって返事を待つ彼女を見て、やっと理解した。
喜びが心の中から湧き上がって来る。
(ま、まさか、彼女も、俺の事を好きでいてくれたなんて!)
豊明は、彼女に返事をしようとした。
(嬉しいよ! 俺も、君の事がずっと好きだったんだ!)
だが――
「………………ッ! ………………ッ!」
――口を開いたまま、豊明の身体は硬直した。
言葉が出て来ない。
(何で!? 好きだって言うだけだ! 俺も、君の事が好きだって!)
頭の中では、何度も何度も発話している。
しかし、実際には、単語一つすら、口から出て来なかった。
暫くその状態が続き――
「……やっぱり、無理だよね……豊明君、格好良いし……」
(ち、違う! 違うんだ!)
「ごめんね……聞いてくれてありがとう」
溢れそうになる涙を堪えながら、無理矢理笑顔を作った彼女は、走って図書室を出て行った。
(違うんだ! 違うんだよ!)
(好きなんだ! 俺も好きなんだ!)
(好き……なんだ……)
(……好き…………なのに………………)
過去の苦い記憶を思い出した豊明は、自分が階段の途中で立ち止まっている事に気付いた。
息を吐き、足を動かし、再度屋上へ向かい始める。
(あの時は、頭が真っ白になって、筆談をする事さえ思いつかなかった)
(でも、出来れば、あの子にはちゃんと自分の声で、それも、素の自分で返事をしたかったんだよな。もしあの当時、既に“スイッチ”を手に入れていたとしても)
考え事をしている間に、いつの間にか、屋上の扉の前に着いた。
(でも、今から会う子は違う)
(もし俺の勘が当たっていれば、この扉の向こうにいる子は……むしろ“スイッチ”を“使うべき”相手だ)
扉を開ける。
屋上はプールになっていて、上屋と呼ばれる、可動式の屋根が常時部分的に上空を覆っているため、雨でも会話が出来る。
ちなみに、シーズンオフなので、この時期に水泳部が使うことは無い。
プールサイドで待っていたのは、三人の女子生徒たちだった。
どうやら、友達に付き添って貰っているらしい。
(それにしても、ここ、教師が鍵を管理してるはずなんだけど、どうやって入ったんだろう? 鍵を勝手に拝借して来たのか? それとも……?)
実は星崎は校長の孫娘で、陰で好き勝手やっており、教師たちは見て見ぬ振りをしていたのだが、豊明は知らなかった。
豊明が三人に近付いて行くと。
「わ、私、C組の星崎美愛って言います!」
真ん中にいた、愛らしい容姿をしたツインテールの女子生徒が、一歩前に進み出て、名乗った。
「突然呼び出してごめんなさい。えっと、あの、私……豊明君の事、ずっと前から好きでした! よ、良かったら、付き合って下さい!」
頬を赤く染め、恥ずかしがりながら、それでも一生懸命気持ちを伝えようとする少女。
見る者によっては“あざとい”と言われそうだが、大抵の男なら思わず“可愛い”と思ってしまう、その愛らしい容姿にピッタリの、最高の告白だ。
彼女がいない男ならば、殆どの者がOKしてしまうであろう、その告白だったが。
豊明は別の事を考えていた。
(C組、か……)
火事があった時に、最初に発見したのはC組の女子三人組という話だった。
(もし、河和に罪を擦り付ける事だけが目的で、施設への被害は最小限に抑えたいなら、最初の発見者の振りをして素早く周囲に知らせるのが一番効果的だ)
豊明は、残り二人の女子生徒がC組かどうかは分からなかったが――
(鎌を掛けてみるか……)
告白された後の、静まり返った空気の中。
豊明は脳内で、“スイッチ”を入れる。
パチン。
そして、徐に口を開いて豊明が発した言葉に――
「……煙草」
「「「!」」」
――三人の肩がビクッと反応する。
星崎たちは皆、目を見開き、青褪めた。
(……黒だな。このまま威圧的に詰問でもすれば、白状してくれるかもしれない。でも、河和の疑いは晴れたんだし、そこまでする必要もないか)
「――を吸う男って、どう思う?」
「え? た、煙草を吸う男の人?」
続けられた言葉が予想していたものと違い、明らかに三人は安堵していた。
冷や汗を掻きつつ、星崎が答える。
「えっと、私、正直煙草は苦手だけど、でももし豊明君が将来吸うようになるなら、豊明君だったら煙草も似合って格好良いと思うし、大丈夫だよ!」
自分の正直な気持ちを話しつつも、相手を褒め、更に相手を受け入れるという、百点満点の答えだった。
すると、豊明は、「そうなんだ」と相槌を打った後――
――“スイッチ”を使っている時特有の冷たい双眸に、更に冷酷な光を宿して、告げた。
「俺は、君が将来煙草を吸おうが、吸うまいが、どちらにしても好きになれそうにない。ごめんね」
恐らく豊明と河和が一緒にいる所を、直接目撃したか、或いは目撃した誰かから聞いた上で、自分の恋路の邪魔になると判断し、放火事件を企てて河和を陥れて排除しようとしたのであろう。
退学か、最低でも停学を狙ったのかもしれない。豊明の証言でそのどちらにもならなかったが、結果的に今日、河和は休んだ。
そして、放火事件で河和が犯人だと疑われた翌日に、豊明を呼び出して告白、である。
(河和に対してあんな事をする奴の告白を、俺がOKする訳が無いだろうが)
豊明は、星崎たち三人をその場に残したまま、屋上を後にした。