その日の昼休憩の時間。
「なぁ、豊明。一瞬で全教科百点取れるようになるコツとか無いのか?」
「そんなもん無い」
「んだよ、使えねぇな」
 そんなやり取りを経て、早速“勉強”の方は、頓挫した。
 その代わり、“特訓”の方はきちんと継続されていた。
 と言っても、ただ河和と一緒に雑談をするだけだが。
 購買で買った菓子パンを口一杯に頬張り、ジュースで流し込む河和と、弁当に水筒の豊明という対照的な二人は、古びた椅子に座りつつ、何て事の無い様々な事を話した。
 やはり記憶通り、河和はE組だった。ちなみに、豊明はB組だ。
 電車通学の河和に対して、自転車通学の豊明。
 漫画を好む河和に対して、ラノベ好きな豊明。
 朝は洋食の河和に対して、和食を食べる豊明。
 きのこ派の河和に対して、たけのこ派の豊明。
 何から何まで違い、果たして共通点などあるのかと疑わしく思われる程の二人だったが、不思議と会話は弾んだ。

※―※―※

 そんな風に、数日が過ぎて行った。
 ちなみに、ヤンキーであるにも拘わらず、河和は携帯灰皿を持っていた。
 もしかしたら、ただ単に教師たちに喫煙がバレないようにと、証拠を隠滅しようとしていただけかもしれなかったが。
 最初の二~三日は、火のついた煙草を手に持って現れた河和だったが、煙草の煙の匂いが豊明に移らないようにと気遣ってか、それ以降は更に早目に登校して、豊明が来る頃には既に吸い終えるようにしていた。
 また、河和が煙草を吸うのは早朝だけらしく、それ以降の時間帯は、昼休みも含めて、一切吸わなかった。

 そんなある日。
 豊明は、河和の意外な一面を知る事になった。
 その日の昼食時に、河和はスケッチブックを持って来ていた。
 不意に手渡された分厚いスケッチブックを開くと――
「!」
 豊明は、思わず息を呑んだ。
 そこには、素人目に見ても分かるほど、精巧に描かれたデッサンの数々があった。
 校舎、木、鳥、花、虫……
「上手い! ……けど、スゲー描いてるな。スケッチブックの残り、あとちょっとじゃん」
「ん? このスケッチブック、三十二冊目だぞ」
「さ、三十二!? どんだけ描いてんだよ!?」
 すると、河和は、スケッチブックを胸に抱いて、こう言った。
「あたし、絵が好きだから」
「!」
 歯を見せて笑った河和は、太陽のように輝いていて――
 豊明は、不覚にも可愛いと思ってしまった。
 頬を薄っすらと赤く染めた豊明は、
「……何だよお前」
 と言った後、目を逸らして続けた。
「そういう笑顔も出来んじゃん」
「え?」
「そういう笑顔の方が……その……良いと思うぞ」
 気恥ずかしさを感じながら豊明が告げた言葉に対して、河和は――
「何言ってんだ!? あたしは、いつでも超素敵な笑顔だろうが!」
「どの口が言ってんだ!? お前、最初に会った時、とんでもなく威圧的な笑顔で脅して来ただろうが!」
「あれは、煙草吸ってたんだから、しょうがないだろうが!」
 大声で言い合った後。
「ああもう! 怒鳴ってたら、思い出しちまったじゃねぇか!」
 そう言うと、河和は髪を掻き毟った。
「思い出した? 何をだ?」
 すると、河和は――
「あたし、本当はこの高校に来るつもりは無かったんだ」
 ――ぽつりぽつりと、話し始めた。

 絵が好きな河和は、将来は絵を描く仕事に就きたいと思っていた。
 本当は、中卒でも入れる美術系の専修学校に入ろうとしたのだが、母は強く反対しなかったものの、父が猛反対した。
 何日もぶつかって喧嘩したが、結局父は折れなかった。
 その結果、高校――しかも普通科に行く事になってしまった。
 『高校を卒業したら、自由にすれば良い』、という約束で。
 河和は、高校を卒業したら、今度こそ専門学校に入ろうとしていた。
 しかし。
 最近になって、父が、『やはり美大に行け』と言い出したのだ。
 それに対して、河和は猛反発。
 再度親子喧嘩をしているらしい。

「普通科の高校で普通科の科目を勉強させた上で、美大に行けって、初めからそれが目的だったとしか思えないんだよ! 思い通りになんてさせてたまるか!」
 河和は立ち上がり、怒りを込めて叫んだ。
 どうやら、専修学校や専門学校なら入学は比較的簡単だが、美大――美術大学は、美術に関する高度な知識や技術のみならず、高校の普通科で習う一般的な科目の学力も試されるらしい。
 そのため、父親が、大学の学士の資格を取らせようと、美大に入る為のレールを最初から敷いていたのではないか、という事だった。
 フー、フー、と肩で息をする河和に対して、
「……お前も色々大変だな」
 と言った後、豊明は続けて呟いた。
「それにしても、もう将来の仕事を決めてるなんて、お前は凄いよ。俺はまだ朧気で、興味のある学部と行きたい大学を決めるので精一杯だから」
 まだ二年生の豊明だが、“このまま行けば、来年、かの有名なA大学の推薦を貰えるのは確実だと言われている”、というのは、生徒たちの間では有名な話だった。
 そして、偏差値が中堅どころであるこの高校からA大学の推薦を貰えるのは、後にも先にも豊明だけだろう、とも言われている。
 すると、河和は勢いよく椅子に座って言った。
「ふ~ん。別に良いんじゃねぇの? 将来の事なんて、早く決めた方が偉いとか、別にそんな事ないだろ?」
「そう……だな……」
 話せば話す程、豊明は、以前勝手に抱いていた河和に対する負のイメージが、どんどん崩れて行くのを感じていた。