さて。
他者と話せない豊明が、どうやって生徒会役員たちと会議を行う事が出来るのか。
それ以前に、そもそも、どのようにして生徒会長になれたのか。
更に言えば、どのような手段で高校入試の面接試験を乗り切ったのか。
それには、あるカラクリがあった。
翌日の早朝。
いつものように、豊明は、既に学校に来ていた。
まだ人気の無い中、普段授業を受ける教室が立ち並ぶ教室棟ではなく、少し離れた、音楽室や美術室等がある特別教室棟のトイレの個室に入り、その日一日を他の生徒たちと共に過ごすための準備をしてから、自分の教室に行く、というのが日課になっていた。
だが、今日は――
「そ、そんな!?」
特別教室棟のトイレが、工事中の為に使えなくなっていた。
ご丁寧に、全ての階のトイレが、同時に。
仕方がないので、生徒たちが来なさそうな、他の場所を探していると。
そこを発見した。
体育館裏、鬱蒼と生い茂った木々の枝を掻い潜って行くと、そこには小さなスペースがあった。
古くなって使われなくなった椅子が幾つか、体育館の壁に沿って置いてある。
その一つに座ると、豊明は呟いた。
「よし、これで今日の準備が出来る。それにしても、この歳になって、他人と話そうとすると、緊張して言葉が出なくなるなんてなぁ。情けない」
俯き、「はぁ」、と溜息をつく豊明。
「でもまぁ、“スイッチ”を入れれば喋れるし、それで良いとするか」
そう言うと、豊明は顔を上げた。
そして、頭の中に“スイッチ”を思い描き、そのイメージを動かしてONにすると――
パチン。
脳内に音が鳴り響いた。
すると――
スッと、豊明の双眸が冷たい目付きに変わった。
「報告ありがとう。体育祭までまだ時間があるから、今の内に全クラス、そして全ての部活に周知を徹底しておいてくれ」
生徒会役員たちとのやり取りを想定して、一人、発話する。
目付きだけでなく、その口調も、冷たく無感情なものに変わっていた。
これが、生徒会の会議そしてその他諸々の会話が必須の状況を乗り越えて来たカラクリだった。
その直後、豊明は脳内の“スイッチ”をOFFにした。
「よし、今日も俺の“スイッチ”は絶好調だ。これで今日も一日乗り切れる」
目付きも話し方も、元に戻っていた。
その時――
「ん?」
ふと。
豊明は何かに気付いた。
「あれ? この匂いは……?」
見ると、薄っすらと、煙が見える。
そちらに近付いて行くと――
「あんたの秘密、聞いちゃった」
「!」
体育館の角から、ソイツは現れた。
長い金髪にピアス。
着崩し過ぎて原形を留めていない、“元はセーラー服であったであろう何か”を着用している女子生徒。その手には火のついた煙草を持っている。
「まさかクールで人気な天下のイケメン生徒会長様に、そんな秘密があったなんてな」
整った顔立ちが、“邪悪”と形容しても差し支えないほどの、不遜な笑みを浮かべている事で台無しになっている、彼女は――
「こ、河和碧!」
「へぇ~。あたしの事、知ってんだ?」
――悪名高い、校内一のヤンキー少女だった。
同学年の河和は、クラスは違う――確かE組だったか――が、彼女を知らない者など、この学校にはいなかった。
この高校には、茶髪の生徒は何人かいる。ピアスをしている者も幾人かいる。だが、金髪でピアスをしている生徒など、河和以外におらず、煙草を吸っていると噂されている生徒、となると、皆が思い浮かべる生徒はやはり一人だった。
(マジか!? よりにもよって、あの河和に聞かれるなんて!)
狼狽する豊明の前で、河和が言葉を続ける。
「あたし、いつもここ使ってんだ。で、今日も来たら、先客がいてさ。『うわ、ウザッ。別の場所で煙草吸わなきゃいけないじゃん』って思ったけど、良い事聞いちゃったからさ。別に吸うの見られても良いやって思って」
そう言いながら一歩一歩豊明に近付いて行った河和は、座っている豊明の鼻先に自分の鼻が触れそうな程顔を近付けると、鋭い目つきで睨みつつ、しかし両の口角を上げるという、豊明が未だ嘗て見た事のない恐ろしい笑顔を浮かべ、ドスを利かせた声で言った。
「あたしが煙草吸ってるの、もしチクッたら、あんたの秘密、学校中に言いふらしてやるから」
その言葉に、豊明は顔面蒼白になった。
数年前の事が思い出される。
中学時代、話そうとしても口を開いたまま身体が硬直して、言葉が出て来ない自分に対して、周囲の皆は、時に腫れ物のように扱い、時に憐憫の目を向けた。
本当は他者と話せないと、もし高校の皆にバレたら――
(もう、あんな思いをするのは嫌だ!)
豊明は、震えながら返事をした。
「わ、分かった。お前の言う通りにする……誰にも言わない」
すると、河和は、
「それなら、よし」
と、身体を離し、椅子の中の一つに座った。
いつの間にか、先程の恐ろしい笑顔は消えていた。
(さ、最悪の奴と、取り引きをしちまった……)
何とも言えない気持ちになる豊明だが、他に選択肢など無かった。
ふと、河和を見ると、豊明の顔をじっと見詰めていた。
「あんたさ、さっき“スイッチ”って言ってたけど、今も入れてんのか?」
「いや、今は入れてないけど」
「だよな。あんたが演説する時とかって、ロボットみたいな感じだしな」
「………………」
(ロボットて。まぁ、言いたい事は分かるが)
“スイッチ”は、別人に成り代わって演技してるようなものだ。
冷静……と言えば聞こえは良いが、要するに、“不安”や“恐れ”等の緊張の原因となる感情を全て排除して喋っているため、どうしても無感情な話し方になる。
日常生活を恙無く送る為に仕方なく使っているものの、豊明自身も、“スイッチ”を使った時の自分の喋り方は決して好きではなく、出来るだけ使いたくなかった。
そのため、生徒会の業務連絡や授業中に当てられた時など必要な場面以外では、極力会話を避けているのだ。
改めて他者に指摘されて、軽く傷付いた豊明だったが――
「じゃあ、なんで今、普通に喋れてるんだ?」
「!」
河和の一言で、心の中が一気に驚愕で満たされた。
思わず、立ち上がる豊明。
(言われてみればそうだ。なんでだ!? こんな事、今までなかったのに……)
素の自分で話せている、という事実。
いつかはそんな風になれれば、とは思っていた。
それが突然、今この瞬間だけは、現実のものとなっている。
(一体なんで……!?)
だが、どれだけ考えても、理由が見当たらなかった。
「……分からん」
「そっか」
そう言うと、河和は俯いて暫く何やら思案していたが、立ち上がって豊明の顔を下から覗き込んだ。
「じゃあさ、あたしで練習すれば良いじゃん」
「へ?」
「よく分からんけど、あたしとは普通に喋れるんだろ? だったら、慣れてくれば、その内、あたし以外の相手とも普通に喋れるようになるんじゃないか?」
「いや、そうかもしれんが……」
「よし、決まりだ! 毎日ここで、あたしが秘密の特訓してやるよ! ありがたく思え!」
そう言って煙草の先を豊明に向ける河和に対して、豊明は怪訝そうな顔をした。
「何で協力してくれるんだ?」
すると。
「その代わり、あんたはあたしに勉強を教える事。あんた、頭良いだろ? あたし、中間の結果が散々だったからさ。期末で挽回しないと流石にヤバいんだよ」
(なるほど、それが狙いか)
先日終わったばかりの定期テストの結果が理由であると聞いて、腑に落ちた豊明は、息を一つして、頷いた。
「分かった。それで良い」
「よし、契約成立だな」
こうして、豊明は早朝と昼食時、特訓と勉強、という名目で、体育館裏で河和と会う事になった。
他者と話せない豊明が、どうやって生徒会役員たちと会議を行う事が出来るのか。
それ以前に、そもそも、どのようにして生徒会長になれたのか。
更に言えば、どのような手段で高校入試の面接試験を乗り切ったのか。
それには、あるカラクリがあった。
翌日の早朝。
いつものように、豊明は、既に学校に来ていた。
まだ人気の無い中、普段授業を受ける教室が立ち並ぶ教室棟ではなく、少し離れた、音楽室や美術室等がある特別教室棟のトイレの個室に入り、その日一日を他の生徒たちと共に過ごすための準備をしてから、自分の教室に行く、というのが日課になっていた。
だが、今日は――
「そ、そんな!?」
特別教室棟のトイレが、工事中の為に使えなくなっていた。
ご丁寧に、全ての階のトイレが、同時に。
仕方がないので、生徒たちが来なさそうな、他の場所を探していると。
そこを発見した。
体育館裏、鬱蒼と生い茂った木々の枝を掻い潜って行くと、そこには小さなスペースがあった。
古くなって使われなくなった椅子が幾つか、体育館の壁に沿って置いてある。
その一つに座ると、豊明は呟いた。
「よし、これで今日の準備が出来る。それにしても、この歳になって、他人と話そうとすると、緊張して言葉が出なくなるなんてなぁ。情けない」
俯き、「はぁ」、と溜息をつく豊明。
「でもまぁ、“スイッチ”を入れれば喋れるし、それで良いとするか」
そう言うと、豊明は顔を上げた。
そして、頭の中に“スイッチ”を思い描き、そのイメージを動かしてONにすると――
パチン。
脳内に音が鳴り響いた。
すると――
スッと、豊明の双眸が冷たい目付きに変わった。
「報告ありがとう。体育祭までまだ時間があるから、今の内に全クラス、そして全ての部活に周知を徹底しておいてくれ」
生徒会役員たちとのやり取りを想定して、一人、発話する。
目付きだけでなく、その口調も、冷たく無感情なものに変わっていた。
これが、生徒会の会議そしてその他諸々の会話が必須の状況を乗り越えて来たカラクリだった。
その直後、豊明は脳内の“スイッチ”をOFFにした。
「よし、今日も俺の“スイッチ”は絶好調だ。これで今日も一日乗り切れる」
目付きも話し方も、元に戻っていた。
その時――
「ん?」
ふと。
豊明は何かに気付いた。
「あれ? この匂いは……?」
見ると、薄っすらと、煙が見える。
そちらに近付いて行くと――
「あんたの秘密、聞いちゃった」
「!」
体育館の角から、ソイツは現れた。
長い金髪にピアス。
着崩し過ぎて原形を留めていない、“元はセーラー服であったであろう何か”を着用している女子生徒。その手には火のついた煙草を持っている。
「まさかクールで人気な天下のイケメン生徒会長様に、そんな秘密があったなんてな」
整った顔立ちが、“邪悪”と形容しても差し支えないほどの、不遜な笑みを浮かべている事で台無しになっている、彼女は――
「こ、河和碧!」
「へぇ~。あたしの事、知ってんだ?」
――悪名高い、校内一のヤンキー少女だった。
同学年の河和は、クラスは違う――確かE組だったか――が、彼女を知らない者など、この学校にはいなかった。
この高校には、茶髪の生徒は何人かいる。ピアスをしている者も幾人かいる。だが、金髪でピアスをしている生徒など、河和以外におらず、煙草を吸っていると噂されている生徒、となると、皆が思い浮かべる生徒はやはり一人だった。
(マジか!? よりにもよって、あの河和に聞かれるなんて!)
狼狽する豊明の前で、河和が言葉を続ける。
「あたし、いつもここ使ってんだ。で、今日も来たら、先客がいてさ。『うわ、ウザッ。別の場所で煙草吸わなきゃいけないじゃん』って思ったけど、良い事聞いちゃったからさ。別に吸うの見られても良いやって思って」
そう言いながら一歩一歩豊明に近付いて行った河和は、座っている豊明の鼻先に自分の鼻が触れそうな程顔を近付けると、鋭い目つきで睨みつつ、しかし両の口角を上げるという、豊明が未だ嘗て見た事のない恐ろしい笑顔を浮かべ、ドスを利かせた声で言った。
「あたしが煙草吸ってるの、もしチクッたら、あんたの秘密、学校中に言いふらしてやるから」
その言葉に、豊明は顔面蒼白になった。
数年前の事が思い出される。
中学時代、話そうとしても口を開いたまま身体が硬直して、言葉が出て来ない自分に対して、周囲の皆は、時に腫れ物のように扱い、時に憐憫の目を向けた。
本当は他者と話せないと、もし高校の皆にバレたら――
(もう、あんな思いをするのは嫌だ!)
豊明は、震えながら返事をした。
「わ、分かった。お前の言う通りにする……誰にも言わない」
すると、河和は、
「それなら、よし」
と、身体を離し、椅子の中の一つに座った。
いつの間にか、先程の恐ろしい笑顔は消えていた。
(さ、最悪の奴と、取り引きをしちまった……)
何とも言えない気持ちになる豊明だが、他に選択肢など無かった。
ふと、河和を見ると、豊明の顔をじっと見詰めていた。
「あんたさ、さっき“スイッチ”って言ってたけど、今も入れてんのか?」
「いや、今は入れてないけど」
「だよな。あんたが演説する時とかって、ロボットみたいな感じだしな」
「………………」
(ロボットて。まぁ、言いたい事は分かるが)
“スイッチ”は、別人に成り代わって演技してるようなものだ。
冷静……と言えば聞こえは良いが、要するに、“不安”や“恐れ”等の緊張の原因となる感情を全て排除して喋っているため、どうしても無感情な話し方になる。
日常生活を恙無く送る為に仕方なく使っているものの、豊明自身も、“スイッチ”を使った時の自分の喋り方は決して好きではなく、出来るだけ使いたくなかった。
そのため、生徒会の業務連絡や授業中に当てられた時など必要な場面以外では、極力会話を避けているのだ。
改めて他者に指摘されて、軽く傷付いた豊明だったが――
「じゃあ、なんで今、普通に喋れてるんだ?」
「!」
河和の一言で、心の中が一気に驚愕で満たされた。
思わず、立ち上がる豊明。
(言われてみればそうだ。なんでだ!? こんな事、今までなかったのに……)
素の自分で話せている、という事実。
いつかはそんな風になれれば、とは思っていた。
それが突然、今この瞬間だけは、現実のものとなっている。
(一体なんで……!?)
だが、どれだけ考えても、理由が見当たらなかった。
「……分からん」
「そっか」
そう言うと、河和は俯いて暫く何やら思案していたが、立ち上がって豊明の顔を下から覗き込んだ。
「じゃあさ、あたしで練習すれば良いじゃん」
「へ?」
「よく分からんけど、あたしとは普通に喋れるんだろ? だったら、慣れてくれば、その内、あたし以外の相手とも普通に喋れるようになるんじゃないか?」
「いや、そうかもしれんが……」
「よし、決まりだ! 毎日ここで、あたしが秘密の特訓してやるよ! ありがたく思え!」
そう言って煙草の先を豊明に向ける河和に対して、豊明は怪訝そうな顔をした。
「何で協力してくれるんだ?」
すると。
「その代わり、あんたはあたしに勉強を教える事。あんた、頭良いだろ? あたし、中間の結果が散々だったからさ。期末で挽回しないと流石にヤバいんだよ」
(なるほど、それが狙いか)
先日終わったばかりの定期テストの結果が理由であると聞いて、腑に落ちた豊明は、息を一つして、頷いた。
「分かった。それで良い」
「よし、契約成立だな」
こうして、豊明は早朝と昼食時、特訓と勉強、という名目で、体育館裏で河和と会う事になった。