「いててて……」
少しして。
椅子に座り、出血していない左手で、つねられて赤くなった両頬を順番に擦っている豊明の横、一つ空けて椅子に座った河和が、「ふん」と言って、そっぽを向いていた。
すると、「そう言えば」と言って、徐に豊明が切り出した。
「お前、本当は煙草を吸うの、止めたいんじゃないか?」
「!」
思わず振り向いた河和が、目を見開く。
「何でそう思うんだ?」
「生徒指導の先生が言ってたんだ。お前が、『もし吸ってたとしても、吸いたくて吸ってる訳じゃないかもしれないだろ』って言ってたって。先生は、その場凌ぎのため、煙に巻こうと口から出まかせを言っただけだって思ってたみたいだけど。俺は、あれはお前の本音だと思った」
「チッ! あのセンコー」
河和が顔を顰める。
「それだけじゃない」
豊明は続けた。
「ちょっと調べてみたんだが、普通、煙草を吸いたくなる瞬間ってのは、傾向があるもんなんだ。例えば、“食事の後”とか、“仕事の後”とか。後は、その、“男と女が仲睦まじくして行う、アレの後”とか」
ほんのりと頬を赤く染めた豊明は、最後の方は声が小さくなって、もごもごと呟いていた。
そんな豊明に対して、河和はあっけらかんと言った。
「アレ? エッチの事か?」
「なっ!? 何でそんな堂々と言えるんだ!?」
「でかい図体して、そんな事で恥ずかしがるなよ。っていうか、さっきあたしにあれだけ激しくキスを迫って来たのに、今更“エッチ”って言うだけで恥ずかしがられてもな」
「キスとエッチじゃ、レベルが違うだろ!」
「何のレベルだよ? ……で、何が言いたいんだ?」
その言葉に、「そう言えばそうだった」と、豊明は話を本筋に戻した。
「お前は、昼食の後は煙草を吸わない。学生の仕事――を勉強と考えると、仕事の後は授業後の休憩時間って事になるが、休憩時間にも煙草を吸わない。早朝に一本吸ったら、それで終わり。お前の煙草の吸い方は、極端なんだよ。まるで、早朝に吸ったら、それで一日の目的を全て達成したみたいな感じで」
その指摘に、河和は、
「別に、たまたまだ」
と、回避しようとした。
だが――
「お前が煙草を吸うのは、身体に煙草の匂いをつけたいからじゃないのか?」
「!」
――豊明は逃さない。
「つまり、煙草の匂いで、何か隠したい物があるんじゃないか?」
立て続けに豊明から鋭く切り込まれ、
「……何かって、何だよ?」
と、河和の反応が弱々しくなる。
豊明は、
「ここで最初に会った時の事、覚えてるか?」
と言って、辺りを見回した。
「あの時、俺は、お前が吸う煙草の煙に気付いた――けど、その直前に、違う物にも気付いていたんだ」
そして、河和を見詰めた。
「それは、バニラのような、甘い香りだった」
「!」
「……あれは、お前の身体から漂って来たものだろ?」
豊明の指摘に――
とうとう観念したのか、河和は俯き、「はぁ」と、息を吐いた。
「……何で分かったんだ?」
白状してくれた河和に、安堵しながら豊明が答える。
「実は、俺の母さんも、同じ体質だったんだ。まだ俺が小さかった頃。母さんは、バニラのような、甘い香りがした。それは、シャンプーやボディソープの香りとは違うものだった。朝昼晩、いつでもその匂いがしていたんだ。その後、大きくなって、ネットで調べた時に分かったんだ。稀にそういう体質の人がいるって」
豊明の説明に、河和は、
「まさかバレるなんてな……」
と、小さく呟き、溜息をついた。
そんな河和に対して、豊明は、
「お前さ、煙草を吸うの、止めたいか?」
と聞いた。
「そりゃそうだ! こんなの、吸わなくて済むならそれに越したことはない。でも――」
身を乗り出すようにして答えた河和だが、最後、俯いて何かを言い淀んだ。
河和が言わんとする事は、豊明にも分かった。
バニラのような甘い香りを常に身体から漂わせている女子生徒――
きっと高校に入学する以前は、何度もからかわれたのだろう。
『毎日香水をつけてくる女』
『男を誘ってる』
心無い者たちから、そんな言葉をぶつけられたりしたのかもしれない。
いや、もしかしたら、それならまだ良い方で、“特異体質”である事が知られてしまって、
『お前はおかしい』
『お前は変だ』
と、まるで普通の人間ではないような扱いをされる方が、より辛いかもしれない。
無論、中には、「もう高校生なんだから、それくらいの事、気にしなければ良いのに」等と言う者もいるだろう。
だが、一度植え付けられたトラウマは、そんなに生易しいものではない。
他人に同じような事を言われる度に、心は傷付くのだ。何度でも……何度でも……。
そんな河和の心情を察しながら、だが、豊明は。
否、だからこそ、豊明は。
明るく言った。
「任せろ! 俺に良い考えがあるんだ」
満面の笑みを浮かべる豊明に対して、
「嫌な予感しかしないんだが……」
と、河和はポツリと呟いた。
少しして。
椅子に座り、出血していない左手で、つねられて赤くなった両頬を順番に擦っている豊明の横、一つ空けて椅子に座った河和が、「ふん」と言って、そっぽを向いていた。
すると、「そう言えば」と言って、徐に豊明が切り出した。
「お前、本当は煙草を吸うの、止めたいんじゃないか?」
「!」
思わず振り向いた河和が、目を見開く。
「何でそう思うんだ?」
「生徒指導の先生が言ってたんだ。お前が、『もし吸ってたとしても、吸いたくて吸ってる訳じゃないかもしれないだろ』って言ってたって。先生は、その場凌ぎのため、煙に巻こうと口から出まかせを言っただけだって思ってたみたいだけど。俺は、あれはお前の本音だと思った」
「チッ! あのセンコー」
河和が顔を顰める。
「それだけじゃない」
豊明は続けた。
「ちょっと調べてみたんだが、普通、煙草を吸いたくなる瞬間ってのは、傾向があるもんなんだ。例えば、“食事の後”とか、“仕事の後”とか。後は、その、“男と女が仲睦まじくして行う、アレの後”とか」
ほんのりと頬を赤く染めた豊明は、最後の方は声が小さくなって、もごもごと呟いていた。
そんな豊明に対して、河和はあっけらかんと言った。
「アレ? エッチの事か?」
「なっ!? 何でそんな堂々と言えるんだ!?」
「でかい図体して、そんな事で恥ずかしがるなよ。っていうか、さっきあたしにあれだけ激しくキスを迫って来たのに、今更“エッチ”って言うだけで恥ずかしがられてもな」
「キスとエッチじゃ、レベルが違うだろ!」
「何のレベルだよ? ……で、何が言いたいんだ?」
その言葉に、「そう言えばそうだった」と、豊明は話を本筋に戻した。
「お前は、昼食の後は煙草を吸わない。学生の仕事――を勉強と考えると、仕事の後は授業後の休憩時間って事になるが、休憩時間にも煙草を吸わない。早朝に一本吸ったら、それで終わり。お前の煙草の吸い方は、極端なんだよ。まるで、早朝に吸ったら、それで一日の目的を全て達成したみたいな感じで」
その指摘に、河和は、
「別に、たまたまだ」
と、回避しようとした。
だが――
「お前が煙草を吸うのは、身体に煙草の匂いをつけたいからじゃないのか?」
「!」
――豊明は逃さない。
「つまり、煙草の匂いで、何か隠したい物があるんじゃないか?」
立て続けに豊明から鋭く切り込まれ、
「……何かって、何だよ?」
と、河和の反応が弱々しくなる。
豊明は、
「ここで最初に会った時の事、覚えてるか?」
と言って、辺りを見回した。
「あの時、俺は、お前が吸う煙草の煙に気付いた――けど、その直前に、違う物にも気付いていたんだ」
そして、河和を見詰めた。
「それは、バニラのような、甘い香りだった」
「!」
「……あれは、お前の身体から漂って来たものだろ?」
豊明の指摘に――
とうとう観念したのか、河和は俯き、「はぁ」と、息を吐いた。
「……何で分かったんだ?」
白状してくれた河和に、安堵しながら豊明が答える。
「実は、俺の母さんも、同じ体質だったんだ。まだ俺が小さかった頃。母さんは、バニラのような、甘い香りがした。それは、シャンプーやボディソープの香りとは違うものだった。朝昼晩、いつでもその匂いがしていたんだ。その後、大きくなって、ネットで調べた時に分かったんだ。稀にそういう体質の人がいるって」
豊明の説明に、河和は、
「まさかバレるなんてな……」
と、小さく呟き、溜息をついた。
そんな河和に対して、豊明は、
「お前さ、煙草を吸うの、止めたいか?」
と聞いた。
「そりゃそうだ! こんなの、吸わなくて済むならそれに越したことはない。でも――」
身を乗り出すようにして答えた河和だが、最後、俯いて何かを言い淀んだ。
河和が言わんとする事は、豊明にも分かった。
バニラのような甘い香りを常に身体から漂わせている女子生徒――
きっと高校に入学する以前は、何度もからかわれたのだろう。
『毎日香水をつけてくる女』
『男を誘ってる』
心無い者たちから、そんな言葉をぶつけられたりしたのかもしれない。
いや、もしかしたら、それならまだ良い方で、“特異体質”である事が知られてしまって、
『お前はおかしい』
『お前は変だ』
と、まるで普通の人間ではないような扱いをされる方が、より辛いかもしれない。
無論、中には、「もう高校生なんだから、それくらいの事、気にしなければ良いのに」等と言う者もいるだろう。
だが、一度植え付けられたトラウマは、そんなに生易しいものではない。
他人に同じような事を言われる度に、心は傷付くのだ。何度でも……何度でも……。
そんな河和の心情を察しながら、だが、豊明は。
否、だからこそ、豊明は。
明るく言った。
「任せろ! 俺に良い考えがあるんだ」
満面の笑みを浮かべる豊明に対して、
「嫌な予感しかしないんだが……」
と、河和はポツリと呟いた。