青春トワイライトと忘れ猫のあくび -Farewell Dear DeadMINE-

 僕らは変わらない関係な訳であって。
「たまには僕も行くからさ」
「……うん」
「……」
「……」
「食うか」
 僕らはほんの子供で、そういう関係だから。
 そんなの当然のように、言わなくても分かるものだから。
 結局、変わらないものだから――。
「……うわ、熱っ!」

 一緒にいたい気持ちは、ずっと。

 7

 卒業アルバムには、僕が過ごした毎日が写真として残されていて、ページを開けばあの時はどうだった、なんて何時間でも思い出話が出来るだろう。
 活躍なんてしなくて、目一杯はしゃいだだけの体育祭。
 友達とただ校内を話しながら回っているだけで終わった文化祭。
 準備に面倒くさがりながらも、最後には感動を迎えた音楽祭。
 そして、ただ単純に、一緒に時間を共有するだけで楽しかった学校生活。
 友達と好きな漫画の話をして、好きな音楽の話をして、好きなテレビの話をして、たまに好きな女子の話をして、時には友達の友達と、時には違う学年の人と、時には授業終わりの先生と、嫌われるとかうざったいとか思われる事も気にせず過ごして、これからもそうであり続けると思い込んでいた日々が、確かにあったのだ。
 それが小学生の頃の卒業アルバムだろうが、今の卒業アルバムだろうが内容は同じで、僕にとって学校というのは、勉強という名目で集まった、思い出作りの場所なのである。
 だから、中学二年になる前にあいつが学校に来なくなってからの思い出話も僕には出来るし、アルバムにもその思い出の証明が残されている。
 別に薄情だった訳じゃない。
 あいつがそうなってしまったのに、心配を重ねたのは本当だった。
 けど、『大丈夫か?』とか『学校来いよ』とかいらないって分かってたし、それが正しいとも思わなかった。
 寄り添ってやるだけ。
 同情もせず、叱咤もせず、手を差し伸べてやるとか大層な事もせず、一緒に居てやるだけが僕に出来た事。
 あいつの母親は、毎日放課後に家に来る僕に「いらっしゃい」しか言わなかったのは、それを理解していてからだろう。
 学校に行かない理由も訊かず、それが普通であるように過ごした。
 きっと、思い出しかのようにあいつが、父親の仕事場に行ったりしてたのは僕らのそんな態度に思うところがあったからなのかもしれない。