記憶というのは、機械みたいに完全消去なんて出来ない。忘れても、確実に少なからずの記憶の破片が残る。だから、人間はその曖昧な記憶の破片を何かに結びつけてしまっては、なんとなく懐かしいなどと感じるのだ。
 じゃあ、おかしいじゃないか。
 この街の駅が、自分の記憶の破片のどれとも結びつかないだなんて。
「いいや、夢前。帰ろう」
 前を再び向いて、足を進める。
 緩やかな坂の先にある踏切の、自転車を置いたその場所まで。
「ねえ、待って」
 不意に後ろの夢前に呼び止められ、反射的に振り返る。
 なぜか両手を広げて辺りをキョロキョロと周りを見回して。
「なんだよ」
「いやぁ、ね。急にいなくちゃったの」
「はあ?」
 一瞬何を言っているか分からなくて、ぼくは聞き返した。
 が、なんとなくその様子からして予想はついた。
 またヤツが逃げ出したらしい……さすがに振り回され過ぎだと思う。
「マミちゃん。気付いたらいなくて」
「……いいんじゃね。飼ってるとかじゃないし」
「そうだけどさぁ」
 残念そうにしながら、空を仰いで「はぁ」と大きい溜息を吐く夢前。そんなにあの猫がお気に入りだったのだろうか。なら、もっと警戒をしておけばいいものを、油断するのが悪い。
「あ。あれ」
 突然に視線を辺りに戻した途端、夢前が近くに何かを見つける。
 同じ方向を振り返ってやると、そこには時代に置き去りにされたかのような佇まいの店があった。
 看板には、"花屋いつじま"と細い質素な字が並んでおり、店頭を見る限り、またその名の通り花屋があった。
「今、あそこにマミちゃんいた。行ってみようよ」
「マジ? よく見えたな…………つうか、花屋なんてあったのか? この街に」
 そして、そこはどこか重苦しい行き詰まった空気を漂わせ、やはり僕の記憶には存在しない場所であった。
 さっきの駅の時と同じような、妙な違和感。
 正直行きたくない。
「分かんない。けど、見てみよ」
「あ、おい。勝手に突き進むな」
 一人で先に駆け出してしまう夢前。その後を僕は渋々追っていく。
 あそこはあまり近づきたくはない。
 でも、だからこそ、こいつを一人の状態で放っておくのは気が引ける。
「マミちゃん、おいでー」
 店内に響くように呼び掛けていたが、夢前の様子を見るにマミの姿は無さそうだ。