金曜日の夜に携帯が鳴った時、私はベランダで空を眺めていた。もうすぐ新月なので月は見えないけれど、星空が綺麗だ。白桃サワーをちびちびと飲みながら、遠くまで続いている空と瞬く星灯りをぼんやり見ていると、あっという間に夜が更けていく。
 携帯を見ると、通知の正体は日下部くんからのメッセージだった。心臓がどきりと跳ねた。
〈明後日、海に行きませんか〉
 たったそれだけの言葉の、唐突な誘いだった。まだ三月の半ばだというのに、海?
 疑問に思いながらも、私はその誘いを承諾した。きっと日下部くんのことだから、何か意図があるのだろう。夏以外の時期に海に行ったらいけない決まりなどないし。
〈ありがとうございます。じゃあ、当日は十一時にエントランスで〉
〈了解。楽しみにしてるね〉
 私が送信したそのメッセージでやり取りが終わったと思ったのに、今度は電話がかかってきた。通話ボタンを押すと、日下部くんの沈黙が聞こえた。
「どうしたの」
『星、今日綺麗ですよ』
「そうだね。見てるの?」
『見てます。水澤さんもですか』
「うん。さっきから眺めてた。あ、ちゃんと部屋でだからね」
 ふと、電話の向こうからも外の音が聞こえてくることに気づく。日下部くんもベランダに出ているのだろうか。同じ時間に同じように、同じ空を眺めていられることが幸せだ。
 ――ああ、わかった。ようやく見つけた。
 特段何も話さないまま、携帯電話越しにお互いの微かな息遣いを感じて、穏やかな夜の中で、私はやっと自分にとっての幸せを見つけた。
 好きな人と、同じ景色や時間を共有すること。
 それが、私にとって一番失いたくないものだ。
 だからもっともっと近くにいたいし、彼が見ているものや感じていることをもっと知りたいと思う。私が見ている綺麗なものも、彼に知ってもらいたい。
 お互いが幸せだと思う瞬間を共有したい。同じものを見て、感じて、一番近くで彼の笑顔を見られる居場所が欲しい。独りよがりかもしれないけれど、今の私が出せる答えはこれだ。
『……なんか喋ってくださいよ』
「え? あ、ごめん、ずっと黙ってた」
『まあいいですけど。やっぱり、夜は誰かと一緒に過ごせたほうがいいですね』
「いつでも相手するよ」
『水澤さんが相手をしてほしいだけなんじゃないですか。――あ、流れ星』
 日下部くんの声が耳元で聞こえたのと同時に、私も夜の空に落ちていく星を見つけた。心の中で、願い事を唱える。
 ――日下部くんの笑顔を、もっともっと見ることができますように。