その夜は晴れていた。新月の夜で、月がいない代わりに星が一段とよく見える夜だった。
 唐突に、日下部くんから電話がかかってきた。
「もしもし?」
『水澤さん、今家ですか?』
「え? うん」
『外に出ませんか? 星が綺麗ですよ』
 日下部くんから言われるまで外を見ていなかったけれど、合流して外に出た瞬間、空に瞬く満天の星空に目を奪われた。そのまま公園まで歩き、お互いに持ってきた缶チューハイで乾杯する。
「珍しいね、日下部くんから誘ってくるなんて」
「眠れなくて。最近、ずっと夜中まで起きたので」
「そうなの?」
 日下部くんは手元の緑茶ハイを開けて、一口あおった。足元は雪が残っているし寒いけれど、おかまいなしといった様子だ。
「西村の資格試験の面倒を見てるんですよ、今。俺がおんなじ資格持ってるって言ったら、じゃあ教えてくれって。教えるのなんてそんなに得意じゃないのに」
 疲れた様子の日下部くんの口から出てきたセリフに、私ははっとした。
「もしかして、たまに梨花ちゃん、、日下部くんのとこに行ってた?」
「何で知ってるんですか? 確かに来てましたけど。難しいところとか、やっぱり電話やメッセージだとわかりにくいって言われて……公共スペースだとあんまり話し声出せないし、あいつ今実家にいるので、うちに来てました」
「そうだったんだ……お疲れ様」
 渦巻いていた真っ黒いものが消えていくのがわかった。また、馬鹿な思い込みをしていた。
 ちゃんと知ろうとしなければ、本当のことは見えないのに、いつも忘れてしまう。何度も同じような場面を経験しているはずなのに、何度も間違える。
 見えているものだけが真実ではない。ちゃんと目を凝らして、アンテナを張って、見えないところに隠れた部分まで見つけないといけないのだ。悪い部分や辛いことはいつだって誇張されて、私たちの心に染みついてしまう。それにばかり惑わされてはいけない。
 自分の頭で考えて、相手を知る努力をする。安易な思い込みは感情を狂わせる。
「実は何回か見かけてたの。二人で買い出しに行ってるところとか……この間も、ここで降りる梨花ちゃんを見かけて、なんでここに? って思ってたんだけど、なんとなく声をかけづらくて」
「何ですか、それ。あいつはただの同期でしかないですし、別に何もないですよ」
「勘違いしてた。ごめんごめん」
 おちゃらけて笑ってごまかしながら、私は持ってきて開けていなかったホワイトサワーのプルタブを引いた。
「梨花ちゃん、受かるといいねえ」
「多分受かりますよ。というか、あんだけみっちり教えてやったんだから受からないとかありえないです」
 まあまあな頻度で日下部先生は面倒を見ていたのだろう。それがひと段落してのストレス発散で、今日は誘ってきたというところだろうか。珍しく口数も多い。
「そういえば、もうすぐバレンタインだね」
 若干やさぐれモードに入りつつある彼をなだめるために話を変えると、はじかれたように彼は顔を上げた。
「水澤さん、チョコ待ってますよ。俺、甘いもの好きなんで」
「え」
 緑茶ハイをあっという間に飲み干して、日下部くんはその瞳を細めた。本気で言っているのか冗談なのか読めないその表情に、私はどう返答したものか迷ってしまった。
「俺、ブラウニーが好きです。待ってますね」
「あ、そう……じゃあ当日、作ってあげるよ」
「わーい。楽しみにしてます」
 承諾したものの、このリクエストをどうとらえたらいいのか全くわからない。バレンタインに何かしようと思ったこともなかったのに、こんな直前に急に作る羽目になるなんて。
 隣で星座を数えながら二本目の緑茶ハイを開けた日下部くんは、随分と楽しそうだった。