「……そういえば」
 ワントーン声色を落として、日下部くんは話し出した。
「最近、夜に走ってると、たまにちょっと変わった人を見かけるんですよね」
「変わった人?」
「はい、向こうのショッピングセンターのあたりで。俺が何かされたわけじゃないんですけど、どうも普通じゃない感じではあるので、あっちのほうに行くときは気を付けてくださいね。小学校とかでも注意喚起されてるみたいですし」
「……うん、気を付ける」
 日頃よく行くわけではないエリアだけれど、品ぞろえが良いところなので時々お世話になっているところだ。怖いな、と思いつつ、日下部くんからの忠告を胸に留める。
「毎日走ってるの?」
「最近は週四くらいですね。天気のいい夜はついちょっと長めになります」
 運動はさほど好きではないので走ろうとは思わないけれど、夜の外気を浴びながらするランニングは大層気持ちいいんだろうな、と想像は付く。初めてこの公園で会った時のように淡々と走っているのだろう。息が上がっている様子も苦しそうな顔も、あまり想像がつかない。
「いつから走ってるの」
「走ること自体は中学のときからです。陸上部だったので」
「そうだったんだ。でもなんか納得いくわ」
「どういう意味ですか、それ」
 からかうとたまに聞くことができるこのすねたような声が、私はけっこう好きだ。まあいいですけど、とセリフとは裏腹に少し不貞腐れたような目をしながら、彼は夜空を仰いだ。
「部活自体は、高校のときに怪我で辞めたんですけど。走ること自体は好きだったので、日課としてずっと続けてます」
「そうなると、もう十年以上ってことでしょ。すごいね。私、そんなに続けていることなんかないや」
「趣味とかないんですか。月見以外で」
「ううん……まあ、旅行は好きだけど。温泉巡りとか。来月あたり、紅葉も見に行きたいなって思ってる」
 思えばしばらく、旅行らしい旅行はしていない。今年のゴールデンウィークはコンテストの準備でいっぱいいっぱいでそれどころじゃなかったし、お盆も帰省しただけ。この間の連休も皐月と出かけた以外は、日用品の買い物くらいしかしていない。
「紅葉か……このへんだと弥彦とかは有名ですよね」
「そうね。わたしは地元の紅葉が好きだけど」
「へえ?」
 興味ありげなその口ぶりに地元の紅葉の話をする。写真を見せると、予想外に彼は食いついてきた。
「ああ、これ。一度行ってみたいなって思ってたんですよね」
「今年行って来たら? 本当にすごいから」
「え、水澤さん一緒に来てくれないんですか?」
「えっ」
 ナチュラルに私と行くつもりだったのだろうか。彼の顔には、なんで一人で行かせるんだと書いてあるように見える。
「……プラネタリウムのときも不思議だったんだけどさ、なんで私のこと誘うのよ」
「言ったら来てくれそうじゃないですか、どこでも」
「そんな尻軽みたいな言い方しないでよ」
「それに、行くなら話の合う人と一緒が良いじゃないですか。一人で紅葉見るのもなんだし、さらに地元でよく知ってる人ならなおさら」
「わかったよ……じゃあ、紅葉のいい時期になったらまた行く日決めよう」
「ありがとうございます」
 多分喜んでいるのだろう。それくらいはわかるけれど、本当に外からわかる部分に感情が反映されない男だ。彼が私を指名する本当の理由も、いつもいつもこうして付き合ってくれるわけも、いまいちよくわからない。でも彼に関してはそれでいいと思えるくらい、私は日下部くんのそういうところが好きだ。
「そろそろ帰りましょうか。ちょっと雲も出てきましたし」
「そうだね。ありがと、一緒に来てくれて」
「……別に、俺も好きなので、こういうの」
 片づけをしながら何気なく言った言葉のどこに照れたのかわからないが、見上げた彼の頬はほんのり赤く見えた。なんだかこっちまで恥ずかしくなってしまう。感情が見えないと油断していると、不意打ちを食らうのだ。忘れないでおこう、と脳にインプットして、彼と並んで公園を後にした。