『そういえば俺、今日誕生日なんですけど』
「え! 早く言ってよ、知らなかった」
 おめでとう、と言うと、彼の声のトーンが少し明るくなった。
「誕生日に私なんかと電話してていいの。もっと誰かいるでしょ」
『友人には明日会えますんで。水澤さんのほかに電話の相手をしてくれる人はいないですし』
「私が変わり者って言ってるようなものじゃない、それ」
 文句を言いつつも、私にとっても彼は数少ない電話の相手だ。普段から友人と電話で話すということをあまりしないけれど、彼とは結局定期的に連絡をする羽目になっている。なんだかんだでプライベートでも月一程度で会っているけれど、職場ではただの先輩後輩でしかない。でも、この絶妙な距離感が心地よい。
 抑揚の少ない日下部くんの話し方が落ち着く。そう言うと、彼はまた黙ってしまった。
「黙らないでよ……なんか恥ずかしくなるじゃない」
『返答が思いつきませんでした』
 雑にかわす彼の声は、またいつものものに戻っていた。調子を取り戻した彼に、わたしは誘いをかけた。
「ねえ、来月の一日が十五夜なんだって。一緒にお月見しようよ」
『中秋の名月ってやつですか。いいですね、晴れたらいつもの公園で月見にしましょうか』
 せっかく夜の空を楽しむ仲間ができたのだから、秋の定番イベントは一緒に楽しみたい。一か月近く先のことだけれど、二つ返事で承諾してもらえたことに嬉しくなった。
「ありがとう。楽しみだなあ」
『そんなに喜ぶとは思いませんでしたけど』
「先の約束があるっていうのは何だって楽しくなるものでしょ。それを目標に生きていけるっていうか」
『わからなくもないですけど。あ、すみません、そろそろ風呂に入らないといけないので切りますね』
「ああ、ごめんね、付き合ってくれてありがとう」
『いいえ。じゃあ、おやすみなさい』
 電話を切って、みかんサワーをもう一度口に含む。不完全燃焼だった気持ちがすっきりして、炭酸も抜けてぬるくなりつつあるはずのチューハイもさっきよりおいしく感じられた。
 本間くんが青空なら、日下部くんは夜空だろう。彼は濃紺の空と星が良く似合う。
 夜空を誰かと見るなら、夜空みたいな相手とじゃないとだめなんだな、と、変に納得して、私は部屋に戻ることにした。