春らしい軽めのカラーに染めて少しカットしてもらった髪が心地いい。夜はまだ寒いけれど、日中はそれでも少しずつ暖かさを増してきていて、全国平均よりは遅い春が確実に近づいてきているのがわかる。
 今日はワンピースも新しくおろしたばかりだし、天気もいい。美容院の帰りに春の新作のコスメも買ってしまった。ショップの紙袋を下げて、幸福感に包まれながらマンションまでの道を歩く。
「水澤さん。お出かけですか」
 そんなるんるん気分の心に、静かな声が割り込んできた。振り返ると、日下部くんがスーパーの袋を携えてこちらへ歩いてくるところだった。
「二日連続で会うなんて、今まで顔を合わさなかったのが不思議なくらいですね」
「ほんとだね。……日下部くん、日本酒好きなの?」
 彼の手元のレジ袋には、様々な食材に紛れて日本酒の瓶が顔をのぞかせていた。飲み会のときに彼が日本酒を飲んでいた記憶はない。
「好きですよ。家で飲むときはいつも日本酒です」
「飲み会のときはビールだよね?」
「はい。飲めるってばれたら、課長たちに付き合わされるじゃないですか。そういう飲み方はしたくないんですよね」
 長谷川課長は酒好きで有名で、飲み会の二杯目以降はいつも日本酒を飲んでいる。酒癖は悪いというほどではないが、同じように日本酒好きの社員とにぎやかに盛り上がってしまうから、きっと日下部くんはそういう流れに巻き込まれるのが嫌なのだろう。
「それは確かにそうだね。賢明な判断だと思う」
「でしょ? 酒は自分のペースで楽しく飲むのが一番です」
「ちょっと嫌味に聞こえるのは、私の勝手な深読みかな」
「さあ、どうでしょうね。恋愛がうまくいかないからってやけになって飲む酒がおいしいとは、俺は思わないですけど」
 飄々とそんなことを言ってのけて、さっさと彼はマンションのオートロックを解除する。やっぱりこの後輩は面倒くさい。
 じゃあ、と短く言って、日下部くんはエレベーターを降りて行った。昨日もそうだったけれど、急に会っても彼は表情をほとんど変えない。ずっとポーカーフェイスで、その裏で何を考えているのかがよくわからない。視線は確かにこちらを向いているんだけど、本当に私が視界に入っているのか疑問だ。
 そんな表情なのに、危ないから自分を呼べ、とか言ってくるし。
 今までほとんど話したことがなかったうえに、誰かから彼についての評判を聞くこともなかったけれど、どうも一筋縄ではいかない後輩と仲を深めてしまったようだ。
 仲を深めるなら、日下部くんじゃなくて小熊さんがよかったなあ、とわがままを呟いて、私は夕食の支度に取りかかった。