偽物の愛は、本物の愛の花を枯らし、種を殺し、土を汚して踏みにじって、またどこかで誰かを傷つける。枯れてしまった花が次に芽をだすまでには、長い時間をかけてゆっくり傷を癒して、また育てていくしかない。傷つけた側は、そんなことは知らぬまま、自由に踊り続けるというのに。
 低い声で小さく話す皐月も、八年近く経つ今でもきっとまだ、その後遺症から完全に抜け出せてはいない。
「あ、でもね、今の人はいい人なんだよ。安心してね」
「知ってるよ。中学の同級生なんでしょ、もう二年くらい経つよね?」
 皐月はぱっと明るく笑って頷いた。
「実はね、プロポーズされたんだ」
「えーーっ!」
 自分でも驚くぐらいの声が出てしまった。近くのデスクに残っていた数人が何事かと視線を向けてくる。何でもないです、と頭を下げて、私は思わず皐月に掴みかかった。
「ちょっと何それ、聞いてないよ」
「うん、だって一昨日のことだもん。籍を入れるのはしばらく先になるけど、名字が変わってもよろしくね」
「皐月~~! おめでとう、良かったね!」
「あはは、ありがとう」
 抱きついて叫ぶと、皐月はぽんぽんと頭を撫でてくれた。頼れる同僚であり、大切な友人である彼女が良い人と巡り会えたことが、心の底から嬉しい。
 あらためてちゃんとお祝いさせてね、と、私はその喜びをかみしめながら、弁当に向き直ったのだった。



その週末はいよいよ熱帯夜となった。あまりの暑さに扇風機を回しても、寝付ける気配が全くない。仕方なく、冷蔵庫からグレープフルーツサワーを取り出して、そのまま外に出た。夏の夜のぬるい空気が肌にまとわりつく。いつもの公園に着いて、私は日下部くんとの約束を忘れていたことを思い出した。時間が時間だしと思いつつも、一応メッセージを送る。
〈寝られないので、公園で飲んでる〉
 時刻は深夜一時。月明かりはなく、星だけがきらきらと光っている。その光を眺めながらチューハイの缶を開けたのと同時に、公園に誰か入ってくるのが見えた。一瞬身構えて、その背格好が見慣れたものであることに気づく。
「起きてたの」
「起こされました、通知に」
「ごめん」
「いえ。むしろ気づけて良かったですよ、こんなドのつく深夜に外に出る女性がいるなんて」
 ぶつぶつ言いながらも、彼も缶を一本持っていた。私の手元のものと同じ色だ。
「あ、お揃い。これ、おいしいよね」
「そうなんですか? 普段あまり買って飲むものじゃないので、初めて飲むんですよね」
「そっか。もっぱら日本酒だもんね」
 じゃあなんで買っておいていたんだろう、とは思ったけれど、質問したところで雑にあしらわれるのは目に見えている。面倒くさくなって、私は喉を潤すほうに頭を切り替えた。
「星が良く見えるねえ」
「今日は月はいないですね」
「もうすぐ新月だしね。でも、これはこれで好きだなあ。星しか見えないの」
「そうですね」
 沈黙。一緒に外に出てくれるのはありがたいけれど、彼といるといつもこうして、微妙な空気が流れてしまう。
「水澤さんって、どうして月が好きなんですか」
 しばらくの静寂の後、それを破ったのは彼のほうだった。けつまずいたような変なタイミングで放たれた質問文に、私はぼんやりし始めた頭をひねった。
「なんでだろう……なんとなく、なんだよね。ただ見てたら落ち着くっていうか。じゃあ、日下部くんが星を好きな理由は?」
「……なんとなく、じゃないですかね」
「なにそれ」
 会話とも呼べないような稚拙なやり取りに、笑ってしまう。日下部くんはやっぱり眠たいのだろうか。
「叩き起こしちゃってごめんね。帰ろうか」
「……ふぁい」
 これは完全に睡魔に白旗を挙げている。缶の中身はいつの間にか空っぽになっていたようだ。少しふらつく彼を支えながら、私はマンションへと帰った。ようやく私も眠れそうだ。