「日下部くんって、車持ってたんだね」
「最近買ったんです。中古ですけど、あったほうが便利かなと思って」
 助手席に乗り込むと、車内は日下部くんらしく無駄なものがない、シンプルな内装だった。運転する手つきは慣れた様子で、ブランクがあったとは思えない。近くのインターチェンジからバイパス道路に乗って、市街地へ走り抜ける。
 あいにくの曇り空だが、今日は雨は降っていない。少し窓を開けると、心地よい風が入ってきた。
「ねえ、なんで私を誘ったの? 友達とか誘えばいいじゃない」
「このへんに住んでる友達はほとんどいないんですよね」
「日下部くんって、実家どこだっけ」
「長岡です」
「そっか。でも、それなら同期は?」
 尋ねると、日下部くんはうーんと悩ましげな声を出した。
「なんとなく、星を見たいとかメルヘンチックなことは話しにくいじゃないですか」
「……じゃあ私は」
「月を見ながら酒を飲んでる人には、特に羞恥心は抱きませんね」
 こうして話している間も、日下部くんの表情はほとんど動かない。友達がいなくても平気なんだなということはわかるけれど、相変わらず謎なままだ。会って話した時だって、ほとんど一方的に私が話すだけで、日下部くんが話すことはほとんどない。
「もうすぐ着きますよ」
「うん。来るの久しぶりだなあ」
「あれ、来たことあるんですか」
「子どものころにね。もう十年以上来てないよ、たぶん」
 駐車場に車を止めて中に入ると、昔来たときと変わらない様子に懐かしくなる。奢りの約束を思い出して二人分のチケットを買うと、日下部くんは財布を出そうとした。
「お礼だからいいよ。ほら、早く行こう」
「……ありがとうございます」
 プラネタリウムに入場すると、すでに半分ほどの座席は埋まっていた。見やすいとおすすめされたシートの空きをなんとか見つけ、並んで座る。
 やがて室内が暗くなり、アナウンスとともにプラネタリウムが始まった。満天の星空は、本物じゃないとわかっていても見惚れるほど美しい。濃紺に輝くいくつもの星が集まって星座になり、空をにぎわせている。興味深い解説員の説明とともに、時間はあっという間に過ぎて行った。
『さて皆さん、ストロベリームーンという言葉をご存じでしょうか? 毎年六月に見られる満月のことなのですが、紅く見えることが多いんですね。今年はその日が悪天候で、新潟では見られなかったんですが、、今回は特別に、そのときの空を再現したものをお見せします』
 そんなアナウンスとともに、夜空に昇り始めた満月は、その名の通り、紅く輝いている。毎年何かと話題になっているストロベリームーンだが、実際に見たことはあまりない。年に一度なうえ、天候やタイミングのせいで、就職してからは一度も自分の目で見ることができていない。
『このストロベリームーン、好きな人と見ると恋が叶う、なんて言われたりもします。いつも紅く見えるわけではなく、あくまで六月という時期がアメリカで苺の収穫時期であることにに由来した呼称ですが、こんな美しい月を好きな人と一緒に見ることができたら、素敵なことですよね』
 好きな人と、月を見れたら……か、と、ぼんやり考える。次の恋を探したいかと聞かれたら、答えはノーだ。
 もう、誰かを好きになることには疲れてしまった。
 その時好きだと思っても、ずっとその気持ちが続くとは限らない。そうやって醒めて別れを私から切り出したことは、一度ではない。
 そもそも、好きだと思った相手が自分のことを好いてくれるとは限らないわけだし、また今回のような思いをするのもごめんだ。
 久しぶりの恋心があっけなく散ってしまって、自棄になっているだけなのかもしれないけれど、私はもう恋とか愛とかは考えたくないのだ。