「小熊さんの連絡先、消しちゃおうかな」
 そう呟くと、隣の気配が急に鋭くなった。
「なんでですか?」
「なんでって……そりゃ、早く忘れてしまいたいからに決まってるでしょ。しがみつくだけ不毛だもん」
「連絡先消したら終わらせられるんですか? そんな簡単に?」
 淡々と、彼の正論が私の心をえぐる。恐る恐る視線を向けると、淀みのない黒い瞳が真っすぐに私を見つめていた。
「じゃあどうすればいいの。もう叶いもしない相手なんて、さっさと忘れたいよ」
「忘れたいことを忘れるためには、ちゃんとけじめをつけてから、上書きするか時間を置くしかないです。意識して切り捨てようとするだけじゃ、余計にしんどくなりますよ」
「そんな……」
 身も蓋もないことを言われて、返す言葉が見つからない。一秒でも早く忘れて、苦しみから解放されたいだけなのに、どうしてこんなふうに言われなきゃいけないんだろう。
「連絡先消すのは別にいいと思いますけど、今の水澤さんのままじゃ、ずっと引きずるんじゃないですか。中途半端に告白して、振られもせずに一方的に終わらせたつもりでいるだけじゃないですか。どうせ言ったならちゃんと振られたほうが良かったと思いますよ」
「自分のことじゃないからって好き勝手言わないでよ。私がこれでいいって思ってるんだからいいでしょ。ほっといてよ」
 叫びながらも、日下部くんの言葉が心のど真ん中に突き刺さったのを感じていた。確かに私はこの数日、もやもやしていたのだ。
 あの時小熊さんが何も言えなかったなら、少しは自分にも望みがあるんじゃないか、なんて、馬鹿なことを考えたりしていた。
 咄嗟に最適解を選択することができなかっただけだとわかっているはずなのに、都合のいい期待をしてしまって、そうして思う。
 あの時、きちんと振ってくれていたら、もう少し楽だっただろうな、と。
 そうやって自分勝手なことを考えて過ごしていたのを見透かしたような日下部くんの視線が痛くて、私は自分の爪先を見つめた。
「……振られて来いとは言いませんけど、ずっと目の腫れが引いてないのを見てるのは、さすがに嫌なので。すみません」
「ううん。……頭では理解してたことだから。心が追い付いてないの。自分でシャットアウトしたせいなのにね。日下部くんは間違ってないよ」
 恋愛感情なんて、何のために存在しているのだろう。こんな非効率的なシステムを生み出したのは誰なんだろう。
 好きな人に一番に好いてもらうだけのことなのに、ハードルが高すぎる。
「ちゃんとけじめつけるよ。いつになるかわからないけど。その時はまた、話聞いてくれる?」
「俺も暇じゃないんですけどね。……ま、いいですよ。乗り掛かった舟であれこれ言っちゃったし」
「ありがと。今度なんか奢るよ」
 会話が途切れて、ひんやりした空気だけがそこに残る。心はまだ痛いけれど、頭はすっきりしていた。
 風邪ひく前に帰ろうか、と声をかけると、日下部くんは短い返事をして立ち上がった。