今、話の主導権はお母さんに持っていかれている。この間は、私の興味を惹くためのものだ。実際、私は話の行く先が気になってしまっている。恐らくお母さんは計算してやっているわけではない。無意識にこれができるのがお母さんなのだ。

「ロミオとジュリエットってあるじゃない?」

「……恋は障害が大きい方が燃え上がるって話?」

「そう。あの二人って、お互いのことなんて碌に知らないで、ただ家同士の問題っていう障害があったから恋をしてただけでしょう。恋は障害から生まれるのよ。家の事情とか、身分とか、お金とか、戦争とか、病気とか。初恋もそうなのよ。何をしたらいいか分からないという障害があるからこそ燃えるの」

「それが障害だっていうの?」

「ええ。二人ともその問題だけを見てるから、初恋は甘酸っぱいのよ。会えてる時間の甘さと、会えない時間の酸っぱさ。それしか見えない。甘酸っぱいだけでいられるの」

「……」

「大変なのは結ばれてからなのにね。それまでは二人並んで障害と向き合っていられたけど、思いが成就したら相手と向き合わなくちゃいけない。好きなところも、嫌いなところも見えてくる。辛さも苦さも、生臭さも出てくるわ。甘酸っぱいだけじゃいられない」

 この話題、この戦場での言い争いは分が悪い。恋愛に関しては長年の経験を持つお母さんの理屈に、私では太刀打ちできない。

「……お父さんが初恋だったの?」

 お母さんの独壇場に、せめて一矢報いようと問いを投げつけるたが、お母さんは「ふふ」と余裕で笑って受け止めた。

「舞夕。あなたにもいつかは誰かを選ぶときが来るわ。そのときには強い人を選びなさい。そうしないと苦労するから」

 そう言ったお母さんは、母の顔をしていた。その忠告はお母さんの衷心からの言葉だと伝わってきた。これがお母さんなりの思いやりなのだ。

「ねえ、舞夕。その初恋の男は身体が弱いの?」

「……病気で、入院してる」

 お母さんの本気に中てられ、思わず答えてしまった。

「そう」

 と、お母さんはカップの縁を指で撫で、それから続けた。

「理想的な初恋ね。今のうちに楽しんでおきなさい」

 瞬間、血が沸騰した。

 楽しめ?
 理想?

 私は鹿島くんのことを何も知らなくて、病気のおかげで私の初恋は生まれたと?

 グラスを手に取る。

 中身をかけてやろうと持ち上げたところで、思い留まる。

 この後お母さんは家に帰るだろう。この服とこの身体で、最上階の部屋に帰る。清潔で清浄で、煙草臭い部屋に。

 私のかけたアイスコーヒーの染みを、付けたまま。

 そんなの嫌。

 お母さんとおっさんの家に、私が一欠片でも持ち帰られるなんて、絶対に嫌だ!

「……お母さんの言うこと、よく分かる。正しいと思う」

 グラスをそっと置く。

「だから、私もそうするね。強い人を選ぶ」

 鞄から財布を取り出し、ソファから立ち上がる。

「舞夕?」

「私はあなたを選ばない。他人に依存する、弱いあなたは選ばない」

「何言ってるの?」

「さようなら、お母さんだった人」

 一万円札をテーブルに放り、私は背を向けた。

「舞夕!」

 前の母の叫ぶような呼び声は、閉まるドアの向こうに消えた。