「げ」
思わず声が出た。
期末テストで赤点をとってしまった。補習を受けなくてならないので、しばらくライブはできない。もう次のイベントも近いのに。
そんな目にあったら声も出ようというものだ。
冷池レネはアイドルである。十七歳で高校二年生。学校に通いながら仕事をこなしている。名前のとおりクールな外見と歌声で売っている。が、その実、心には熱いものを秘めている。
と、いう設定になっている。
『アイドリング・ストップ!』、通称『アイスト』は、アイドルを育てるリズムアクション・ゲームであり、レネはそのゲームに登場するヒロインの一人である。
横にしたスマホ画面の中から、レネは申し訳なさそうな表情を私に向けている。
そんな顔しなくていいのに。赤点で補習なんて誰もが通る道なのだから。私なんて三回連続で赤点だったし、何なら今もその記録は更新中だ。私と同じ高校二年生で、既に仕事もしているレネが恥じることなど何もない。
「……鶴崎」
しかし困ったことになった。もうスタミナが溜まりきっているのだ。
アイドルを育てるためにはライブが欠かせない。ライブをするためにはスタミナがいる。スタミナは時間経過で回復する。そしてスタミナには上限がある。溜まりきった状態で時間が経過した場合、その分のスタミナはどこにも溜まらず消えてしまう。溜まりきる前にライブをして消化しなくてはならない。
この手のゲームではお決まりのシステムだ。無駄になるのが怖くてプレーヤは四六時中ゲームのことを考えるようになる。
「……おい、鶴崎」
私は心血を注いでレネを育てている。だが、課金はしていない。まだ高校生でバイトもしていないのだから当然だ。
私が注いでいるのは、お金ではなく時間。有り余る時間を、私はこの子の成長のために捧げている。
「鶴崎舞夕!」
がなり声に目を上げると、すぐ目の前に中年男性が立っていた。
「げ」
やっぱり思わず声が出た。
がなり声の主、青木先生は私のクラス担任であり、世界史教師である。水曜日の四時間目は世界史の授業なのだ。
「これは違うんです、先生」
「何が何とどう違うんだ、ん?」
「最近は梅雨空が続いてましたけど、今日は珍しく晴れてたじゃないですか」
「そうだな」
「で、屋上にあがったら遠くに高層ビルが見えて、人間ってちっぽけで時間の流れって悠久だと思えて、ライブのことを忘れてしまったんです。そしたらさっきスタミナが溜まっちゃったので、これは不可抗力なんです」
あらゆる時間はレネのライブのためにある。授業時間とてその例外ではない。
「……そうか。わかった。ようくわかった」
ため息混じりにそう言って、先生はにかっと笑った。
「没収」
「ですよね」
青木先生が差しだした手に、私はスマホを乗せた。
ごめん、レネ。少しの間ライブはできない。
いや、どうせ赤点イベントのせいでライブはお預けだから別にいいか。私の分まで勉強してね。
ふと周りを見る。幾人かの男子女子と目が合う。
何見てんの。
目でそう訴えると、誰もが目を背ける。
都立井の頭高校、通称・井の高はちょっとした進学校だ。通うのはお行儀のよい優等生ばかり。授業中のトラブルでちょっとした笑いが起きるなんてことはない。
と、一人のクラスメイトと目が合う。彼女だけは視線を逸らさない。私を見て朗らかに笑う。
このクラスで唯一、私が友だちと呼べる人。
安曇《あづみ》ひまりは小さく手を振った。
思わず声が出た。
期末テストで赤点をとってしまった。補習を受けなくてならないので、しばらくライブはできない。もう次のイベントも近いのに。
そんな目にあったら声も出ようというものだ。
冷池レネはアイドルである。十七歳で高校二年生。学校に通いながら仕事をこなしている。名前のとおりクールな外見と歌声で売っている。が、その実、心には熱いものを秘めている。
と、いう設定になっている。
『アイドリング・ストップ!』、通称『アイスト』は、アイドルを育てるリズムアクション・ゲームであり、レネはそのゲームに登場するヒロインの一人である。
横にしたスマホ画面の中から、レネは申し訳なさそうな表情を私に向けている。
そんな顔しなくていいのに。赤点で補習なんて誰もが通る道なのだから。私なんて三回連続で赤点だったし、何なら今もその記録は更新中だ。私と同じ高校二年生で、既に仕事もしているレネが恥じることなど何もない。
「……鶴崎」
しかし困ったことになった。もうスタミナが溜まりきっているのだ。
アイドルを育てるためにはライブが欠かせない。ライブをするためにはスタミナがいる。スタミナは時間経過で回復する。そしてスタミナには上限がある。溜まりきった状態で時間が経過した場合、その分のスタミナはどこにも溜まらず消えてしまう。溜まりきる前にライブをして消化しなくてはならない。
この手のゲームではお決まりのシステムだ。無駄になるのが怖くてプレーヤは四六時中ゲームのことを考えるようになる。
「……おい、鶴崎」
私は心血を注いでレネを育てている。だが、課金はしていない。まだ高校生でバイトもしていないのだから当然だ。
私が注いでいるのは、お金ではなく時間。有り余る時間を、私はこの子の成長のために捧げている。
「鶴崎舞夕!」
がなり声に目を上げると、すぐ目の前に中年男性が立っていた。
「げ」
やっぱり思わず声が出た。
がなり声の主、青木先生は私のクラス担任であり、世界史教師である。水曜日の四時間目は世界史の授業なのだ。
「これは違うんです、先生」
「何が何とどう違うんだ、ん?」
「最近は梅雨空が続いてましたけど、今日は珍しく晴れてたじゃないですか」
「そうだな」
「で、屋上にあがったら遠くに高層ビルが見えて、人間ってちっぽけで時間の流れって悠久だと思えて、ライブのことを忘れてしまったんです。そしたらさっきスタミナが溜まっちゃったので、これは不可抗力なんです」
あらゆる時間はレネのライブのためにある。授業時間とてその例外ではない。
「……そうか。わかった。ようくわかった」
ため息混じりにそう言って、先生はにかっと笑った。
「没収」
「ですよね」
青木先生が差しだした手に、私はスマホを乗せた。
ごめん、レネ。少しの間ライブはできない。
いや、どうせ赤点イベントのせいでライブはお預けだから別にいいか。私の分まで勉強してね。
ふと周りを見る。幾人かの男子女子と目が合う。
何見てんの。
目でそう訴えると、誰もが目を背ける。
都立井の頭高校、通称・井の高はちょっとした進学校だ。通うのはお行儀のよい優等生ばかり。授業中のトラブルでちょっとした笑いが起きるなんてことはない。
と、一人のクラスメイトと目が合う。彼女だけは視線を逸らさない。私を見て朗らかに笑う。
このクラスで唯一、私が友だちと呼べる人。
安曇《あづみ》ひまりは小さく手を振った。