日曜日の昼。
その日は家族がみんな出かけていて、家にいるのは俺ひとりだった。
台所を物色してみたけれど昼飯になりそうなものが見つからず、仕方なく部屋着にパーカだけ羽織って向かった近所のコンビニ。
「――あれ、土屋くんじゃないですか。偶然ですね!」
そこで、季帆に会った。
「……ぜったい偶然じゃないだろ」
こいつの言う「偶然」ほど白々しいものもない。
眉をひそめながら振り返ると、白いニットにグレーのショートパンツを穿いた季帆がいた。
久しぶりに髪が巻かれて、ふわふわしている。学校で会うときより化粧も念入りで、気合いが入っているように見えた。
「偶然です。私、お昼ご飯を買いに来たところなんです。もしかして土屋くんもですか?」
「……まあ」
「わあ、偶然! じゃあせっかくなので、いっしょにどこかでランチしましょう!」
「やだよ」
一も二もなく切り捨てて、俺は棚のほうを向き直ると
「俺、今コンビニ着だし」
「なんですかそれ」
「コンビニ用の格好ってこと」
そんな、外食を想定した服を着ていない。ほぼ部屋着だ。
「大丈夫ですよ。なにもおかしくないです。私は気にしません」
「いや俺が気にすんの」
「じゃあ、その格好でも気にならないようなお店にしましょう。牛丼とか、ラーメンとか」
「……え、そんなとこでいいの?」
女子の言うランチって、洒落たカフェへでも行かなければならないのかと思っていた。
「もちろんです。私は土屋くんとごいっしょできるならどこでも。だから土屋くんの食べたいもの食べましょう。ね、それならいいでしょう?」
なんてあれよあれよと言いくるめられ、気づけば、けっきょく季帆といっしょにコンビニを出ていた。
「あのコンビニ、よく来んの?」
短い相談のあと、近くのファミレスに行くことに決まり、季帆と並んで歩き出した。季帆が履いている踵の高いショートブーツのせいか、いつもより目線が近い。
「はい、ときどき」
「季帆の家って、このへんなの?」
――えー、なんでこんなところに。
数日前にあのコンビニで聞いた、女子ふたりの会話を思い出す。
季帆をここで見かけたという言葉に、もうひとりはそう返していた。驚いたように。
「はい、このへんです」
「……じゃあ、中学どこだった?」
重ねた質問に、季帆がふっとこちらを見た。
そうして少しのあいだ無言で俺の顔を見つめた季帆は
「――忘れました」
「は?」
「どこの中学行ってたかなんて、そんな昔のこと、忘れました」
淡々とそんなことを言って、季帆はまた前を向き直った。
俺はあっけにとられて、そんな季帆の横顔を見つめていた。
そんなわけないだろ、と突っ込みかけた言葉は、なぜだか喉で詰まった。前を向いた季帆の表情が、奇妙に静かだったから。
「……忘れた?」
「はい」
無表情に前を見つめたまま、季帆が頷く。
「だって」だけど軽く目を細めた表情に硬さはなく、むしろどこか穏やかに見えた。
「土屋くんに会う前のことだから」
「……え」
「だから忘れました。土屋くんに会う前のことなんて、もうどうでもいいんです。ぜんぶ」
言い聞かせるようなその声に、俺はそれ以上、なにも言えなかった。
お店に着き、俺は温玉ドリアを、季帆はデミグラスハンバーグを頼んだところで
「そういや、樋渡とはどうなってんの」
ふと思い出して訊いてみると、季帆はテーブルの上にある期間限定スイーツの写真を見ていた視線を上げ、俺を見た。そうしてなんだか誇らしげに目を細めてみせながら
「すこぶる順調です。今、順調にお友達の地位まで上り詰めたところです」
「友達」
「はい。最近、七海さんののろけ話とかもしてくれるようになりましたよ、樋渡くん」
どうやら、樋渡のほうもまったく季帆を警戒していないらしい。急にこんな接近の仕方されたら、ふつう怪しむだろうに。そろって鈍感なのか、あのカップルは。
「……のろけ話って、どんな?」
「七海さんが、最近すごく頑張ってるって。生徒会の活動もぜったいさぼらないし、体育の授業もちゃんと参加してるし」
「……体育」
あいつ、まだ参加してんのか。見学しろって言ってんのに。
生徒会の活動だって、もっと適当に休めばいいのに。朝も放課後も、休日まで欠かさず参加したら、ぜったいきついだろうに。
「それを褒めてんのか、樋渡」
「はい。頑張っててえらいって言ってました。うれしそうに」
こみ上げてきた苛立ちを吐き出すように、俺は大きくため息をつく。
やっぱり心配していたとおりだった。樋渡が褒めるから、七海も調子に乗るのだろう。
……七海は、頑張らなくていいのに。
ただ、無理をせず、できる範囲のことだけやっていけば、それだけでいいのに。どうせ、普通の人と同じように、なんて無理なのだから。七海には。
「デートの予定とかも話してくれますよ、樋渡くん」
思い出したように季帆が言ったのは、テーブルの上にお互いの注文した料理が並んだときだった。
鉄板の上で肉が焼ける音に、俺はちょっと自分の選択を悔やみながら
「デートの予定?」
「はい。七海さんと今度こういうところに行く、とか。聞けばぜんぶ教えてくれます」
「……信頼されてんだな、樋渡から」
季帆の取り入り方が上手いのか、樋渡の警戒心がなさすぎるのか。
たぶん後者のような気がする。
「はい。なんといっても私、樋渡くんのお友達ですから」
「次のデートはどこ行くって?」
スプーンを手に取りながら、何とはなしに尋ねてみると
「旅行に行くそうですよ。今度の連休」
「……旅行?」
返ってきた答えに、思わずスプーンを取り落としそうになった。
その日は家族がみんな出かけていて、家にいるのは俺ひとりだった。
台所を物色してみたけれど昼飯になりそうなものが見つからず、仕方なく部屋着にパーカだけ羽織って向かった近所のコンビニ。
「――あれ、土屋くんじゃないですか。偶然ですね!」
そこで、季帆に会った。
「……ぜったい偶然じゃないだろ」
こいつの言う「偶然」ほど白々しいものもない。
眉をひそめながら振り返ると、白いニットにグレーのショートパンツを穿いた季帆がいた。
久しぶりに髪が巻かれて、ふわふわしている。学校で会うときより化粧も念入りで、気合いが入っているように見えた。
「偶然です。私、お昼ご飯を買いに来たところなんです。もしかして土屋くんもですか?」
「……まあ」
「わあ、偶然! じゃあせっかくなので、いっしょにどこかでランチしましょう!」
「やだよ」
一も二もなく切り捨てて、俺は棚のほうを向き直ると
「俺、今コンビニ着だし」
「なんですかそれ」
「コンビニ用の格好ってこと」
そんな、外食を想定した服を着ていない。ほぼ部屋着だ。
「大丈夫ですよ。なにもおかしくないです。私は気にしません」
「いや俺が気にすんの」
「じゃあ、その格好でも気にならないようなお店にしましょう。牛丼とか、ラーメンとか」
「……え、そんなとこでいいの?」
女子の言うランチって、洒落たカフェへでも行かなければならないのかと思っていた。
「もちろんです。私は土屋くんとごいっしょできるならどこでも。だから土屋くんの食べたいもの食べましょう。ね、それならいいでしょう?」
なんてあれよあれよと言いくるめられ、気づけば、けっきょく季帆といっしょにコンビニを出ていた。
「あのコンビニ、よく来んの?」
短い相談のあと、近くのファミレスに行くことに決まり、季帆と並んで歩き出した。季帆が履いている踵の高いショートブーツのせいか、いつもより目線が近い。
「はい、ときどき」
「季帆の家って、このへんなの?」
――えー、なんでこんなところに。
数日前にあのコンビニで聞いた、女子ふたりの会話を思い出す。
季帆をここで見かけたという言葉に、もうひとりはそう返していた。驚いたように。
「はい、このへんです」
「……じゃあ、中学どこだった?」
重ねた質問に、季帆がふっとこちらを見た。
そうして少しのあいだ無言で俺の顔を見つめた季帆は
「――忘れました」
「は?」
「どこの中学行ってたかなんて、そんな昔のこと、忘れました」
淡々とそんなことを言って、季帆はまた前を向き直った。
俺はあっけにとられて、そんな季帆の横顔を見つめていた。
そんなわけないだろ、と突っ込みかけた言葉は、なぜだか喉で詰まった。前を向いた季帆の表情が、奇妙に静かだったから。
「……忘れた?」
「はい」
無表情に前を見つめたまま、季帆が頷く。
「だって」だけど軽く目を細めた表情に硬さはなく、むしろどこか穏やかに見えた。
「土屋くんに会う前のことだから」
「……え」
「だから忘れました。土屋くんに会う前のことなんて、もうどうでもいいんです。ぜんぶ」
言い聞かせるようなその声に、俺はそれ以上、なにも言えなかった。
お店に着き、俺は温玉ドリアを、季帆はデミグラスハンバーグを頼んだところで
「そういや、樋渡とはどうなってんの」
ふと思い出して訊いてみると、季帆はテーブルの上にある期間限定スイーツの写真を見ていた視線を上げ、俺を見た。そうしてなんだか誇らしげに目を細めてみせながら
「すこぶる順調です。今、順調にお友達の地位まで上り詰めたところです」
「友達」
「はい。最近、七海さんののろけ話とかもしてくれるようになりましたよ、樋渡くん」
どうやら、樋渡のほうもまったく季帆を警戒していないらしい。急にこんな接近の仕方されたら、ふつう怪しむだろうに。そろって鈍感なのか、あのカップルは。
「……のろけ話って、どんな?」
「七海さんが、最近すごく頑張ってるって。生徒会の活動もぜったいさぼらないし、体育の授業もちゃんと参加してるし」
「……体育」
あいつ、まだ参加してんのか。見学しろって言ってんのに。
生徒会の活動だって、もっと適当に休めばいいのに。朝も放課後も、休日まで欠かさず参加したら、ぜったいきついだろうに。
「それを褒めてんのか、樋渡」
「はい。頑張っててえらいって言ってました。うれしそうに」
こみ上げてきた苛立ちを吐き出すように、俺は大きくため息をつく。
やっぱり心配していたとおりだった。樋渡が褒めるから、七海も調子に乗るのだろう。
……七海は、頑張らなくていいのに。
ただ、無理をせず、できる範囲のことだけやっていけば、それだけでいいのに。どうせ、普通の人と同じように、なんて無理なのだから。七海には。
「デートの予定とかも話してくれますよ、樋渡くん」
思い出したように季帆が言ったのは、テーブルの上にお互いの注文した料理が並んだときだった。
鉄板の上で肉が焼ける音に、俺はちょっと自分の選択を悔やみながら
「デートの予定?」
「はい。七海さんと今度こういうところに行く、とか。聞けばぜんぶ教えてくれます」
「……信頼されてんだな、樋渡から」
季帆の取り入り方が上手いのか、樋渡の警戒心がなさすぎるのか。
たぶん後者のような気がする。
「はい。なんといっても私、樋渡くんのお友達ですから」
「次のデートはどこ行くって?」
スプーンを手に取りながら、何とはなしに尋ねてみると
「旅行に行くそうですよ。今度の連休」
「……旅行?」
返ってきた答えに、思わずスプーンを取り落としそうになった。