季帆の名前を口にするふたりの声に、好意的な色はなかった。かけらも。
 先日、下駄箱で聞いた女子たちの声に似ていた。
 嘲りと、嫌悪のにじむ声。

「そうそう、このコンビニにいたんだよ。すごい変わってたから一瞬わかんなかったー」
「えー、なんでこんなところに。あの子、このへんの高校行ってんだっけ?」
 並ぶ商品の隙間、少しだけ棚の向こうにいるふたりの姿が見える。
 顔まではわからないけれど、この近くにある商業高校の制服を着ているのは見えた。
「それがさ、北高の制服着てたんだよ。びっくりでしょ」
「は、北高?」
 聞き返す声に、笑いが混じる。今度こそ、あからさまにバカにする響きだった。
「うそ、あの子、北高なんて行ってんだ」
「ね、うけるよね。あんだけガリ勉だったくせに北高って」
「なんかかわいそ。あんな必死だったのにさ。てか、川奈受けるとか言ってなかったっけ?」
「あー、そういや言ってたね。川奈落ちたんだろうね」
「それで滑り止めの北高かー。にしても、もうちょいマシなとこなかったのかね」
「落ちるなんて考えてなかったんでしょ、どうせ」
 勝手な推測でそう結論づけたふたりは、そこで季帆の話題をやめた。
 その後は、「なに買おっかなー」なんてきゃっきゃしながら、女子高生らしくお菓子を選んでいた。

 俺はまだその場に立ち止まったまま、そんなふたりの声を聞いていた。
 北高というのは、うちの高校の略称だ。
 ふたりがバカにしていたのは、うちの偏差値が低いからだろう。少なくとも、彼女たちが言うところの“ガリ勉”な生徒が来るような高校ではない。
 対して、川奈高校といえば、このあたりではトップクラスの進学校だ。
 中学時代、学年でいちばん成績が良かったやつも、たしか川奈へ行った。相当な成績でなければ、受けようとも考えないような、そんなレベルの高校だ。実際、俺なんていちども考えなかった。

 四月に、季帆に声をかけたときのことを思い出す。
 あの日の季帆は、北高の制服は着ていなかったけれど、川奈の制服も着ていなかった。北高の近くにある、私立の女子校の制服を着ていた。
 あの女子校も、たしかうちと同じぐらいの偏差値だったはずだ。滑り止めにちょうどいいぐらいの。
 だとしたら、ふたりの言うとおり、季帆は川奈に落ちたのだろう。

 ――ガリ勉。
 ふたりは季帆のことを、そう呼んでいた。

「あー、あたしやっぱりワッフルにしよっと」
 お菓子の前でしばらく悩んでいたひとりが、あきらめたように声を上げた。
「またー?」ともうひとりがあきれたように返す。
「最近そればっかじゃん。よく飽きないね」
「ハマっちゃったんだもん。太るから今日は我慢しようと思ったけど、やっぱ無理だー、食べたーい」
 そこでふと、今俺の目の前にある棚に、彼女らの言っていたワッフルがあるのに気づいた。プレーンなやつと、チョコがかかっているやつ。それぞれ二つずつ残っている。
 お菓子の棚の前から移動を始めたふたりが、こちらへ近づいてくる。
 気づけば、俺はそこにある四つのワッフルをぜんぶつかんで、レジへ向かっていた。

「――うそっ、今日いっこもない!」
 少しして、後ろでそんな悲痛な声が上がるのを聞きながら。


「かんちゃん、なに買ったのー?」
「ワッフル」
「え、めずらしい!」
 コンビニを出たところで、七海が驚いたように俺の持つビニール袋を覗き込んできて
「あれ、かんちゃんて、甘いもの嫌いじゃなかったっけ?」
「嫌い」
「じゃあなんで」
「やる」
 四つのワッフルが入ったビニール袋を、そのまま七海へ差し出す。「えっいいの?!」と七海は顔を輝かせたけれど、中身を見ると少し戸惑ったように
「四つも?」
「食べきれなかったら、残りはおばさんにでもあげて」
「なんで四つもワッフル買ったの?」
「……なんとなく。買いたかったから」
 無性に。買いたくなった。それだけだった。