「中学二年生の早紀ちゃん。今度の依頼人は、超特別ヨ」
ミス・コケティッシュが連れてきた子は、勝気そうな目をしていた。ぼくの顔を、じっとにらむように見ている。
ショートカット。白のTシャツに、デニムのホットパンツ。小柄で細身だったが、身長はぼくより十センチは高かった。
時間はもう夜の九時だった。中二の子をこんな時間に連れてきたということは、きっと家庭に問題があるのだろう。
「探偵って、儲かるんだ」
彼女の第一声はそれだった。ぼくはいい服も着ていなければ、部屋に高級家具があるわけでもない。どうしてそう思ったのかと訊くと、
「だって、タワマンなんかに住んでんじゃん。高いんじゃないの、ここ」
高いといえば、高い。
「実はここ、プレゼントされたんだ。十年くらい前に、さる資産家の奥様からね」
「プレゼント? マジ?」
「不倫がばれるのを防いだお礼にね。安くはないけど、その人が失うはずだった金額を考えたら、バーゲン並みに安い」
「ボロい商売してやがんなー」
口の悪いお嬢様だ。
「エヘン。まあ、資産百億円の依頼人からなら、一億もらったっていいでしょ? 逆に貧乏だったら、一円ももらわないことだってあるしね」
「かっこつけてるつもり?」
だんだんと、反抗期の娘と話してる父親みたいな気分になってきた。このぐらいの齢の女の子は、どうも苦手だ。
「早紀ちゃんはサ」
ミス・コケティッシュが、女の子をソファに坐らせて言った。
「客じゃないんだ。道ですれちがって、驚いて呼び止めたんダヨ。さて問題です。わたしが驚いたのはナゼでしょう?」
「知らないよ」
ミス・コケティッシュにはいろんなものが視える。だから、探偵を必要としている人を見つけて、ここに連れてくることができる。
でもぼくには、なにも視えない。ぼくはただ、持ち込まれた依頼に対して、精いっぱい行動するだけだ。
もちろん、解決できるのは、この不思議なアメリカ人の力のおかげだけど。
「よく見なさい。なにも思い当たらナイか?」
そもそもミス・コケティッシュは、ぼくに運命の女性を見つけてくれるはずだった。依頼人の中から、それを選べという話だったのだ。
それがいつの間にか忘れられた。彼女は夢中になって依頼人を探すあまり、人妻とか、九十八歳のおばあちゃんまで連れてきた。そのおばあちゃんは、娘による婿の殺害計画を聞いて悩み苦しんでいたけれど、早い話認知症の幻聴だった。
今回もそうだ。中二の子では対象にならない。香織ちゃんを失った心の穴を埋める存在は、あれから十五年、ついに一人も現れなかった。
「じゃあヒント出すヨ。早紀ちゃんは十四歳。だからできたのは十五年前。十五年前、純亜にナニがあった?」
「十五年前?」
それはむろん、高校を卒業して、ミス・コケティッシュと運命的な出会いをし、探偵になった年だ。
なるほど。あのころにできた子どもがもう中二か。光陰矢のごとしだね。
「おばさん、嘘ついてるっしょ。こんなちんちくりんが、わたしのパパなわけないじゃん」
早紀ちゃんがソファにふんぞり返って、ぼくを虫でも見るように見て言った。
わたしのパパ?
どういうことだ。頭が激しく混乱する。
『元気な女の子が産まれたわ!』
と、言われたのは、ついさっきだ。それが一瞬で十四歳の少女に?
なるわけがない。これは別口だ。
とすると、ほかにぼくが女性と手をつないだのは、十五年前にたった一度――
「まだわからナイか? この子は嶋田早紀ちゃんダヨ。嶋田修一と香織の一人娘、ということになってるけど、本当は、香織と純亜の子サ」
スキットル。ぐいと呷る。むせた。
口からオレンジのつぶつぶが噴き出して、早紀ちゃんの顔にかかった。
「なにしてくれんだ、このチビ!」
嶋田早紀ちゃんにビンタされた。ジーンと痺れたほっぺをさすりながら、その怒った顔を見る。むき出した歯茎が、なんと、ぼくにそっくりじゃないか。
「純亜」
ミス・コケティッシュが、豊かにカールした髪――十五年間まったく変わらない髪型の――を、バサッと掻きあげて言った。
「問題は深刻よ。嶋田修一が、早紀ちゃんが自分の子であることを疑いだした。そしたら修一、悩みに悩んで、頭ヘンになったね。いつ惨劇が起こってもオカシクない」
「ホントに?」
早紀ちゃん、つまりぼくの血を引いた子が、不意に恐怖に襲われたような顔になり、ぶるっと身を震わせて言った。
「なにかにとり憑かれたみたいになっちゃって、夜中にケケケって笑ったり、ドアの隙間からわたしを見てニターッて笑ったり。かと思うと、突然キチガイみたいに怒って、わたしとママに向かって味の素を投げたりしたの」
「それだけじゃナイよ。修一はだんだんと、ネズミみたいになった」
「……え。わたし言ってないのに、どうしてそれを?」
「視えるのサ。地球人って、いや、人間って面白いネ。あんまり悩むと、動物みたいになるんダナ。狂気の成れの果てサ」
「このごろのパパ、巨大なネズミみたいに見えてきた。背中が丸くなって、爪がものすごく伸びて、前歯が出っ張ってきて、タクアンをカリカリカリって齧るの」
「猜疑心のせいダヨ。もはや人間じゃない。早紀ちゃんと香織、いつかネズミになった修一に喰い殺されるナ」
「怖い……」
「さあ純亜。あんたの出番よ。自分の娘と、かつて愛した香織を救うため、嶋田修一をなんとかしろヨ。それが探偵ダロ!」
修一。香織。
その名前の響きに、ぼくの心は、たちまち少年時代に戻った。
ミス・コケティッシュが連れてきた子は、勝気そうな目をしていた。ぼくの顔を、じっとにらむように見ている。
ショートカット。白のTシャツに、デニムのホットパンツ。小柄で細身だったが、身長はぼくより十センチは高かった。
時間はもう夜の九時だった。中二の子をこんな時間に連れてきたということは、きっと家庭に問題があるのだろう。
「探偵って、儲かるんだ」
彼女の第一声はそれだった。ぼくはいい服も着ていなければ、部屋に高級家具があるわけでもない。どうしてそう思ったのかと訊くと、
「だって、タワマンなんかに住んでんじゃん。高いんじゃないの、ここ」
高いといえば、高い。
「実はここ、プレゼントされたんだ。十年くらい前に、さる資産家の奥様からね」
「プレゼント? マジ?」
「不倫がばれるのを防いだお礼にね。安くはないけど、その人が失うはずだった金額を考えたら、バーゲン並みに安い」
「ボロい商売してやがんなー」
口の悪いお嬢様だ。
「エヘン。まあ、資産百億円の依頼人からなら、一億もらったっていいでしょ? 逆に貧乏だったら、一円ももらわないことだってあるしね」
「かっこつけてるつもり?」
だんだんと、反抗期の娘と話してる父親みたいな気分になってきた。このぐらいの齢の女の子は、どうも苦手だ。
「早紀ちゃんはサ」
ミス・コケティッシュが、女の子をソファに坐らせて言った。
「客じゃないんだ。道ですれちがって、驚いて呼び止めたんダヨ。さて問題です。わたしが驚いたのはナゼでしょう?」
「知らないよ」
ミス・コケティッシュにはいろんなものが視える。だから、探偵を必要としている人を見つけて、ここに連れてくることができる。
でもぼくには、なにも視えない。ぼくはただ、持ち込まれた依頼に対して、精いっぱい行動するだけだ。
もちろん、解決できるのは、この不思議なアメリカ人の力のおかげだけど。
「よく見なさい。なにも思い当たらナイか?」
そもそもミス・コケティッシュは、ぼくに運命の女性を見つけてくれるはずだった。依頼人の中から、それを選べという話だったのだ。
それがいつの間にか忘れられた。彼女は夢中になって依頼人を探すあまり、人妻とか、九十八歳のおばあちゃんまで連れてきた。そのおばあちゃんは、娘による婿の殺害計画を聞いて悩み苦しんでいたけれど、早い話認知症の幻聴だった。
今回もそうだ。中二の子では対象にならない。香織ちゃんを失った心の穴を埋める存在は、あれから十五年、ついに一人も現れなかった。
「じゃあヒント出すヨ。早紀ちゃんは十四歳。だからできたのは十五年前。十五年前、純亜にナニがあった?」
「十五年前?」
それはむろん、高校を卒業して、ミス・コケティッシュと運命的な出会いをし、探偵になった年だ。
なるほど。あのころにできた子どもがもう中二か。光陰矢のごとしだね。
「おばさん、嘘ついてるっしょ。こんなちんちくりんが、わたしのパパなわけないじゃん」
早紀ちゃんがソファにふんぞり返って、ぼくを虫でも見るように見て言った。
わたしのパパ?
どういうことだ。頭が激しく混乱する。
『元気な女の子が産まれたわ!』
と、言われたのは、ついさっきだ。それが一瞬で十四歳の少女に?
なるわけがない。これは別口だ。
とすると、ほかにぼくが女性と手をつないだのは、十五年前にたった一度――
「まだわからナイか? この子は嶋田早紀ちゃんダヨ。嶋田修一と香織の一人娘、ということになってるけど、本当は、香織と純亜の子サ」
スキットル。ぐいと呷る。むせた。
口からオレンジのつぶつぶが噴き出して、早紀ちゃんの顔にかかった。
「なにしてくれんだ、このチビ!」
嶋田早紀ちゃんにビンタされた。ジーンと痺れたほっぺをさすりながら、その怒った顔を見る。むき出した歯茎が、なんと、ぼくにそっくりじゃないか。
「純亜」
ミス・コケティッシュが、豊かにカールした髪――十五年間まったく変わらない髪型の――を、バサッと掻きあげて言った。
「問題は深刻よ。嶋田修一が、早紀ちゃんが自分の子であることを疑いだした。そしたら修一、悩みに悩んで、頭ヘンになったね。いつ惨劇が起こってもオカシクない」
「ホントに?」
早紀ちゃん、つまりぼくの血を引いた子が、不意に恐怖に襲われたような顔になり、ぶるっと身を震わせて言った。
「なにかにとり憑かれたみたいになっちゃって、夜中にケケケって笑ったり、ドアの隙間からわたしを見てニターッて笑ったり。かと思うと、突然キチガイみたいに怒って、わたしとママに向かって味の素を投げたりしたの」
「それだけじゃナイよ。修一はだんだんと、ネズミみたいになった」
「……え。わたし言ってないのに、どうしてそれを?」
「視えるのサ。地球人って、いや、人間って面白いネ。あんまり悩むと、動物みたいになるんダナ。狂気の成れの果てサ」
「このごろのパパ、巨大なネズミみたいに見えてきた。背中が丸くなって、爪がものすごく伸びて、前歯が出っ張ってきて、タクアンをカリカリカリって齧るの」
「猜疑心のせいダヨ。もはや人間じゃない。早紀ちゃんと香織、いつかネズミになった修一に喰い殺されるナ」
「怖い……」
「さあ純亜。あんたの出番よ。自分の娘と、かつて愛した香織を救うため、嶋田修一をなんとかしろヨ。それが探偵ダロ!」
修一。香織。
その名前の響きに、ぼくの心は、たちまち少年時代に戻った。