僕の声に荒田咲は驚き肩を揺らした。しかし振り返らない、そこで僕は彼女が泣いているのだと気づく。今日は卒業式、普段見られない女の泣き顔が見れる日なのかもしれない、と心の中で皮肉を言ってみる。それは時として僕の心を乱すから、あまり精神衛生にいいとは言えないな。


「荒田、咲。どうして泣いてるの」


分かってたことだけど、彼女は答えない。ただ黙って僕の声を背中で聞いている。どうしようか、迷ってから彼女の前の席に座った。両手で顔を覆っている、やっぱり泣いてるんじゃないか。


「卒業が寂しいから泣いてるの?そうじゃないとしたら、世の中は不条理だね。きみみたいな平等で純粋で、優しい人間が傷つけられるなんてね」

「違うの」


しゃくりあげながら彼女ははっきりと否定する。どの部分が違うのか考えてから、もっと答えやすい質問をするべきだったと反省する。


「私は優しくも、純粋でも平等でもないの」

「優しいの基準が諸説あるにしても、きみが純粋じゃないなら、だれが」

「この世のほとんどの人すべて」


僕の言葉がどう続くかわかっているように彼女は遮った。その瞬間、もしかしてこれは言われ慣れていることなんじゃ、と思う。寒い教室の中で、寒そうに肩を丸める彼女が、どうして傷ついたように泣いているのか分からなくて混乱する。

窓の外には梅の木と白木蓮の木が見える。これから咲きそうな木蓮のつぼみは白くて美しいけれど、散るときに汚れたような茶色になることを思うととても儚い、気がする。


「どういうこと?」

「妹尾が好きなの」


彼女のカーディガンのポケットからパンダのマスコットが出てきている。表情のないそいつに視線を落としながら僕はマジか、と呟いていた。これは彼女が僕にお土産と言ってくれたものとまったく同じものだ。これを人はお揃いと言うんだ、と浮ついた日のことを思い出す。まったく僕の記憶は、他人に持ち上げられて調子に乗ったことばかりで本当に恥ずかしい。



「きみが、妹尾を……」



近親相姦じゃないか、と、言う勇気は出てこない。



絶望に似た気持ちが襲ってくる。

僕は目の前で泣いている彼女、荒田咲と同じ大学に進学することが決まっている。それは希望だと思っていた、美しくて気高い彼女と僕の、新しい生活が待っているのだから。


世の中は予想外なことばかりだ。