眉上で揃えられた前髪が揺れる。さらさらと、柔らかいと固いの間、けれど決して普通と形容されるべきではない触り心地のよさそうな髪。真っ黒な髪とは対照的な白い肌には近くて大きい目が配置されていて、薄くてピンク色の唇は形が美しすぎる。通った鼻筋に横顔にすら粗がない。あんな完成された容姿、見たことがない。

美しいものに惹かれるのは当たり前である、なぜなら俺が美しいのだから。美しいもののみが、俺を対等に扱うからだ、少なくとも、俺をとりまく世界では。


「妹尾、妹尾」


目を閉じて頭の中で彼女のことを反芻していると、突然頭上からその声が降ってきた。顔を上げると好みでしかない顔が俺を見下ろしている。そしてここが教室であり、自分が机に突っ伏していたことに改めて気づく。


「あー、咲」

「外見て。梅が散ってる。向こうの方とか枝ごといってない?あれ」


咲が指さす方向を見ると、強風にあおられて白い花びらが何枚も散っている様子をリアルタイムで見ることができた。あぁ最近ようやく満開になったのに、と惜しんだのち、まあ花とはそんなものかと思い直して納得する。

アスファルトに落ちるそれを見て、掃除当番が大変だなぁと他人事のように感じる。そしてこの花が綺麗に咲いてから散りきるまでの間に、俺と咲を含めたクラスメートは全員、バラバラになる。


「自由登校になってから、学校に来る人減ったよね。でも妹尾が毎日来るのえらいなぁ。受験したんじゃないのに」

「家に居てもすることないじゃん。今からバイトしても意味ないし」


俺は春から隣の市の製鋼会社に勤めることが決まっていたため、もしかしたら人生で最後かもしれない’長い春休み’を今生きている。学校に来ているのはほぼ大学受験を控えた人たちばかりで、授業もすべて自習である。そんな中で俺は間違いなく場違いなことを自覚しながらただ黙って外を見たり本を読んだりしている。


「咲こそ。もう大学、決まってるんじゃん」


咲は推薦で、とっくに遥か遠くの国立大学の合格を決めていた。どのくらい遠くかと言うと、ここから移動で半日弱かかるという本州でない上に辺鄙な場所に立地する大学である。そこを目指したことは半年前から俺は知っていて、この半年は絶対に一度たりとも学校を休まないと決めていた。そして落ちろという呪いのような気持ちと、受かってどこか遠くへ行ってしまえという自棄のような気持ちの両方を抱え、どちらも決して咲の幸せを祈っているわけではないことに気づきながら、ただ思うことには抗えないでいた。


「瀬川と一緒なんだろ、あの知的めがね君」

「確かに瀬川くんはめがねだけど、素敵なめがねに分類されるわ」

「ダサい眼鏡と素敵なめがねがあるのかよ。優等生らしからぬ隠れた差別意識」

「めがね単体の話よ」


差別、のようなことを咲は嫌がる。差別的な容姿を持っているくせに、というよりも、群を抜いた容姿を持っているからこその余裕、というべきか。嫉妬深い人間にはいつもそんな風にささやかれる。そのくらい咲は誰にでも平等で、仏のようだ。今だって分類、という言葉が咲の口から出てくると違和感を覚えてつっかかりたくなるくらいだ。

咲と瀬川は一年間一緒に学級委員をやっていて、瀬川は咲のことが好きで、咲はきっとそれを知っている。俺がそれを知っていることも知っているだろう、だけど咲は瀬川と話しているうちに、一緒の大学を志望すると言った。俺の手が届かないような、はるか遠くの地にあるそれを。

自分の気持ちが時間をかけて細かく壊れていくのを感じる。なんとなく換気したい気持ちになって窓を少し開けるとざああ、という大きい音とともに冷たい風が吹き込んできて、教室の中で勉強をしている人たちのうちの数人のプリントを飛ばした。それはガサガサっという音を立てて、大学に受かることばかりを考えているクラスメイトたちは、心底迷惑だという顔をして俺をにらんだ。

俺は嫌われていたり疎ましがられていたりは決してしないという自信とともに、あぁごめん、と窓を閉めた。最近風がすこぶる強いなあ、と思いながら。


俺の愛は逃げ場のない絶望と共にある。


あっけなくやってきた卒業式の日には、今まで話したこともないような女子と写真を撮った。変な感じだ、と思う。卒業式なんてただの日常の一日だろうに、みんな好きなやつとは卒業したって会うだろうに。なんて、一番そんな風に思えない俺がそんなこと考えても、説得力はまるでないな。


俺の周りが少し落ち着いたところで、見て見て、と咲がやってきた。


「こんなに手紙もらっちゃったよ。すごくない?」


卒業式にラブレターとか寒すぎだろ、と思って見てみるとそれはどうやら女の子の文字で、なるほど卒業式には女同士が手紙を書くというイベントも発生するのか、と思った。

しばらく咲と話していると、クラスメイトである横平が俺のもとへやってきた。


「妹尾くん、写真撮りましょー」


いいよーと返事をしてその女子の横に立つと、咲よりも幾分か背が低いことに気が付いて、なぜ今日女子たちと写真を撮りまくっていることに強烈な違和感を感じたのかに気が付いた。俺には咲の背丈が居心地がいいからだ、というか咲が隣にいることが。

横平からはフルーツ系の香水の匂いを感じて、赤い香水瓶が思い浮かぶ。苦手な匂いだ、と思うとその女は俺からぱっと離れてありがとうー!と笑った。


「妹尾くんと荒田さんも一緒に撮る?」


俺がいや、と答えようとすると、咲が撮ってもらおうよ、と言った。えっと思い、どういうことかわかってんの?と聞くと咲は「最後だし」と笑った。

最後という言葉に撃ち抜かれる思いをしながら、俺は咲と並んだ。横平がスマートフォンのカメラをこちらに向けている中で俺は、咲と同じ表情だけしないように気を付けた。咲が笑っているのを横目に見たあと、俺は笑うことができない。


「はーい。あとで荒田さんに送っとくね。って……なんか2人ってさ」


そこまで横平が言ったところで、咲は目をそらしてどこかへ歩いて行った。不自然なくらい早足で、気分を害したような顔をしている。俺はそれを見ていささか気に食わない思いがする、ならどうして一緒に写真撮ろうとか言ったんだよ。しかし横平はえ、あ、と軽く咲を目で追ったあと、何を言おうとしたか忘れたようで携帯を胸ポケットに入れた。頭の軽そうな女だ、と安心する。


「あー胸ポケットガサガサすると思ったら飴だ。あげる妹尾くん」


いかにも要らないものを押し付けてくる横平には不愉快な思いをしたけれど、いらないと言う前に胸ポケットに入れられたので抵抗はしなかった。取り出して見てみると、梅サイダー飴と書いてあって、透明な袋の奥に気味の悪いほど真っ赤な飴が入っているのが見えた。馬鹿な飴は馬鹿な女に需要があるんだな、と心の中で笑うと、自分の心の健康状態がよく理解できる。

あまりつややかとは言えない茶色の髪を揺らしながら横平は俺に手を振った。でもあの笑顔は、少し可愛い。あぁ今日が最後の日か。俺は相変わらず強い風が吹く窓の外を見ながら、飴の袋を破って口に放り込んだ。馬鹿そうな味だ、馬鹿な横平にも、馬鹿な俺にもちょうどいい。


最後なんだから。俺は少し人がまばらになった廊下を歩いて咲を探した。しばらく歩くと、日当たりのよい、誰もいない美術室で窓の外を見ている咲に出会った。教室に入った瞬間少し暖かいのを感じて、窓際で日に当たっている咲が急に少し、白くて育ちのよい猫のように見えた。


「俺の舌、何色?」


咲は俺の突然の登場に驚くことなく笑って寄ってくる。俺が追いかけてくるのが、まるで分っていたようだ。


「うわっ、赤!なにそれ流血してるみたいだよ、何食べたのよ」

「何だと思う?まだこの辺に残ってるよ」


そう言って俺は自分の舌の中心を指さす。すると咲はえー?と笑いながら無邪気に顔を寄せてきた。その時に髪がさらっと揺れて、甘い香りがした。それを認識した瞬間、俺の中の理性とか理想とかがすべてつぶされて混じり合って、どろどろに溶けて滴るのを感じた。

放課後にもならない日の当たる教室で、俺は咲にキスをした。壊れればいいのに、と思いながら出せる精一杯の力で抱きしめて、頭を抱えて舌を差し込んだ。炭酸系の飴を食べるといつも上あごを切ってしまうことを、咲に強く口づけながら思い出す。


咲はんん、と声を上げながら抵抗する気があるのかないのか分からない力で俺を押してくる。馬鹿じゃないのか、このまま砕けて壊れて、いっそ俺の一部になってくれ。


甘すぎる。甘すぎて涙が出そうだ、と思ってから、さっきからこの飴が甘いということばかりに神経を集中させていることに気が付く。例えばもっと気にさわることはあっていいはずだ、赤すぎる、とか。


「2人でどこかに逃げようよ」

「無理だよ。そんな頭も経済力もないもん」

「2人で力を合わせたら大丈夫だよ。どっかすごく遠いところまで、知り合いなんて一人もいないところまで行けば、疑われることもない」

「似すぎてるからきっと疑われる」


今いる教室からは、窓の端のほうに行くと卒業生が次々と校門から出ていく様子が見える。そう思ってから、卒業式がおわってからしばらく経つことに気が付いた。もうみんなお互い写真を取り合って、悲しいね寂しいねと声を交わし合って、次の場所への移動を始めている。

どうしてそんなに淡泊でいられるんだよ、と思った。


似すぎているって、性格のことでは、ないだろう。一瞬他人事のように考えてから、すとんと腹の底に落ちてきて、実感がじわりと広がる。俺と咲は苗字も違うのに、なんでそこは変えられないんだろう、と思う。過ごした時間など、他のクラスメイトと何ら変わりはない。血が、咲を求めたわけじゃ、決してない。だって俺がものすごく小さい時、物心ついたときには、もう一緒になど暮らしていなかったのだから。

咲は美しい。だけどそれが何よりも、俺と一緒に居られない理由となっているし、これからもどんどんなっていく。


俺の愛は、逃げ場のない絶望なんだ。


「じゃあ、行けよ」


それ以上言うと涙が言葉に混ざってしまいそうだった。俯きながら咲は今どんな顔をしているだろう、と思った。少しすると咲は歩きだして、汚れの少ないスリッパと白い足が俺の横を通り過ぎていく。ああ行かないでくれ、それか今すぐ消滅してくれ。俺の気持ちも一緒に持って行ってくれ。こらえきれなくなって涙が床に落ちたのと同時だった。

咲が背後から俺を、一度だけ抱きしめた。

白い腕が強すぎない力で俺を抱きしめて、俺の首に近い背中に咲は頭を寄せて、花の香りがした。その衝撃で心だけじゃない俺自身が粉々になる思いがする。やめて、という言葉に音が乗らずに、かすれた声と涙だけあふれた。

二度とその顔を見せてくれるな、もし俺が振り返ったときこの場にいたら、もし泣いてなどいたら、この場で犯して殺してやる。だからお願いだから、もう俺を楽にして。

壊れそうな衝動が俺の中で暴れている、風の音が聞こえて、まるで俺のようだと思う。


きっとそんなことを考えていたのは数秒間で、咲は腕を離して教室から出ていった。
ああさようなら、愛しているよ。だけどさようなら。


暖かかったはずの教室は、ふと気が付くと冷えていて、暦の上で春になったばかりの空気は冷たくて当たり前だということに気が付いた。外を見ると雲で太陽が隠れたのか少しだけ暗くなっていて、かなり少なくなった生徒が寒そうに身を寄せあいながら歩いている。だから俺も上着を着て、マフラーをして帰ろう。外はまだ、ひどく冷たいだろう。だけど耐えていればいずれ春の花が咲き、暖かくなって、過ごしやすくなっていくはずだ。

それまでは少し暖かい格好で丸まって、よく休もう。





fin






この季節は長い間、白い印象しかない。日本海に面しているこの地域では春が近づこうが雪は積もっているし、咲く花は白いし、わたしの溜息さえ真っ白だ。白いのはいいことだと思う、とてもシンプルだから。

今朝家で見たニュース番組では、関東地方の記録的な大雪、という見出しで、電車のダイヤが大混乱していることを駅の人々の群れを映しながらアナウンサーが伝えていた。

長い間雪慣れしたこの地域では、公共交通機関はどんな時も冷静に機能するけどなあ、なんて思いながらパンを齧った。そしてバスの中では、白い景色に飽きたように携帯の画面を眺める学生と社会人がいる。

バスを降りると風が吹いたので、寒いうえに強風とはたちが悪い、と顔をマフラーにうずめた。自分の髪の毛が揺れて、頭の悪そうな茶色が居心地悪そうに私の鼻をかすめた。

わたしは白色が好きだ。こないだ美容院で、遊び半分で白髪にしたいと言ったところ、それは案外面倒なのだと説明をされて軽くうなだれるくらいには。

足元が機械的に雪をつぶしていく。ざっざっとたつ音が耳に気持ちよく入り込んでくる。


「鼻の頭、赤くなってる」


はっと気づくと声の主はわたしの右隣に立っていて、人に言えるのかソレ、と思わせてくる赤い鼻をわたしに向けている。


「あー、えーっ、三越くん?」

「三枝だし!字数しか合ってない。あ、けど漢字は同じになるのか?うーん、さえぐさって漢字からは読み取れないかもしれないけどサエグサだよ。同じクラスなのに傷つく」