きみを守る歌【完結】

何も考えずにはい、と返事をして踵を返す。もう少しおじさんの声が遅かったら、生産性のないことを喋り出してしまうところだった。


トレーを持ってテーブルの上のグラスと皿を片付けて、ダスターで拭きながら俺は目の前が霞むような感覚に陥った。


今日付けで辞めてしまおうか、きっとその方がいい。10時までしか働けなくても、もっとまともな勤務先はいくつでもあるはずだ。せっかく数日入ってお酒の作り方を少しだけど覚えて、常連さんにも良くしてもらっていたけれど。


飛鳥に会いたい、と思うとそれは少しだけ希望のような気がした。


ここのところの飛鳥は、数学の先生に心酔しているけれど。飛鳥のあれは流行り病みたいなもんだから、どうせ続かないことは知っている。ただ色んな男を好きだ好きだと言ううちに、危ない目に遭わないようにだけ気を付けないといけない。

飛鳥が変な男に利用されたり危ない目に遭ったりすることだけは、何としても阻止しなければならない。


少しだけ飛鳥のことを思い出して、指先の緊張が取れた。そう思ったときだった。


何やら背後に影が差して、何だろう、と思って振り返る瞬間に俺は身動きが取れなくなる。えっ、と思う間にがばっと音を立てて、かなりごつい手にしっかりと全身を捕らえられていた。

状況を一瞬で察したのち、全身に鳥肌が立つのを感じる。なんで俺は男に抱きしめられているんだ!そのまま俺に抱き着いている、客としてカウンターに座っていたはずの男が俺の首筋に顔をうずめたのでいよいよ命の危険を感じる。


「ああああ殺される殺される!おじさん!!」

「あっ!!ちょっ、ノブコ!!それ、うちの新人だから!食うな!」


誰だよノブコって!そういうお客様がいるなら事前に教えておくべきだろ!やっぱりここブラックだ!

おじさんがべりっと音が立ちそうな勢いでノブコを俺から引き剥がした。俺は足の指先まで震えるのを感じながら身を守るためにトレーを身体の前に構える。

やはりどこからどう見ても大の男の人にしか見えないノブコが俺を見て酔っ払った顔でウインクをした。



「まあ、ノブコはその、Gだ」

「人をゴキブリみたいに言わないでよっ!Gっていうよりも、Bよ!」

「Bだったんだ!?」