きみを守る歌【完結】

へえ、という声が俺の耳に入ってくる。その声の印象は聞いたことがあるような、まったく知らないような、不気味な感じだった。そして俺を見た。



「ずいぶん若いの入れたんだ。こっちんのあの影のある感じ好きだったのに」



おじさんが驚いたような顔をした。薄暗い室内でも俺の目にはハッキリとそれが映った。きっと同じように映ったのであろう、母がくっと笑って煙草のフィルターを叩いた。



「分かってるわよ。お兄さん、趣味悪いことすんだね」



こんなしゃべり方をするなんて知らなかった。俺はグラスを洗いながら曖昧に笑う。水で流しながらふと、この水を止めたら、どんな顔をした俺が映るのだろうと考えた。

おじさんはさほど配慮したわけでもないというようにへらっと笑って制した。



「趣味悪いなんて言うなよ」

「ふ。陽一、ホワイトレディ」



はい、と返事をしてから俺はメモを開く。こんな人だったっけか、と思ってから思考を消す。俺が知らなかっただけで、本当ははじめからこうなのだろう。


お待たせしました、とグラスを置くと、さっきと同じ強い目でからかうように覗き込まれた。この人は21歳で俺を生んだはずだから、今は38歳のはずだ。塗っているのだろうけれど肌に粗が無くて、見た目にすごく気を使わなければいけない仕事をしているのだろうと思った。

そのまま陽一、と声をかけられたので俺は引っ込むに引っ込めない。



「今、彼女何人いんの?」


「一人もいない」


「えっへ、マジで」



母親にどういうノリで返事をしたらいいか分からない子どもは、全国にどのくらいいるんだろう。一度他人になって、こういうかたちで再開する人も、俺だけではないんだろうな。


変えようのないことで自分の気分がおかしくなったり、個人的なことでつい不愉快になった時はいつも、大都会の人ごみを思い浮かべている。

駅のホームですれ違うあの大量の人間ひとりひとりに俺と等しく人生があって、それなりに経験を積んで、幸せな人もそうでない人もいる。

その中のたった一人にすぎない自分は、きっと普通なのだ。俺よりも悲しい人や腹立たしい人は何千人といるはずだ。



「嘘でしょう。え、本当なの?美貌の無駄遣いだね」



失礼な人だ、と憤慨するには、確かに心当たりがあった。