後始末をするというキサさんと別れる。完全に朝日は昇り足元に注意する必要はなかった。

 フェンスを潜って舗装された道に出る。

 澄み渡る青空の下、一人で歩く町はいつもと変わらず閑散として外部からの刺激を避けている。

 あれだけの轟音で風車が倒れたというのに誰も興味を示さない。

 数人は騒ぎを嗅ぎ付けて駆けつけて来ると予想していたのに拍子抜けだった。これではこの町に爆弾が仕掛けられても誰も気づかないだろう。

 急に夢から醒めてしまったように、高鳴っていた鼓動が抑えられる。振り返って丘の上の風車だったものを見る。

 やっぱり夢ではない。あの衝撃は本当にあったんだ。

 僕はゴーストタウンの様な町を一人で帰路に就く。


 家に着くと母や裕司さんは眠っているようだった。不用心な事に鍵が掛けられていなかったが、そのおかげでこうして家の中に入れている。

 起こさないように足音を殺して風呂場に向かいシャワーを浴びる。

 排水溝を流れるお湯をぼんやり見ながら先ほどまでの出来事を反芻する。右手に残ったキサさんの柔らかい手の感触。マフラーから漂う甘く清らかな匂い。

 マフラーを返すことを忘れてしまった事に気づくが、また会う口実が出来たようで嬉しく感じる。そんな事をしなくても僕らは共犯なのだからいつでも会えるはずなのに。

 風呂場を出ると起きてきた裕司さんと鉢合わせてしまう。

「おはようございます」
「おはよう。どこかに行っていたかのかい?」
「はい。ちょっと散歩に出てました」
「そうか」

 ふっと微笑んだ裕司さんは僕が手にしているマフラーに気づいていたが何も言わずに洗面所に向かう。爆発音や風車の事を聞かれると思って身構えていたが、その事についても聞いてこなかった。

 裕司さんは初めからそういうところがあった。

 無闇に僕に関わろうとはしてこない。それは僕も同じなので非難するわけではない。それが僕らにとって一番楽で安心できる距離感だった。

 きっと、この人が父親になったとしてもこの関係が変わることはない。

 起きてきたのが裕司さんで良かった。母だったら面倒な事になっていたかもしれない。最悪マフラーを取られて燃やされてしまう。

 そんなことをされたら僕は母に手を挙げてしまうかもしれない。

 最悪の想像をして部屋に戻った僕はマフラーを誰にも見られないようにクローゼットの奥にしまう。

 ベッドに横たわると急に眠気に襲われる。昨夜は色々とあってほとんど寝ていない。

 時計を見るともう少し時間があったのでこのまま抗うことなく目を閉じた。

 目が覚めたら何もかも夢だったら笑えるな。いや、笑えないよ。


 母と裕司さんの朝食を用意してから家を出る。

 丘の風車だったものはしっかりと存在していた。

 夢ではないらしい。

 夢で思い出したが、昨日殴られた傷ははっきりと残っていた。唇の端が腫れてしまっている。物を食べる時も沁みて苦労した。

「おはよう。朱鳥」

 後ろから控えめに声を掛けられる。

「おはよう。唯織」
「どうしたの! それ」

 唯織は珍しく取り乱して押していた自転車が倒れるのも厭わずに僕に駆け寄る。

 どうやら他人から見てもこの傷は酷いらしい。確かに昨日の母は手加減なしで殴ってきた。傷が治るまで仮病で休めば良かったかもしれない。

「もしかして」
「違うよ。転んだら手をつくのが間に合わなくて顔からいった」
「そう……なんだ」

 唯織と大河は母と僕の関係は知っている。これでは苦しかっただろうか。だが、本当のところを言ったところで何もできないので仕方ない。

「それよりも昨日はごめん。言い過ぎた」
「いいよ。いいよ。私も悪いんだし。そんな事よりそっちが大事」

 結構、悩んだのにそんな事で片付けられてしまうが、深刻に引きずられても困るのでこれでよかったのだろう。

「大河の家に行くよ。あそこなら薬あるし」
「別に薬なんて」
「良くない。油断して傷口から悪い菌に感染しちゃうかもしれなんだよ」

 大げさだなと思うが、有無を言わせない態度に従うしかなかった。