丘の上までたどり着くとそこは広大な公園のようになっており、そこに点々と風車が建てられていた。本来ならばここはキャンプ場として賑わいを見せて多くの人を呼んだことだろう。

 なにも理解できないまま僕は風車の前に連れてこられてしまう。

 僕の絵を現実にする? そのままの意味で捉えるならあれ以外にない。しかし僕たちだけでそれが出来るとは思えない。

 昇り始めた朝日を浴びた風車は高い壁のようにこちらを威嚇し、吹き付ける風をものともせずに羽を回すことはしない。外見はボロボロ、窓ガラスは外され黒い塗装も剥げている。それなのに言いようのない畏怖の念を抱いてしまう。

 やれるものならやってみろ。そう言われているようで身体がすくんでしまう。

 足を止める僕とは対照的に、彼女は好奇心の塊のような足取りで風車の中に入って窓から顔を出す。

「君は危ないからこれを被って離れてて」

 窓から工事用のヘルメットと防護ゴーグルを投げ渡してくる。危うく取りこぼしそうになりながらもそれを受け取った。

 受け取ったそれをじっと見ながら本当にやる気なのかと考える。それを聞く前に彼女は頭を引っ込めてしまっていた。

 言われた通り風車の全体が見える位置まで離れる。

 父と建設途中の風車を見上げていた記憶が蘇る。



「これが完成したらこの町はきっと甦る」

 頭に乗せられた大きな掌。希望に頬を和らげる父の顔。

「昔は芸術の街。なんて呼ばれてたからな」

 夏草の匂い。セミの声。

「お父さんは芸術のセンスがないから、朱鳥、頼んだぞ」



 忌々しい記憶に飲まれそうになる自分を何とか奮い立たせる。こんなところに一秒だっていたくないけれど、ここで逃げれば今度は逃げた記憶に苦しめられる。

 ぎゅっと目を閉じて、襲い掛かる幸せだったころの記憶に耐えた。

「準備完了だよ。目を開けて」

 目を開けると、スマートフォンのようなものを掲げた彼女が口角を上げて立っていた。悪役がするような歪んだ笑顔が今は頼もしく思える。

「本当は危ないからもっと離れるけど。計算してるし大丈夫でしょ」

 訳の分からいことを言って彼女は僕の隣に並ぶ。

「絶対に目を閉じちゃ駄目だからね。それとこれ付けて」
「耳栓?」
「これ付けてないと鼓膜やっちゃう場合があるから」

 渡されたのは耳栓。言っている意味も耳栓の意味も分からいけれど、彼女自身もしっかりと耳栓をしているので、従っておいた方が良さそうだ。耳栓を装着すると外の音は遠くなり緊張感が増す。

 僕は言われた通り風車から目を離さないように努める。

「それでは」

 こちらの準備が出来たのを見計らって彼女は右手を高々と掲げ、

「吹き飛べっ!」

 掛け声とともに手に持っている機器を操作する。

 それは一瞬の出来事だった。

 映画のワンシーンのように仕掛けられていた爆弾が爆発して風車を破壊していく。

 爆破の轟音と共に風車は頭を垂れ、怒号の様な地響きを鳴らして外壁を剥がし、骨格を露にしていく。巨大な怪物の末路を目の前で見ているような気持だった。

 遅れて爆風と土煙が地面を這って迫って来る。それでも僕は崩れ行く風車から目を離さない。何かの部品同士が擦れているのか、悲鳴のような音を立てながらも、崩壊は止まらず、ついに風車は四枚の羽根を曲げて手を突く様に落ちる頭を支えながら止まった。

 彼女が僕の肩を叩いて耳栓を外す動作をする。

 耳栓を外すと散ったわずかな残骸が大粒の雨が降っているようにぱらぱらと葉音を鳴らしている。

 土煙が完全に収まるまで僕は破壊された風車を眺めていた。

 外壁を剥がされて骨組みが露になった風車は、まるで枯れた巨大な一凛の花のように萎れて頭を垂れている。

 僕が描いている絵なんかよりもはるかにそれは美しかった。

 朝日の白い光を浴びるそれは無機質の塊のはずなのに、生命の終わりを感じさせる。

 これは破壊ではなく芸術だ。僕はこの作風を知っている。

「あ、ちょっと。近づくと危ないよ」

 彼女の注意も耳に入らず僕はそれに駆け寄る。

 破壊されず綺麗に残された外壁部分に探しているものを見つける。

 鳥を模した『M』のマークが彫刻刀などで彫ったように刻まれている。
 ミグラトーレ。僕が憧れる芸術家。何度も雑誌で見ていた。僕はそれを真似して絵を描いていた。

 現実を見せられて僕のやっていることは足元にも及ばないのだと痛感させられる。
 一方でその芸術に魅せられた僕は高揚感のようなものが沸き上がってくる。

「あなたがミグラトーレですか?」
「私のこと知ってるんだ。光栄だね」

 大した事の無いような口ぶりで話す彼女は満足気に出来上がった作品を見上げる。

「これはばれるとまずいから消しておくか」

 彼女は鳥を模した『M』のマークが彫られている壁を剥がしてしまう。

「なんで?」
「私がここに居るのがばれと不都合だからさ。騒ぎになったら本当の目的が達成できなくなる」
「本当の目的ってなんですか?」
「それは世界をひっくり返すことさ」

 その言葉が何を意味しているのか僕には全く理解できない。芸術家の思考を理解しようというのがそもそも間違いなのかもしれない。

「この町が何て呼ばれていたか知ってる?」

 彼女の問いかけに先ほどの父の言葉が呼び起されある。

「芸術の街」
「うん。でもこの町は芸術なんて忘れてつまらない考えに凝り固まっている。癌の様なそれは取り除いてしまわないといけない。だから一度、壊してしまうのさ」
「この町を壊す?」

 それはまるで僕が描いた絵の様じゃないか。

「そうだよ。そのヒントをくれたのは君だ。鳥海朱鳥くん」

 出来上がったばかりの作品を背に彼女は両手を広げて宣言する。

「私と一緒に世界をひっくり返そう」

 この町を爆弾で破壊する。それも芸術的に。

 僕が描いた絵たちが脳内でフィードバックする。
 
 そんなこと出来るはずがない。普通の人ならそう思うだろう。
 だが、それが出来上がる瞬間をこの目で見てしまった。この人ならば出来るかもしれない。僅かにその可能性があれば今の僕には十分だった。
 このままこの人の言葉を否定しても何も変わらない。否定して立ち去れば、否定した自分を否定する日々が待っている。だったらもう乗るしかないじゃないか。

「わかりました」
「君ならそう言うと思ったよ。契約成立だね」

 彼女は手を差し出し握手を求める。憧れの芸術家との握手に年甲斐もなく僕の心は小躍りするほどにはしゃいでいた。

「ミグラトーレとの握手」
「その呼び方やめようか。くすぐったい」
「じゃあなんて呼べば」
「キサで良いよ」
「わかりました。キサさん」
「さん、も要らないんだけど。まあいいや」

 たった二人で始まった町の破壊計画。始めてしまったら最後までやり切るしかない。

 例えそれが誰かから恨まれることになろうとも。