外に出るとリアカーに寄りかかったキサさんは遠いどこかを見つめるような表情で空を見上げていた。

「何を見てるんですか?」
 
 つられて僕も見てみたが特別綺麗な空というわけではなく、店の明かりもあって星はあまり見えない。

「雲を見てる」
「雲?」

 どこを見ても雲はなく、黒い海の様な空だけだ。

「今日は星が見えないでしょ。そういう時は雲に覆われている事が殆どなんだよ」

 僕が想像していた雲とは別の雲をキサさんは見ていた。

「地上の光が届かないずっと高くに雲はある」

 遠くを見つめるキサさんが足元しか見ていない僕には、はるか遠くの人に感じる。

 じっと何もない虚空を見つめて雲を想像しようとするが、どうしても白く綿の様な雲が浮かび出てしまう。僕はまだこの人には近づけそうにない。

「行こうか。見ないものを見ようとすると肝心なものを見落とすよ」

 難しい顔をする僕を励ますように明るく言うキサさんには見ない雲が見ている。

 それが今の僕たちの差なのだと思い知らされる。

「ところでこのリアカーは?」
「道具だよ。これからどんどん仕掛けていくから」

 リアカーにはプラスチックのボックスが大量に積まれている。ボックスの中には何に使うのか不明は機器や、様々な色の小さな球が詰め込まれた容器があった。

「これって何ですか?」
「爆弾んだよ」

 触れようとした手が止まり、一歩下がる。

「大丈夫、簡単に爆発するもんじゃないから」

 物怖じする僕とは対照的にキサさんは笑顔でリアカーを引く。
 ただ後ろをついて歩くだけで、何かが変わるわけがない。

「僕が引きます」
「いいの? 結構重いよ?」
「大丈夫です。まだ若いですから」
「私をおばさん呼ばわりすると後で痛い目見るよ」

 別にキサさんをおばさん呼ばわりしたつもりはなかったが、僕は直ぐに痛い目を見ることになった。
 このリアカー尋常じゃない重さがある。坂の多いこの町の道には相性が最悪だった。ついでに筋肉痛ということもあってすぐにペースが落ちる。

「若造。ペースが落ちてるぞ」
「ならキサさんは自分の足で歩いてください」
「私はおばさんだから疲れちゃった」
「いつまで根に持っているんですか」

 リアカー自身も苦しいのか車輪部分がキュルキュルと変な音を立てている。こんなものを軽々と持って来たキサさんは、さすが爆破の専門家と言ったところだろうか。

「はいストーップ」

 止められてたのは点々と住宅が建つ場所。

「まだまだ、いけますよ」
「全然いけそうにない声だよ。まあ安心してよ。交代しようってわけじゃないから。とりあえず朱鳥くんはここで休憩。ここからは私の出番だから」

 どうやら作業が始まるらしい。

 キサさんはコートを脱ぐと下に着ているハイネックニットの腕をまくる。身体にフィットしたニットでボディラインが強調され、必然的に胸も強調される。あれが先ほどの僕の背中に当たっていたのかと想像してしまい目のやり場に困ってしまう。

「意外とスケベ―だね」

 キサさんはニヤッとした笑みを浮かべる。僕が何を想像していたのか気づかれてしまう。

「違いますから。キサさんのスタイルが良すぎるだけですから。誰だって見とれますから。キサさんはスタイルいいですし、自分が思っている以上に綺麗ですから、ちゃんと自覚をもって行動をした方がいいと思いますよ」
「……うん。そうだね。気を付ける」

 キサさんは機器の入ったボックスを持ってそそくさと住宅の方へ向かってしまう。
 
 とりあえず誤魔化せただろうか。

 ここからは本当に僕の出番はないので、邪魔が入らないように周りを警戒する。
 
 夜といってもまだ深くはない。車はほとんど通らないが、まだ電気のついている家が多数ある。夜にリアカーを引いている男女なんて誰が見ても不審に思うだろう。見られないようにしないと。

「おまたせ」

 大して時間をかけずにキサさんは戻ってくる。

「あれってどうなってるんですか?」

 住宅の庭には筒状の何かが隠すように設置されていた。確認できるのは一つだが、仕掛けた場所はいくつもある。

「それは企業秘密」

 キサさんは細く長い人差し指を口に当てて微笑む。そうした仕草は僕の心をかき乱すけれど、どういうわけか悪い感じはしない。

 それ以降もキサさんの指示で何件か回った。その間、僕たちは他愛のない話をした。

 学校では生徒数が減少して二クラスしかない事。町の人たちはショッピングモール建設に反対している事。こんな町でもインターネットが通っている事。色々な話をしたが、どれもキサさんの質問に僕が応えるというものだった。

 時間はあっという間に過ぎて良く。肉体労働も全く苦ではなかった。
リアカーに積んでいた爆弾を全て仕掛け終えてアトリエに舵を切る。今日だけでは全てを破壊するには到底足りない。もっと多くの爆弾が必要になる。

「全てセットするにはかなり時間がかかりそうですね」
「そうだね。それまでに騒ぎになると少し面倒だな」
「その辺は心配ないですよ」

 この町の人間は仲間意識は人一倍強いくせに他人にあまり興味がない。父の件もあって騒ぎ立てるのを嫌う傾向にあった。今朝の風車の一件もそうだ。普通なら警察を呼ぶなりしてちゃんと捜査してもらうはずだ。

「みんな自分を出すことに憶病になっているのさ」

 僕の言葉の意図を汲んだキサさんは、道の脇に朽ちてた大きな彫刻のようなものを眺めながらつぶやく。
 彫刻はよく見るとうっすら『ようこそ 芸術の街へ』と書かれていた。

「それはここに置いといて」

 アトリエへ続く道の手前、以前は駐車場として使われていたに空き地にリアカーを置く。

 空になっている今なら上のアトリエまで引けるだろうが、荷物を積んだ状態でこの急な坂を下るのは危険だ。少し面倒だが一つ一つ積み荷を運ぶしかない。落として暴発なんていう大惨事になりかねない。

 今日、僕がした事と言えばリアカーを引いただけ。直接的な事は何も出来ていない。こんなことで変われるのだろうか。

「僕にも何かやれることありませんか? 荷物を積む作業とか」
「あれを積むのは昼間だよ。その間、君は学校でしょ。学生なんだからしっかり勉強しないと駄目だよ。君はちゃんと私の役に立っているから何も心配いらない」

 あっさりと僕の焦りを見抜かれて諭されてしまう。

「君が原案をだして私が実行する。そういう契約でしょ」
「そうでしたね。でもなんで」

 僕なのか? その質問をかき消して、改造された三台の原付バイクがけたたましい音を立てて僕らを囲む。それぞれの原付に二人乗りの計六人。
 それぞれ三方向から原付のライトがこちらを照らし視界を白く包む。

「もしかしてお友達?」

 耳元で囁かれる。

 それは冗談でもきつい、と視線だけで答える。口に出したらただでは済まされそうにない。

「俺たちはごく普通の高校生でして、あんたに話があって来たんだよ」

 僕たちの高校に通う一つ上の先輩たち。

 代表格の先輩は金色の髪に耳には無数のピアスをして、腰パンスタイルで履いたズボンは裾がぼろぼろになっている。剃り過ぎた眉毛はもはやないと言って良い程に薄く、何をしでかすかわからない雰囲気を醸していた。その隣にはいつもと同じ不機嫌な顔でこの状況を見つめる館山がいる。

「どう見ても普通じゃないでしょ。君たち。一昔前の不良だよね」
「あぁ?」

 キサさんの軽口に空気が凍り付く。足が竦んで逃げ出したい気持ちを抑え込み対峙する。
 いざとなったらキサさんを守らないといけない。対峙してるこの人は気に入らなければ女でも容赦しない人間だ。

「それで話って何かな?」
「今朝の風車の爆発。と言えばわかるか?」
「さあ? なんの事?」
「へえ。とぼけるんだ。俺たちあんたがあそこから出て来るの見ちゃってるんだけど。それでも言い逃れする気?」

 血の気が引いて身体が震える。僕が隠そうとしていたことは既にばれていた。館山と目が合って思わず逸らす。

「なんだ。それなら最初から言ってよ。誤魔化そうとして損した」
「舐めたこと言ってんじゃねーぞ!」

 周りのピリピリした空気と混ざることなくキサさんは独特の空気を醸す。それが癪に障るようで後ろにいた男が棒のような物を地面に叩きつけた。金属音が辺りに響きそれが金属バットだと知らせる。

 脅しのつもりなのだろう。だけど、キサさんは全く動じた素振りを見せない。

「俺たちの場所。吹っ飛ばした罪。償ってもらおうか」

 不気味な笑みを浮かべて近づいてくる相手に、キサさんは一切動じず不敵な笑みで返す。見ているこっちがハラハラする。全員に掛かられたら助けられる自信がない。

「償うってどうやって?」
「それは……そうだな」

 先輩が目配せをすると囲んでいた他の先輩たちがじりじりと距離を縮めて来る。

「こいつ結構いい顔してんじゃん」
「身体の方もよさそうだぜ」

 下種な笑みを浮かべて嘗め回すようにキサさんを見る。足の底から虫が這いあがってくるような気持ち悪さを覚える。

 そこへ偶然にも車のヘッドライトが近づいてきた。
男六人が男女を囲んでいるこの状況は誰が見たって異常だ。近づいてきた車はそれに気づいて速度を落とすが、運転手は僕と目が合うとスピードを速めて走り去ってしまった。

 何度となく経験した落胆。さらに期待してしまった自分への失望。
僕はこの期に及んでもこの町の人を頼ろうとしてしまった。
深い穴に沈み込むように自分の事などうでもよくなる。

「逃げてください」
「逃げる必要はないよ。それに私が逃げたら君はどうするのさ」
「大丈夫ですよ。痛いのは慣れてますから」

 心が冷たくなって言葉が軽くなる。

「ねえ。こいつ何? 邪魔なんだけど」
「邪魔なのは先輩たちですよ」

 とりあえず、代表格の先輩を挑発すれば他の先輩も僕を標的にする。その間にキサさんには逃げてもらえばいい。僕はもうどうなっても構わないのだから。

「鳥海、お前は下がってろ」

 館山が苛立った声で怒鳴る。それでも今の僕には何も響かない。

「駄目。館山くん。こいつはもうやるって決めたから」
「話が違うんじゃないですか。やるのはあの女だけだって」
「挑発する方が悪いっしょ。それにこいつ犯罪者の息子じゃん。ぼこっても何も文句ねーだろ」

 先輩はポケットからメリケンサックを取り出して指にはめる。

 そうだ。僕は犯罪者の息子だ。それでいい。そうやって言ってくれた方が気分は楽になる。

「女が逃げねーように見張ってろ。俺はこつやるから」

 恐怖を与えるようにゆっくりと間合いを縮めてくる。後方で砂利と金属バッドが擦れる音が苛立ちを募らせる。こんなことに巻き込んでしまったのは僕だ。僕と関わらなければキサさんはこんな目に合わずに済んだ。僕はまた浅はかな行動で人を傷つけてしまう。

 肺に上手く空気が入らないのかだんだんと息苦しくなる。

 もうどうでもいい。この町も、自分も、何もかも。

「みんな吹き飛んでしまえ」

 誰が呟いたのか。それとも自分が呟いたのか。

 その言葉を合図に、先輩の後ろに止まっていた原付バイクが轟音を響かせて打ち上げ花火のように舞い上がる。やがて重力に負けたそれは大きな炎の鉄塊となって落下した。地面に叩きつけられた鉄塊は雷が落ちたような音を立てて破片を撒き散らす。

 飛び散る破片を気にすることなく、その場の全員が燃え上がる炎を注視していた。

 何が起こったのか。全員がその問いを頭に浮かべる。その答えを知っている人間は一人だけいた。

「はいはーい。ここに注目」

 緊張感のない弛緩した声が星の輝かない夜にこだまする。キサさんは道化師のようにゆらゆらと回転しながら燃え上がる炎の前に躍り出る。誰もそれをとめる者はいない。

「これなんでしょうか?」

 キサさんが構えていたのは一台のスマートフォン。僕はその正体を知っている。

「は? スマホだろ」
「残念。不正解」

 画面に触れるともう一台の原付バイクが先ほどと同じ末路を辿る。二度目となると恐怖心が芽生えてきたのか他の先輩たちは爆発に戦き、落ちて来る鉄塊から身を守ろうと頭を抱えて蹲る。

「な、なんだよ。それ。爆弾か?」
「ぶっぶー、不正解」

 もう一度、画面に触れて残りの一台も華麗に吹き飛んだ。とんだ原付バイクが代表格の先輩の傍に落ちて先輩は尻もちをつく。炎に照らされた顔は恐怖の色に染まっていた。

 もはやここはキサさんの独壇場と化していた。誰も彼女を抑え込める人はない。

「次は誰が吹き飛ぶのかな?」
「は? お前、俺たちに」
「仕掛けたよ。君たちが大口空けて見上げてる間にさ」

 いたずらな笑顔を見せて背中を指さす。先輩の背中には言う通りピンポン玉ほどの大きさの玉が張り付けられていた。

「無理やり剥がしたら爆発するからね」
「う、うそだ。そんなことしたら。お、おまえ、人殺しに」
「君は殺す気だったよね?」

 投げつけられた一言に聞いているだけの僕ですが凍り付く。

「嘘だと思うなら私を襲って起爆装置を奪ってみなよ。その前に押しちゃうけどね。でもさすがに六人でかかって来られたら面倒だから」

 それまでへらへらとその場に似つかわしくない笑みを浮かべていたキサさんは、冷徹な表情に変えてスマホを操作する。

「ちょっと減らすね」
「え?」

 先輩たちの一人から『ピ、ピ、ピ』と機械音が鳴り始め恐怖を煽るように少しずつ感覚が短くなっていく。

「やだ、やだああああああああああ」

 恐怖に耐えられなくなった先輩はその場から逃げ出した。
 姿が見えなくなったところで破裂音がして先輩の断末魔の様な絶叫が響く。

 これが決め手だった。

「悪かった。ゆるしてくれ」

 ぎりぎりで耐えていたものが決壊するように代表格の先輩は戦意を喪失してその場から逃げ出す。他の先輩たちも後を追うように逃げて行った。どうやら勝負はついたらしい。

 情けない足取りで逃げていく先輩たちを見送る。

「本当に殺したんですか?」
「そんなわけないじゃん。鉛筆ト弾を少し加工しただけだよ。真っ赤な血塗りの。ちなみにあれは私から一定の距離離れると爆発する仕組みだから」

 遠くの方で破裂音が四発聞こえた気がするが、気の所為にしておく。

 その場に残されたのは僕とキサさんと館山の三人。館山は先輩たちと違って恐怖を感じていない様子で平然とした顔で状況を見つめていた。

「悪かった。面倒なことに巻き込んで」

 館山にしては珍しくしおらしい態度だった。
「別に無事だったからいいよ」
「鳥海、お前は望んだことをしてるのか?」

 問われている事の真意はよくわからなかったが僕は黙って頷く。

「そうか」

 館山はキサさんを睨み付けるが、十秒ほどそうして何も言わずに去って行った。
「正直にならないと伝わらない事だってあるのにね」

 館山の背中を見ながらキサさんは溜息をもらす。

「何か知ってるんですか?」
「私の口からは言えないよ」

 それは知っているという事か。キサさんの口からは言えないのは理解しているが、すっきりとはいかずもやもやする。

「それにしても派手にやりましたね」

 空爆されたような惨状の辺りからは焦げた臭いが充満している。
「こんなのは不本意だよ。芸術的じゃない」

 確かに燃える原付バイクは廃棄物と化して利用価値はなさそうだ。

「そういえばいつバイクに爆弾を仕掛けたんですか?」
「最初から仕掛けてあったよ。彼らがいずれ私のところに来るのはわかっていたから。実際に仕掛けたのは彼だけど」
「館山が? いったい何のために?」
「そういう事は本人から直接聞きだした方が良いよ。それよりも」
「いたっ! なんで?」

 突然、額に痛烈な痛みが走る。非難の視線を向けると、それ以上にキサさんが非難の視線を向けていた。

「どうにでもなれって思ってたでしょ」

 額の痛みとは違う痛みが心に刺さる。

「約束してほしい。もうそういう事はしないって」
「……わかりました」
「よし。それから」

 コートを被せる様にして僕を胸に抱き寄せる。

「キサさん?」
「守ろうとしてくれてありがとう」

 胸の奥から聞こえる早くせわしない鼓動が僕を落ち着かせる。

 ゴムが焦げるような刺激臭がする辺りとは裏腹に、キサさんの胸の中は甘く清らかな匂いで包まれていた。

 この人は僕が守ろうとしなくても自分で何とかしてしまう。僕はまだまだ未熟だ。

自分の非力を痛感しながらも、この人を守れるくらい強くなろうと前向きなことを考えていた。