大河の貸してくれた自転車はクロスバイクと言われるサイクリング用の自転車だった。これなら険しい坂道もギアを変えるだけで簡単に上っていける。余談だが唯織は電動アシスト付きの自転車だ。

 こうした事情もあり学校にはいつもより早く着く。ちなみに大河には追い付けなかった。

「自転車の力は偉大だな」
「朱鳥はいつの文明の人?」
「今の時代じゃない事は確か。スマホは持ってないし。パソコンとか夢のまた夢」
「あの環境じゃあしょうが無いよね」

 あの日から母は僕に最低限の物、例えば服や靴、しか買ってくれず、欲しがっても機嫌を損ねて殴られるのは目に見えていたので僕の方も何も言わなかった。

「スマホくらい買ったら? バイトしてるんだよね?」
「バイトは生活費の為にだよ。それにスマホは一番ハードルが高い。高校生だと保護者の同意が必要になるし」

 スマホやパソコンがなくても生きていけないわけではない。

「じゃあ無理か。朱鳥に連絡するとき不便なんだけどな」
「連絡する機会ってそれほどないだろ」
「あるよ。今朝とか」
「今朝?」
「知らないの? 今朝の爆発」
「ああ、あれか」

 教室に向かうまでの廊下はいつもよりも人で溢れ、いつも以上に騒がしく生徒が集団で集まっている。

「ねえ今朝の気づいた?」
「爆発でしょ。何があったんだろう」
「みてみて、うちのベランダからの写真」
 
 中には写真を撮って見せている人もいる。

「それより誰がやったんだ?」
「わからないけど、風車って最近は館山達がたむろしてなかったっけ?」
「じゃあ館山か」
「あいつならやりかねないな」

 館山達の粗暴な態度が風車の破壊を連想させるのだろうが、あれと一緒にされるのは心外だ。会話に割って入りたかったが、真相を話せるわけもないのでぐっと堪える。

 深く考えていなかったが、器物損壊とか何かの罪に問われるのではないだろうか。警察沙汰になってしまったら爆弾を仕掛けるのが難しくなりそうだ。

「やっぱりこれが普通だよね?」

 唯織はどこか釈然としない表情で噂話をする生徒たちを見る。

「どうかしたの?」
「お父さんたちは何も言ってなんだよね。大河の親も普段通りだったし。騒いでいるのは私たちだけでさ」

 そんなことあるのだろうか。あれだけの事が起こったというのに、何も反応を示さないのはおかしい。大事になってほしくはないが、騒ぎにならないならならないでもやもやする。

「もしかして何か知ってる?」

 唯織は黙ってしまった僕の顔を訝しむように覗き込む。

「知らないよ。きっと老朽化で崩れたんじゃないの?」
「そうなのかな。それにしては何というか、芸術的? な崩れ方な気がする」

 内心誇らしい気持ちになったが、表情に出さないように努める。

「偶然ってそういうものだし」
「うん。まあそうだけど」

 唯織も納得のいかない表情で自分の教室に入って行く。

 僕も唯織を見送ってから自分の教室に入った。

 間もなくして担任が教室に入って来る。予鈴はなっていないが、噂で騒ぐ生徒たちを鎮めるために早く来たのだろう。

 クラスメイト達は担任に詰め寄る勢いで質問したが、生徒達の大騒ぎに反して、大人たちの反応は淡々としていた。

 担任からは風車倒壊の原因はおそらく老朽化である事、決して近づかない事。その二点だけが伝えられた。

 倒壊の原因をそんな適当なことで済ませていいのだろうか。本来ならばしっかりとした捜査機関が適切に調査するはずだ。それなのにこんなに早く結論を出すということは、大人たちはこの件を大事にせず内々で処理しようとしているように見える。

 ただこちらとしては願ってもないことだ。

 夜にパトロールされて警戒されるかもと思っていた僕の心配は杞憂だった。

 そういえば、キサさんとの契約は成立したけれど僕はどうすればいいのだろう。アトリエに行けばいつでも会えるのだろうか。

 今頃、あの人は何処で何をしているのだろう。散歩だろうか。それとも惰眠を貪っているのだろうか。どちらにしてもあの人らしい思う。

 あんなことがあった次の日でも、普段通りの日常が流れて行く。今日は館山が欠席していたのでこのまま何もない一日になりそうだ。

 騒いでいた生徒も昼にはもう忘れてしまったのか、他の話題で盛り上がっていた。あれくらいの事ではこの町は変われないのだと、現実を突きつけられる。

 ふと、窓の外を眺めると白い鳥が空の高い位置で旋回していた。
 
 あれが爆撃機だったらもっと大きなニュースになるのだろうか。