「ああ、もうみんな着替え終わりそうだね。急ご!」
 留依はさっさとジャケットを脱いで、ベストも脱いで、ブラウスだけになった。
 その下。
 それを見て、美久はちょっとどきっとしてしまった。
 留依の下着は随分色っぽいものだったのだから。
 ふっくらとした胸を飾るのは、ピンク色の細かなレース。形だって凝っていた。胸の谷間のところが低くなっていて、そこにリボンがついている。
 勿論ちらっとしか見えなかった。留依はすぐに体操着のシャツをかぶってしまったから。
 そしてスカートの下に体操着のハーフパンツを穿いて、それからスカートを脱いで……。
 ぱっぱっと着替えていく留依の横で、最後にジャージの上をはおりつつ、美久はどきどきしてしまった。
 下着姿、というよりも、留依がこんなところまでオシャレであることに、だ。
 そりゃあそうかもしれない。下着だけ手を抜いたりするわけはないだろう。
 でも美久はあまりこういうものは見たことがなかったのだ。
 クラスでも華やかなあかりなどはこういうかわいくて大人っぽいものをつけているけれど、当たり前のように遠目にしか見たこともないし。
 美久にとっては縁のないもの、と言ってもよかったかもしれない。
 下着は付けているに決まっている。けれどそれは素っ気ない、飾りなんてほんの少しだけのレースがついた、中学生のつけているようなスポーツブラがちょこっとだけ進化したようなもので。
 色っぽさなんて皆無のもの。
 残念ながらというのかなんなのか、美久はそれほど胸が豊かではないので、急いで「大人向けのを買わないと」とはならなかったのも手伝っているだろう。ずるずると、中学生から同じようなものを使い続けているというのは。
 でももう高校生だし、二年生だし。
 こういうものは子供っぽいのかもしれない。
 こんなところから思い知らされてしまって、美久の胸がちょっと痛んだ。
「先行ってるねー」
 そのうち、着替え終わった子たちから次々に出ていってしまう。留依はまだ着替え中であるのに。
「急がないと!」
 あたふたと、しかし手は抜かない様子で留依は着替えたり片付けたりをしている。
 脱いだ制服を畳むけれど、それもぐちゃぐちゃなんてことはなく、きちんと畳まれていた。
 それをロッカーに入れて、一応ついている鍵をかけて、美久を振り返った。
「よし! 行こ!」
 ジャージの上は、着いてから着ればいいという気持ちらしく、腕に引っかけられている。もう十月も終わりそうで随分寒いのに、だ。
「う、うん」
 なんとなく留依を待ってしまっていた。いや、この状況なら「お先にー」なんて言うはずがないけれど。
 でもなんとなく、思ってしまった。
 自分は随分子供っぽかったのではないか、と。
 高校生として遅れているのではないか、と。
 下着ひとつでそんなふうに思うとは思わなかった。
 でもそれはひとつの要素でしかなく、オシャレな留依からの影響、ということになるのだろう。
「え、えっとー……体育館は……あっちだよね!」
「あ……」
 留依は更衣室を出て、次の廊下まで来て、ちょっと迷った様子で右を指差した。
 でもちょっと違う。
「あ、あの……体育館はあっち、だけど……」
 美久が違う、と言いたいのはわかっただろう。留依は「ん?」とこちらを見た。
「あ、あのね、今日は合同体育だから……大きい第二体育館のほうを使うの……」
 美久の説明は拙かなかっただろうに、留依は「そうなの!」と顔を輝かせた。
「どっち?」
 何故かそわそわしつつ美久は廊下を指差した。留依が指差したのとは別の方向。
「え、えっとね、廊下をまっすぐ行って、左に曲がって……」
「そっか! ありがと! じゃ、急いでいこ! 美久が案内してくれる?」
 留依はぱっと顔を明るくする。
「う、うん、勿論」
 勿論肯定して、二人で廊下をまっすぐ歩いた。少し急ぎ足で。
「いやー、美久がいてくれてよかったなぁ。また場所がわからなくて遅れちゃうところだったよ」
 美久の説明は拙なかったのに、留依はまるで気にした様子もなく、嬉しそう。
「すぐ覚えるよ」
 だからだろうか。今度の言葉は、すっと出てきたのは。
 留依はそれに気付いたのか気付かなかったのか。「そうだよね!」と明るく言ってくれた。


 小学校の頃と同じような空気が戻ってきた、と思う。
 けれど、小学生のときとは明らかに違う。
 大人に近づいていっているのだし、それは服やオシャレだけでなく、体も心もだ。
 でも、私は。
 美久はちょっと自分を顧みてしまった。
 このままでいいのかな。
 このままじゃ、子供のまんまじゃないのかな。
 そう思ってしまったこと。「このままでいい」と思い続けてこうしてきた美久が自分について考えるきっかけになったこと。
 確かにきっかけ、だったのだ。
 合同体育のレクリエーションは盛り上がった。
 全体的には、だが。
 美久にとっては面白くなどない。こんなものなら教室で授業を受けているほうがずっと楽しいと思うのだった。
 けれどサボる気もない。だから体育館の隅っこでちょこんと座って、自分の番が来るのを待っているのだった。
 今日の合同体育は、レクリエーションに近いもの。ほかのクラスとの交流が目的なのかもしれない。
 その証拠に、いつもはB組の女子と一緒に女子だけ行うところを、男子が一緒に入っている。
 それも、C組とD組の男子が合同なのだ。
 ということは、次の機会ではA組とB組の男子、C組とD組の女子が組み合わせてレクリエーションをする、ということになるだろう。
 A組男子はクラスメイトなのだからなじみは勿論ある。
 B組の男子はそこまででもないけれど。
 でも、今一緒に合同を組まされているC、D組の男子はもっと知らない顔ばかりだった。
 なにしろ教室が遠い。顔を合わせる機会がないのだ。
 ほとんどのひとは知らない顔。何人か、一年生のときに同じクラスだったひとがかろうじてわかるくらいだ。
 まぁ、でもプレイは男女別。
 A組女子とB組女子の中でシャッフルされた組み合わせでバスケをした。
 美久はやはりコートの隅っこをちょろちょろ走っているくらいだったけれど。
 ドリブルでボールを運ぶことは出来るし、パスだって外さない。
 けれどあまり目立ちたくないのだ。ほかの子たちにとっては遊びに近いのだから、それを邪魔したくない気持ちのほうが強い。
 でも留依は別だった。積極的にボールを取りに行くし、ドリブルはすごく速かった。
 そんな留依に「パス!」と言ったのはバスケ部の女子。この中では一番うまいだろう。
 留依は言われた通りに「ヘイ!」とかけ声を出してボールを投げた。
 シュッ、という音が聞こえそうなほど綺麗な軌道を描いたボールはバスケ部の子の手に、ぱしっと収まる。次の瞬間には、その子によってボールはゴールに叩き込まれていた。
 ピーッと笛が鳴る。一点ゲット、の笛だ。
「やったぁ!」
 見守っていたほかの子たちも喜びの声をあげる。
「渚さんすごいじゃん!」
 バスケ部の子が近付いて、留依の肩を叩いた。留依も嬉しそうに、えへへ、と笑う。
「バスケ、やってたことあるの?」
 ほかの子も集まってくる。
「ううん、小学校のときクラブで二年ちょっと、やってたくらいだよ」
「それはやってたっていうんだよー」
 留依の言葉は謙遜したようなもので、それにほかの子がツッコミを入れて、あはは、と明るい笑いが溢れた。
 美久はその中には入らなかったのだけど、すごい、と、ほうっとため息をついていた。
 シュートしたバスケ部の子ももちろんすごかった。
 でも留依は別にバスケ部でもないし、なんなら転校してきてまだ二週間そこそこ。 それで遠慮することもなく自分からプレイに参加していって、おまけに活躍してしまうのだ。
 それをすごい、と思ったのだ。
「おーい、まだ試合終わってないぞー」
 今度は違う意味で、ピーッと笛を鳴らされてしまった。コートのそばで審判をしていた桜木先生だ。
「おっとっと」「まずいまずい」なんて言いながら、みんなプレイに戻るべく散っていった。
 留依はまたしても、ボールを取りやすいあたりへ向かっていく。
 美久はそのままの場所、にいた。
 目立ちたくないのはそう。
 バスケ部や、あるいは留依のように活躍できる自信がないのも、そう。
 でもこれは、ちょっとずるいことなのかもしれない。
 うまくなくたって、頑張る姿勢を見せたほうがいいのかもしれない。
 美久は思った。
 けれどだからといって、いきなりあの中に突っ込んでいくことはできなくて。
 プレイの続きも、一度ボールを受け取って、数秒ドリブルをしてパスしただけで終わってしまったくらいだった。
「はー、汗かいたぁ」
「いい試合だったねー」
 試合はぎりぎりで美久や留依の所属するグループの勝利になった。相手チームにもバスケ部の子が複数いて、どちらが勝つかはわからなかったので、嬉しく思う。
 ちょっと休憩していいと言われたので、みんな散っていった。そして飲み物を買うなりして、戻ってきて、観覧するあたりへ自然に集まってきたというわけ。
 汗を拭って、お茶やスポーツドリンクを飲む時間はまったりしていた。
 美久も、活躍なんてとんでもなかったけれど、しっかり動いてはいたのでそれなりに汗はかいていた。
 タオルで首などを拭いて、スポーツドリンクを飲む。疲れた体に染み込んだ。
「美久!」
 そこへ留依がやってきた。ほかの子たちとしゃべっていたところからこちらへ来てくれたらしい。嬉しさが美久の心に溢れた。
「美久はバスケ、苦手?」
 留依もスポーツドリンクのペットボトルを手にしていた。ごくごくと豪快にあおる。
 聞かれて、どきっとした。
 やる気がないと思われた、というか、そう取られるようなことをしていたのを見られてしまったのだろう。
「う、うん、あんまり、得意じゃないの」
 言い訳をしてしまった。そして直後、そんな自分に自己嫌悪してしまう。頑張らなかった言い訳なんて、ずるいだろう。
「そうなんだ。苦手な種目もあるよねぇ」
 でも留依は別に疑いもしなかったらしい。フォローするようなことまで言ってくれた。
 そんな話をしているうちに、目の前のコートではC組とD組の男子の混合グループの試合がはじまっていた。
 女子たちもそちらを見るのに夢中になっていった。
 あまり交流のないクラスとはいえ、それは美久にとってだけだ。
 あの中に知り合いがいる女子は少なくないだろうし、もしくは、好きな男子などがいる子だっているだろう。そういう子にとっては見ていて楽しいに決まっている。
 試合は片方のチームが優勢だった。バスケ部のひとが多いのかもしれない。
 キュッキュッと靴の擦れる音がひんぱんに立つ。ボールがドリブルされるにぶい音も。そのくらいプレイが激しいのだ。
「やっぱ男子は真剣だねぇ」
「やっぱ球技好きなんだろうねぇ」
 そんな話をしながら見ていく。
 その中でも、ひときわプレイが目立つひとがいた。背の高くてふわふわとした茶色の髪をしたひとだ。
 あれ、なんかどこかで見たような……。
 美久は既視感のようなものを覚えてしまった。
 自分に男子の知り合いがいるはずないのに。おまけにC組かD組、交流のないクラスになんて。
 彼は素早くコートを駆け回って、ボールを捕まえてはドリブルでゴール下まで運んで、自分でシュートを狙ったりほかの子にパスしたりと積極的にプレイしていた。
 でもちょっと急いでいるような様子だった。何故かはわからないけれど。
 おまけにほかの周りの男子たちも、彼に優先してボールを回しているようだった。
「あのひと、うまいねぇ」
 彼が二本目のゴールを決めたとき、A組とB組の女子の間ではすっかり話題になっていた。
 見た目もカッコいいのだ、それであんな華麗なプレイを見せられれば。
 でもそこでピーッと笛が鳴った。
 みんなそちらを見た。このタイミングで鳴るのがわからなかったのだ。どちらかが点を取ったわけでもない。ペナルティだろうか。
 思ったけれど、どうやら違ったらしい。コートの中の男子たちが端へ集まっていって、どうもプレイヤー交代とかそういうものらしい。
 交代はすぐに行われて、新しくプレイに入るひとたちがコートの中に戻ってきた。でも大半は継続してプレイするようだった。それはそうだろう、そうトータルの人数も多くない。
 でも何故か。
 その中にさっきの彼の姿はなかったのだ。
 見ればコートを出て奥で待機しているほかの男子の元へ向かっているところ。
 A組、B組の女子の間では不思議そうな声がとびかった。
「え、あのひともう変わっちゃうの?」
「あんなすごいプレイしてたのに……」
「ほかにもっとうまいひとがいるのかな?」
 でも新しく入った男子は、どう見てもさっきのひとよりうまくはなかった。
 失礼なことだけど、そう思ったのは周りの女子たちも同じだったらしい。「さっきのひとのほうがすごいじゃん」と言っている。
 申し訳ないけれど、美久もそう思った。
 だからもっと謎になってしまった。あのカッコいいプレイをしていたひとが、下がってしまった理由。
 そう。なにか理由があるのだろう。
 それを知るすべなんてないし、美久は「自分にはあまり関係ないだろうなぁ」と思って、コートの中の試合模様に視線を戻してしまったのだけど。
 その中で、いつもなら率先して「もっと活躍させてよー!」と叫んでいただろう、明るいあかりが黙ってしまっていた。
 それに気付いた子は少なかっただろう。少なくとも美久は気がつかなかったし、ほかに気付いて「あかり? どうしたの?」と声をかける子もいなかったのだった。
 先日借りた四巻はすぐに読み終わってしまった。ハードカバーで、一冊も200ページ程はあるのだけど、美久は読むのが早い。一週間も必要なかったくらいだ。
 あまり気に入ったので、ハードカバーだから少し重いのに毎日通学バッグに入れて学校に持っていってしまった。休み時間にもぱらぱらと僅かながら読み進める。そうしていれば読み終わるなんてすぐだろう。
 一巻、二巻、と区切られているけれど、一応、一冊ずつで区切りがつくようになっている。
 同じ登場人物が出てきて、でもすることや起こる事件は毎回違って……という具合だ。
 海外のファンタジー小説で、数年前にヒットしたらしい。流行った頃、美久はまだ小学生だったのでこの本のレベルにはまだ早く、名前を聞いたくらいで読まなかったのだ。
 でももう高校生。大人の読む小説だって普通に読める。子供向け、児童文学というものも面白かったけれど、大人向けは量が比べ物にならないほど多いし、ちょっと難しいけれどそのぶん読みごたえがある。
 今読んでいるこれは学園ものなのだけど、そこで勉強できるのは魔法なのだ。魔法使いの学校。
 主人公は一般家庭の子なのだけど、校長先生に目を留められて「素質がある」と、特別に上級の魔法学校へ進学を許される。
 そこで勉強したり、学校で起こるハプニングを解決したり……ときには友情や恋の物語もある。そして魔法を使って立ち向かう冒険もたくさんあるのだ。
 つまらないページなどないほどに魅力的な事件ばかり次々に起こる。もう寝る時間だとか、休み時間が終わるだとか、そういうときは後ろ髪を引かれる、という思いになるほどだった。
 それでも四巻は読み終わった。次は五巻だ。
 七巻まであって、ちょっと前に流行ったものなので完結しているらしい。つまり、一気に最後まで読めるのだ。美久はほっとしていた。
 今、続刊が出ている最中というのもいい。次はいつ出るのかな、と楽しみにすることができる。
 でも、今すぐに一気に読めるというのは好奇心や興味がすぐに満たされるということである。
 どちらがいいというものではないけれど、とりあえずこのシリーズに関しては最後まで一気に読みたい気持ちが勝っていた。
 五巻を借りるのもいいなと思ったのだけど、今日の美久は図書室ではなく別のところへ向かっていた。
 それは本屋さんである。
 あまり面白かったから、このシリーズは自分で買おうかなぁと思うようになったのだった。
 ハードカバーの本はちょっと無理かもしれない。だって一冊二千円くらいはするのだ。
 でも文庫本なら。
 一冊千円しないくらいで買えるだろう。そりゃあ本好きとしてハードカバーでしっかりしたものが欲しい気持ちはあるけれど、中身を読めるのだったら、お小遣いが少ない今は文庫本でもいいかなぁ、と思うのだった。
 それだって七巻まで全部買えば七千円くらいになる。決してトータルでは安くない。
 だから全巻をぽんと買うことなど出来るはずなく。
 一ヵ月に一冊くらいで買おうかな、と思って。
 今日は視察のつもりで本屋さんに向かったのだった。
 ひと駅、電車に乗った。隣の駅で降りたところの繫華街にある本屋さんはかなり大きい。
 繁華街はいろんなお店があって楽しいけれど、美久はあまり積極的に入るお店はなかった。
 お洋服のお店やメイク用品のお店だと店員さんがすぐに寄ってくるので、おどおどとしてしまうのだ。自由に見たいのに、と思ってしまう。
 だからいつも店員さんが寄ってこないような量販店に行って、適当にサッと買ってしまうようになっていた。必然的に私服もあまりオシャレとはいいがたかったかもしれない。今日は制服だからあまり関係はないけれど。
 ほかにもカフェとか食べ歩きができるテイクアウトのお店とか、あるいは露店に近いようなものとか……たくさんお店があってごちゃごちゃしている。
 楽しいのと、ひとが多くて怖いのと、両方の気持ちが混ざってしまう美久は、早く着いてしまおうと本屋さんへ向かったのだけど、通りかかったあるお店の前でちょっとだけ足が止まってしまった。
 そこは雑貨屋さんだった。かわいいぬいぐるみや文具、ちょっとしたバッグやポーチ……そんなものを並べている。入り口から大きく開いているので奥まで良く見えた。
 目を留めてしまったのは、もうすぐ留依の誕生日であることを思い出したからだ。確か留依は十二月生まれ。あと一ヵ月と少し。
 なにかプレゼントをあげたいな、と思ったのだ。
 女子高生同士の誕生日プレゼントなのだ、こういう雑貨はうってつけかもしれない。よって目が止まってしまった。
 ちょっとだけ見ようかな。
 思って、美久は入り口の近くだけであるけれど、ちょっとだけ見ることにした。
 ポップでカラフルな小物がところせましと並んでいる。
 かわいいけれど。
 美久はすぐに困ったことに気が付いた。
 留依はオシャレだ。
 そりゃあもう、再会したとき一目見て「かわいい」と思ってしまったくらいオシャレだ。
 そんな留依にプレゼントを。
 随分ハードルが高いではないか。留依が持っていて、あるいは身に着けていてふさわしいものを選べるだろうか。
 美久は既に悩んでしまった。別に今決めるわけではないけれど。
 やっぱりこういうものは自分には合わないのかもしれない。
 無難に文房具とかにしたほうがいいのかなぁ。
 でもせっかく再会して初めての誕生日。ちょっとはかわいいものを贈りたい。
 自信のなさと、友達への思いで揺れていて、美久はちょっとぼうっとしていたのかもしれなかった。
「ねぇ、きみ」
 隣から声がかかって、びくっとした。男のひとの声だ。
 なんだろう、邪魔になっていたんだろうか。
 不安になりつつそちらを見ると、確かに男のひとが立っている。
 若い男のひとだ。大学生くらいだろうか。
 でも随分軽そうな見た目をしていた。
 髪は金髪に染めているし、ピアスまでしている。
 『そういうこと』に縁のない美久でもすぐにわかってしまった。
 でも信じられない気持ちになる。
 まさか自分にこうやって声をかけてくるひとがいようなど。
「このクマさんすごくかわいいよね。ピンクが好きなの?」
 言われた言葉は美久の想像通りであることを示していた。
 あまりにフランク……というか、もはやなれなれしい言葉。
 胸の中がざわざわとする。恐ろしさが這い上がってきた。
「あ、……はい……」
 やっと答えた。声まで震えそうだった。
 わかっていた、「すみません、急ぐので」とか言って、さっさと行ってしまったほうがいい。
 そうしたら街中なのだから追いかけられることもないだろう。
 でもこうして自分に話しかけられていること、それ自体が美久にとって、枷になってしまっていた。会話を切るのも素っ気ないことを言うのも恐ろしい。怒らせてしまっては、と思うのだ。
 美久のその、どっちつかずな反応を、金髪の男はどう思ったのだろう。笑みを浮かべた。美久を飼いならすような笑みだった。
「実はさ、俺の妹へのプレゼントを見に来たんだよ。きみ、こういうの好きなら一緒に見てくれないかなぁ」
 言われて、今度こそ恐ろしさが胸に膨れた。
 一緒に、などとんでもない。今すぐこの場を離れたいのに。
 それにこんなことを言ってくるなんて、良くないひとに決まっている。
 はっきり言ってしまうならナンパである、これは。
 自分がまさかターゲットになるとは思わなかったけれど、一応若い女の子。女子高生。それで声をかけられてしまったのだろう。
 断らないと、「急ぐので」って言わないと。
 自分に言い聞かせたのだけど、その声は出てこない。
 進退窮まったときだった。
「あ、こんなとこにいた!」
 不意に違う声がした。美久はまたしてもびくっとすることになる。それも男のひとの声だったので。
 でも不思議なのは、その声はどうやら自分に向かって発せられたらしいということ。
 ばっとそちらを見ると、確かに男のひとがそちらにいた。
 ふわっとした茶色の髪、高い背丈、そして美久と同じ色の制服……。
 あっ、と言うところだった。声は出なかったけれど、目は丸くなっただろう。
 そして美久のその表情で、向こうもわかってくれたらしい。
 ……美久が『彼』を覚えてくれていた、というのは。
 彼は美久に向かって、つかつかと歩いてきた。近くまで来て、にこっと笑う。
「探したぜ。待たせて悪かったな」
 えっ、え?
 美久は目を白黒させた。
 だって、探した、とか、待たせて、とかちっとも心当たりがない。
 でもそれは明らかに自分に向けて言われていて……。
 その場に微妙な空気が流れた。美久がすぐに反応できずにいたことで。
 その中。
 不意に彼が思わせぶりにまたたきをした。美久はぼうっとそれを見て……やっと、はっとした。
 助けてくれようとしているのだ。このひとは。
 ヘンなひとに声をかけられた美久を。
 かぁっと胸が熱くなった。
 それは『助けてもらえそう』ということと、もうひとつは『図書室のあれだけのやりとりで自分を覚えてくれていた』ということにである。
 今度は違う意味でどきどきしてきた心臓の上で、ぎゅっと拳を握って、美久は勇気を振り絞った。
「う、うん、待ってた……よ」
 それは微妙にずれた答えだったかもしれないけれど、美久のその言葉ですべては完了したらしい。
 金髪の男はあからさまに「ちぇっ」という顔をした。美久に連れがいる、しかも男の連れがいると知ったことで当てが外れたのだろう。
 良かった、なんとかなりそう。
 ほっとしかけた美久だったけれど、直後、違う意味でどきんと心臓が高鳴った。
「さぁ、行こう。あ、なんか俺の彼女に用事でしたか?」
 彼女!?
 跳ねた心臓は喉の奥まで来たかと思ったほどだ。
 顔が一気に赤くなる。
「……や、別に。じゃ」
 一、二秒ほど、金髪の男と彼は見つめ合っていた……というか、険悪な空気で見合っていたけれど、すぐに金髪の男が身を引いた。さっさと店を出ていってしまう。
 彼女、って、一体。
 どくどくと心臓が高鳴って痛いほどだ。
「……大丈夫?」
 声をかけられて、やっとはっとした。隣では彼が心配そうな目で見ていた。
「ごめんな、変な言い訳して……絡まれてると思ったもんだから」

 言い訳。
 言い訳。
 ……言い訳。

 三回ほど反芻して、美久はやっとその意味をのみ込んだ。
 今度は違う意味に胸と顔が熱くなる。
 彼女だと言って、あの男を追い払ってくれたのだ。つまりそれが『言い訳』だ。

 ……助かった。

 今度こそほっとした。途端に膝ががくがくと震える。座り込みそうになってしまったほどだ。
 美久が震えたのを感じたのだろう、彼は「おっと」と手を伸ばして、美久の腕を掴んでくれた。それでなんとか座り込んでしまうのは阻止された。
 今度は腕に触れられたことにどきどきしてしまって、もう心臓が足りなさすぎだった。
 でも今は何故か、嫌悪感なんてなくて。怖さもなくて。
 さっきの金髪の男には声をかけられただけでも嫌だったのに。
 美久にとっては不思議でならなかったのだけど、まだ落ちついていないうちに、彼によって「ちょっと落ちつけるところへ行こう」と、手を引いて店を連れ出されてしまったのだった。