「はい。コンテストで賞を取ったでしょう。夏の日暮れの絵。私、あれが展示された美術館に友達と見に行って……あの絵に引き寄せられちゃったんです」
「そう……だったのか」
 壱樹先輩は驚いたという声、感嘆を含んだ声で言った。
 浅葱はいくつか挙げていった。あの絵の好きなところ、興味を引かれたところ、魅力に感じたところ。それはいつも絵について語り合う感覚で話したのだけど途切れたとき壱樹先輩が言ったことに、はっとしてしまった。
「意外なところで見られていたと思うと、ちょっと照れるな」
 実際にちょっと気まずそうにしている壱樹先輩。
 浅葱はやっと気付いた。
 壱樹先輩の『絵の』好きなところを挙げていったけれど、それは『壱樹先輩の』好きなところでもあるのである。
 そんなことをぺらぺらと。
 急に、かぁっと顔が熱くなった。
 なんて恥ずかしいことを語ってしまったのか。
「す、すみません、私……」
 恥じ入ってしまった浅葱を見て、けれどその姿を見たためか壱樹先輩は笑みになった。
「大胆だなぁ」
 はっきりからかうようなことを言われてもっと顔が熱くなってしまう。
「ち、違います、絵の話で」
「絵だって俺の一部なんだなぁ」
「そ、そうですけどぉ……」
 やりとりはからかわれているものであったけれど不快ではなかった。ただ、大胆なことを言ってしまって恥ずかしかっただけだ。
 だからやりとりをする空気は穏やかだった。
 しばらくして壱樹先輩が「すまん、からかいすぎた」とまだ笑っているくせに、でも一応そう言って終わらせてくれて浅葱はほっとした。
「いや、でも『絵はそのひと』っていうのは、俺もそう思う。俺も浅葱の絵が好きだよ」
 違う意味で浅葱の心臓を跳ね上がらせてきた、その言葉。
 今までだって「六谷の絵はいいな」と言われていたけれど、今のものは特別なのだ。
「ありがとう……ございます」
 なので返事はもじもじしてしまった。
 壱樹先輩はそんな浅葱を見て優しく微笑んでくれた。
「浅葱の手が好きだ」
 不意に全く違うことを壱樹先輩は言う。浅葱が、え、と思ったとき。
 カウンターの上にあった浅葱の手がそっと握られた。
 ほわっと、もうだいぶ慣れたあたたかさが浅葱の手を包み込んだ。
「この手が素敵な世界を生み出すだろう。俺はそれが好きなんだ」
 包み込むだけではない。両手を出してきゅっと両手で包まれる。
 浅葱の手、全体があったかくなってしまう。
 慈しむ、というような触れ方に、そこから火がついたように胸が熱くなっていく。
 そのひとの手が生み出す世界。
 それはひとの数だけ存在する。
 いや、ひとの数以上に存在する。
 同じ絵は、同じひとが描いたとしても二度として同じものはできあがらないのだから。
 その、世界にたったひとつだけの『特別な世界』。それを生み出せる手は、まるで魔法のような存在だ。
「私だって、そうですよ」
 自分の手を包んでくれるあたたかな手。
 それを『好き』と感じる気持ちは同じだから。
「壱樹先輩の絵は『壱樹先輩』です。だから私は」
 浅葱は言った。今度はためらわなかった。にこっと笑って口に出す。
「……先輩の世界が、大好きなんです」