シオンは、石と煉瓦造りの水門を
疎水舟の乗り場から見上げた。
舟に座ると、水の匂いがする。
柔らかな 琵琶湖の匂い。

大津市三井寺の取水口。
この界隈は桜の名所で、山桜が枝下り「大津閘門」を飾っている。 

2つの水門に 船を入れ、水位を調整。水門を開けて航行させる。
パナマ運河みたいなものだと、
ガイドが説明してくれた。

この門から 琵琶湖の水は、京都に流れる。
それは『水の路』だ。

シオンのルーツを巡る1人旅は、この疎水通舟の向こうに、ゴールがある。

琵琶湖は、460もの支流が流れ込むが、出河川は 只1つ。
しかし、もう1つ疎水による、水出がある。
マザーレイク2つの 生まれ出ていく 水の門。

ここから、シオンは 一族の墓がある、京都へ入る事にした。

それが、ルーツの旅 終着だ。




疎水は1メートルしか 川底がない為、自然と目線が低くなる。
水面を 這うように 舟。
その臨場感は、胎内巡りに似ているかも、とシオンは ドキドキした。

かつては この疎水を使って、大津~大阪間を 米、炭、木材、石材、紡績といったモノが運搬された。
物流だけでなく、遊覧船も行き交った。
また、疎水は、『水』そのもの、を運び、南禅寺別荘群の庭園用水となる。

京都の蹴上を目指して、疎水舟はゆっくりと進む。
ほどなく、 緑と山桜が造る 壁の中に、洋風玄関の如く トンネルが 見えた。

1番長い 第1トンネルだ。
入り口には、伊藤博文の
『気象萬千』額があり、意味は『様々に変化する光景は素晴らしい。 』である。
まさに、疎水からの風景そのものだと、シオンは思う。

ここからは、薄暗い トンネルに突入。
まるで、胎内の様な感覚が 延々と続く。そして、トンネルは寒い。昨日から、カイロが大活躍だ。シオンは、ポケットを触る。
まだ、暖かった。

と、突如
光の滝がみえた。
『竪坑の落水』
凄い勢いで、トンネルの上から水が落ちている。アトラクション並みか?
舟の透明な屋根に、容赦なく 滝が落ちて、スリリングだ。

湧き水や 貯まった雨水が、竪坑に流れて、降り注ぐという。
雪のせいだろうか、
竪坑から 勢いのよい、
滝の様な水音を 後ろに過ごして、舟は まだトンネルを進む。

前に光の無い、心細さ。

第2トンネル東口。
出口 には、
『仁以山悦智為水歓』額。
『仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ』


『知者』は自身を楽しませる方法を得て賢く、豊な知識を持ち、自身の事が出来る。

『仁者』は周も楽しませ、 求めば助言し、必要なら、叱咤す。時に、人の為に損し、言われなき誤解を受けても、『仁』の心で思いやる。『仁者』を目指す人生、生きがい有。

その、額の心は?
シオンは自身に問う。

このような人を
もう、シオンは知っている。


胎内の様な、トンネルを、
抜けた。

太陽で シオンの目が 眩む。
ここからは、なんとも里山な 山科エリア。
闇の向こうに
ひろがる菜の花 、桜、
ぼけの花が 楽しい。

疏水沿いに、山桜660本の並木が、疎水の 天井を飾る。

遊歩道を散策する人 が見えた。
こちらを写真にとっている。
シオンも 先輩に送る為に、
写真だ。

相手が、手を振る。
良い舟旅をと。
良い人生を。

穏やかな『疏水みち』は
どんどん、次のトンネルへ進む。

第3トンネルの東口には
『過雨看松色』の額。

『時雨が過ぎると、
いちだんと鮮やかな
松の緑を見ることができる』だ。

水と共に生まれる瞬間を
シオンは、額に描いた。


こうして、
最後のトンネルを出ると、
すぐに 朱塗りの橋がみえてきて、
左奥に
旧御所水道ポンプ室が見えた。

約1時間の船旅。

滋賀から 疎水トンネルを抜けると、

そこは京都。

纏う空気が別物に、
そう雅になる。
水はもう鴨川の匂いだ。
シオンは そう感じて、

舟を降りた。

昔は、このまま蹴上のインクラインで陸上げて、鴨川に船は入った。蹴上の船着き場。先を行くと南禅寺の水路閣だ。

さらに、疎水は、京、宇治、大坂、瀬戸内海へと流れる。

都の桜、観光の響き、香の煙。

この蹴上から移動した場所に、
一族の墓はある。