『初代』は
尾張は 金山あたりの高台に建つ、新しくなった 料亭『酔雪楼』から、夜の眺めを望んでいる。

ここは、その建物の名のごとく、『酔うような名月』を仰ぎ見、夜に 浮かび上がる 雪平原が どこまでも、眼下に拡がる景勝の楼閣だ。
その先には、日本一の霊山 富士山さえも、姿を拝める。

本来は、平原ではなく 夏場であれば、田園風景が拡がるのだ。

都人からみれば、この牧歌的な田園風景が 『詫び錆び』と、『日の本らしい原風景』を垣間見れる、格別の場所だと皆揶揄する。

また、我も そうのように感じて、この場所を決めたのだから。

『初代』は、田園風景を借景にした、庭園を見やる。

雪が降る 田園なれば 、本家の琵琶湖畔の風景に似て、また興が乗る。

『初代』が食すは、大客間で の宴に 配膳している メニューと同様のもの。
月を見ながら、『初代』は料理の具合を確かめる。

そうしながら、
『初代』は 思い更ける。

醸造業界では、我一族は 新参もの。先入りの豪商の後追いの立場から 今、進化が必要。

武士による 戦乱の世は終わった。新しい価値が生まれ、市場の潮目が変わる。


されども、もと甘酒屋の別荘を買い入れて、雅文人墨客が交遊する料亭、いうなればサロンとして開いたのは、やはり正確だ。

名古屋城下の魚棚地区に、もともと支店を置いているのが、支店の進言で、この建物の売り情報を得れた。

城下の支店は 料亭として、依然より十分な売り上げが算出し、あそこからの支配人候補は 優秀である。
近く、暖簾を分けるのが良いな。

江戸は、政治の中心だが、将軍吉宗殿の時の『倹約』精神が 今だ残る。かえってこの尾張、名古屋城の殿は、華美で流行好き。その息づかいが残る為、芸術や文化が盛んだ。

京が近いというのも、あろう。窯元も多い。なにより、城自らに御庭窯がある。

『初代』は、明日からこの『酔雪楼』の庭にも、御庭窯と同じく楽焼窯の建設をする予定だ。

この場所で、新しい茶道器の流れをつくる。
量産目的ではない、それこそ、信長殿が、技物を以て、戦の褒章としたような器達を、造ると思う。

楼の名前をとって、『酔雪焼』にするのがよいな。

ああ、宴の御客人が、わが楼の料理に 雅な句を歌う 余興を始められた。

『初代』の姿に 後ろには、とてつもなく大きい光。

月が綺麗だ。