いちご

外で雀の鳴く声がする。
身を捩って時計を見ると、針は7時をさしていた。
今日は学校がある。
急いで準備しないと。

「随分早起きだね」

そっと横を見ると、彼がまだ眠そうな眼で言った。

「起こしちゃった?」
「ううん、全然」

そう言うと彼は、もう一度眠る体制に入った。
私は布団から抜け出して、シャワーを浴びに行く。
私と彼は所謂セフレだ。
肉体だけを重ねる関係。
私にも彼にも恋人は居ないけれど、恋人というものに縛られるのが嫌いだった。
スキンシップは好きだ。
触られるのも、キスも好き。
もちろんその後の行為も好きだ。
でも、それ以外は面倒だと感じてしまう。
初めて体を重ねた夜、手を絡めながらそう言う私に、彼は「わかるなぁ」としか言わなかった。
それで良かった。
それだけで、救われた気がしたのだ。

それ以降、週末は毎日のように彼の家に入り浸っている。
もう眠れたのだろうか、彼はこちらに背中を向けている。
彼の体は大きくて、傷一つなく綺麗だ。
そんな背中に昨日爪を立ててよがったことを思い出すと、胸が苦しくなった。

シャワーを浴びて、何か食べるものはないかと冷蔵庫を漁った。
珍しく、果物が沢山入っている。
それに、タッパーに詰められたおかずも。
彼は家族と仲が悪く、ほぼ絶縁状態だったはずだ。

そうか、彼女。

悲しいことに、これだけで分かってしまうのだ。
涙がじわりと溢れて、焦った。

なんの涙だろう。
自分でも分からないなんて初めてで、混乱しながら奥の方にあった牛乳とコーンフレークを掻き出す。
それに、果物も少しだけ貰った。
それらを適当なお皿に盛り付け、真ん中にある小さなテーブルで食べた。
もう7時半。間に合うだろうか。

「何食べてんの」

彼が、もそりと動いて問うた。

「コーンフレークと…、あといちごもらった」

私は、あえて果物を選んだ。
いつもならそんなもの買うはずのない彼の家にあるなんて、そんなのおかしい。
なにか否定してくれるんじゃないか。
そう思って言った。

「あー、いちごも食べたの?まぁいいけど」

…それしか言ってくれなかった。
いや、別にいいんだ。
彼に恋人がいようがセフレが何人かいようが関係ない。
関係ない、はずなんだ。
コーンフレークの味がしない。
馬鹿みたいに牛乳を入れたら、しなしなになってしまって、苛立った。

「俺もいちごたべたい」
「じゃあ布団から出てよ」
「面倒くさい」
「仕方ないなぁ」

私は片手にいちごを何個か掴んで、彼の方へ持っていった。
その途中で、なんとなく1つ口に含んだ。

「ん…」

もぞもぞと起き上がり、私の顔を見つめた。
彼は、下から突き上げるように私の唇に唇を重ねた。
彼は乱暴で深いキスが好きだった。
どちらともなく口を開けて、舌を絡める。
ちょうど真ん中あたりのところにいちごがあって、それを互いの口に入れ合うようなキスだった。

甘い。

甘い。甘い。

なんて、甘いんだろう。

そっと私の顔に手を当てて、深い深いキスを続けた。

ーあぁ、今日で終わりなのか。
私は、突然そう思った。
私たちの関係は、今日で終わりだ。
このキスが終わったとき、私たちも終わりだ。
この醜くて汚い関係に、終止符が打たれるんだ。
やっぱり、涙が溢れてきた。
耐えきれず、ぼろぼろと零してしまう。
彼はそれに気づいているはずだけれど、何も言わずキスを続ける。
なんて狡い人だ。

涙といちごが混ざりあって、もう何も美味しくない。
しょっぱくて甘くて、これが俗に言う恋の味なのか、馬鹿みたいだ。
私は、彼が好きだったんだ。
体を重ねたあとに、優しく微笑む彼が。
そう思うともう涙は止まらなくて、キスを終わらせたくなくて、必死に彼の舌を追った。

ついにいちごがぼとりと床に落ちた。

それが合図だったかのように、そっと彼の口が離れた。

「…ごめん、拾っとく」

絶えず流れていたはずの涙は、キスが終わった瞬間に引っ込んでしまった。
ティッシュでくるんだいちごを、ゴミ箱に捨てた。
それと一緒に、今思ってしまった彼への恋心も、捨てた。
彼の部屋のハンガーに掛かっている制服を着る。

「やっぱ制服ってえろいよなぁ」
「何回言うの、それ」

彼は私が制服を着る度にそう言っていた。
可愛い、とかはないのか。
少し寂しくて、でもそれが私たちらしくて嬉しかった。
それも、今日で最後。

「じゃあ、行ってくる」

そう言って歩き出すと、いつもはお見送りなんて来ないくせに、玄関まで来た。

そして、そっと抱きしめられた。

「…ばいばい」

耳元でそう言われた。

「いちご、美味しかったね」
「うん」
「学校頑張って」
「うん」
「俺さ、」
「もう行かないと」

私は咄嗟に彼のからだから離れて、家のドアを開けた。

「…うん。ばいばい」

そう言って手を振った彼は、いつもより悲しそうな顔をしていた。
コツコツと階段をおりる音が響く。
彼女が出来たんじゃなかったのかもしれない。
それでも、これで終わりだ。

私の初恋は、いちごの味がした。